Ⅲ.薄茶色の便箋(3)
「失礼します。お久しぶりです、ジェラルド様」
ジャンルカの言葉の魔術なのか、約1ヵ月振りに見る副官の笑顔が、チェーザレと同じものに見えた。知らず、眉間に皺が寄ったらしい。
「あれ? どうしました? 部下の顔、忘れちゃいましたか? 怖い顔になってますけど」
近付いてきたロレンツォは、あろうことか上司の顔を鷲掴みにすると、親指で眉間を左右に引っ張り始める。以前から、このような男だったろうか。チェーザレに似ているどころか、上回る何かを持っているに違いない。悪い意味でだ。
「やめんか、ロレンツォ。お仕事中、申し訳ありません」
遅れて入ってきたルッジェーロが、ロレンツォの両腕を引っ張って止めてくれた。幼馴染の副官は、上司と同じ稲穂色の頭をした、長身の男だ。
「執務室に忍び込む、と言うのを、どうにか止めさせたのですが」
彼としては、部屋に入ること自体を止めたかったらしい。説得しても聴く耳を持たなかったため、譲歩して正攻法を取ったのだろう。
「だって、ジェラルド様に早くお会いしたかったんだ」
拗ねる様は、チェーザレというよりはジャンルカに近いものがある。率直に言われると嬉しいと思うのも事実で、怒るに怒れない。
「これから幾度も顔を合わせるというのに。光栄ではあるが、陛下の御前だぞ?」
苦笑いを浮かべながら、そう言うのが精一杯だった。それでも副官には、ジャンルカの名前だけで絶大な効果があるのだろう。慌てて膝をつくと、「申し訳ありません」と頭を下げた。先から2人をおもしろそうに見比べている国王が、許さぬはずがない。
「まあ、よい。ちょうど、おまえたちの話をしていたところだ」
「俺たちの、ですか?」
海老茶色の瞳を瞬かせるロレンツォに、ジェラルドは頷く。
「フルリールの花の大祭の件だが。おまえを、お供に召していただこうと考えている」
「え? 俺が、陛下のお供ですか?」
「嫌なのか?」
睨むジャンルカに、ロレンツォは慌てて首を横に振った。少年の眼光は、たまに信じられないほど鋭くなる。
「私に代わり、陛下を支えて差し上げてくれ」
「はい。かしこまりました」
答える声は、上擦っている。何事も経験ではあるが、舞い上がってなにか失態をしでかさないか心配だ。まだ早かったか、と考えていると、向かいでジャンルカが噴き出した。
驚いて前を見ると、彼は肩を震わせて笑い転げている。
「ジェ、ジェラルドとルッジェーロ。おまえたち、同じ顔をしているぞ」
名前を出され、互いに顔を見合わせる。暗い紙をした宰相と、明るい髪の近衛隊隊長の副官。見れば見るほど似つかないが。
「あの。どこが、でございましょう?」
ルッジェーロが困惑したように、ジャンルカに尋ねる。
ふと、自分も普段、このように尋ねているのだろう、とジェラルドは思った。からかいの言葉さえ、真っ直ぐに受け止める。軍に属している身では、応用が利かねば苦労するかもしれない。
「実はな。ロレンツォはチェーザレと、ルッジェーロはジェラルドと似ているな、と言っていたのだよ」
即座に、「それは失礼ですっ」と双方の副官から声が上がった。
「失礼ではないぞ。私も、そう思えてきた」
「そんな。俺は、ルッジェーロの下で働くなんて嫌です」
「チェーザレだって、同じことを言うよ」
もしも、自分たちが若い彼等と同じ立場だったら。そう考えると愉快な気分になって、立ち上がった。宥めるように、自分の部下の頭を撫でる。明るい色の髪をしているが、質は自分に似ている。
次いで、後ろに控えていたルッジェーロに手を差し出した。
「花の大祭の期間は、チェーザレの代わりに私を支えてほしい。よろしく頼む」
「いえ、こちらこそ。短い間とはいえ、ジェラルド様と肩を並べられること、光栄に思います」
硬く握手を交わした。上司とは違い、大剣を握る手だ。甲が厚く、節が太い。
「ああ、そういえば。今、入り口で拾ったのですが」
手を離すと、封書が差し出された。筆跡をごまかすためだろう。わざと角ばって書かれた文字で『親愛なるジェラルド・アルトォージ様』と宛名されている。
「どうやら扉に挟まっていたようです。ロレンツォが入室した時、中に入ったのでしょう」
示された箇所には、折り目と擦れた跡がある。封を開けると、微かに柑橘系の香りがした。
中には、薄茶色の便箋が1枚のみ。四つ折りにされた紙を広げ、内容を目にした途端に、取り落としそうになった。
「どうした? ジェラルド」
「いえ。なんでもありません」
立ち上がろうとするジャンルカを制すると、手早く紙を追って胸ポケットにしまった。何事も無かったかのように、長いすに腰を下ろす。動機や冷や汗、焦燥感からは目を逸らした。
「つまらない、いたずらでした。それより、次の案件へ移りましょう。2人も、後に用事が無いのなら聞いていきなさい。勉強になる」
ジャンルカとルッジェーロは、まだ何か言いたそうではあった。
しかし、ロレンツォがジェラルドの右側に座ると、「本当ですか、宰相? 嬉しいです」と甘えだしたことで、どうにか水に流れたようだ。こういう時には、聡い部下の存在が、ありがたかった。
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