Ⅰ.左足首だけの幽霊(4)

 いまだ燻る屋敷の前に佇んでいると、後方で悲しみにくれるばかりだった使用人達の気配が変わったことに気が付いた。振り向くと、こちらに歩いてくる黒衣の男が2人。国主であるジャンルカと近衛隊隊長のチェーザレだった。

 頭を下げようとする人々を、ジャンルカは「よい」という一声だけで抑制する。


「ジェラルドよ。この度は、まことに痛ましい出来事である。私も、自身の事のように悲しく思うぞ」


 ジャンルカの本心であることは、向かい合っていればすぐに伝わってきた。威厳を保つような言い回しではあるが、目は今にも大粒の涙を流しそうなほど潤んでいた。自分が誇りを持って仕えている国主の正体は、あまりにも素直な少年なのだ。


「陛下御自らお越しいただいたばかりか、お声までいただき、もったいないことでございます」


「言うな」


 2人でいる時はあと数個は飛んでくる苦言も、場が場だけに1回で留まる。これ以上声を出せば溢れ出るものがあったから、という理由もあるかもしれない。

 唇を噛んで涙を必死に堪えているジャンルカに代わり、チェーザレが口を開いた。


「今回のことで、陛下にある進言をさせていただいた」


「進言?」


「陛下が所有されている土地のいずれかを、ジェラルド殿に賜れてはいかが、とな」


 思ってもみないことに、目を見開く。何を言っているのか、この男は。


「そんな不遜極まりない」


「よい。私が許可した」


 ジャンルカが許可したと言うなら、この場では黙るしかない。使用人だけでなく、大勢の野次馬も集まっている状況だからだ。国主自らの見舞いに、仮の住処まで与えられる。どちらも異例のことだが、下手に公の場で断るのは主の立場を危うくさせかねない。

 チェーザレは羊皮紙を胸元から取り出すと、この地に集まった人々を見渡してから両手で広げた。


「僭越ながら、近衛隊隊長チェーザレ・バリオーニが代読させていただく。宰相ジェラルド・アルトゥージは、先代より現在に至るまで、よく国に仕えてくれている。特に私は、公私共に支えてもらっている。その働きは実に見事なものであり、臣下一同の模範である。今、困難に陥っている優れた臣を救えずして、どうして民の1人1人を救うことができよう。臣もまた、1人の国民なのである。日頃の感謝の意も込めて、私の所有する土地の一つを下賜するものとする。また他の者も、彼のように素晴らしい働きをしてくれた際は、恩に報いることを約束しよう。以上だ」


 羊皮紙を丸めたチェーザレは再び、辺りを見渡した。宣言文は、彼が助言しながら書かれたものだろう。1人の臣下を見舞いつつ、民衆の士気も高めている。良い意味で狡猾な男だ。


「この場にお集りの方々は皆、証人である。明日からも陛下のお言葉を胸に、仕事に励まれるよう」


 右の拳を心臓の位置に当てた彼は、深々と頭を下げた。あちらこちらから拍手が沸き起こる。顔を上げたチェーザレとジャンルカに促され、焼け跡の裏側に回っても、人々の興奮は耳に届いた。


「おまえが陛下からどの土地を賜るかまでは、民衆は知らなくて良いだろう。ま、いずれ知れることにはなるかもしれないが」


 先までの固い表情を崩したチェーザレは、肩をすくめた。昔、彼に1人の熱狂的な熟女の支持者がいて、彼女から逃げ回るように別邸やら友人の屋敷やらを転々としていたことを思い出す。その時は、落ち着ける期間は長くても1週間だった。

 もっとも、豪族の妻であった彼女は金にものを言わせて、十数人の人間にチェーザレの身元を捜させていたのだが。


「我が友の困難な時だ。俺も、できることは協力しよう。なんでも言ってみるがいい」


 両肩に、幼馴染の手が置かれる。顔や体に似合わぬ武骨さだが、本人は『国主を守る者として、まめがあり節が太いのは誇りだ』と話した手だ。力強く、温かい。


「私達は、いつでも助け合ってきた」


「その通りだ」


「では、一つ。しばらく1人になりたい」


「1人?」


 肩からはずされたチェーザレの手は、しばらく行き場を探した後、彼の腰に落ち着いた。


「あー、俺達、邪魔したか?」


 幼馴染の弱った表情というのも、久し振りに見た。特に国主が代替わりしてからは、いつでも余裕があるといった笑顔を浮かべているからだ。今の国主は若く、近衛隊が切羽詰まった顔をしているのは得策ではない、との判断らしい。今の顔は、友人として立っているからこそだろう。


「いや、そうではない。陛下や君が見舞ってくれたことには感謝している。私が言いたいのはではなく、ということだ」


「継続してってことか」


「ああ。現状は、精神的に重い。こんな時だからこそ動かなければならないのが本当だろうが、身体が持ちそうにない」


「ふむ」


「陛下や君は別だ。こうしているだけでも心強い」


「それは光栄だ。ということですので、聡明なるご判断をお願いいたします。陛下」


 ジャンルカもチェーザレも、笑うとも言い難く、泣くとも言い難い、妙な顔をしている。


「私は、何か失言しただろうか」


「いや。たまに素直が過ぎて、くすぐったくなるだけだ」


 「ですよね、陛下?」とチェーザレが確認を取ると、ジャンルカは笑いながら頷いた。


「では、私の所有地の件に話を戻すとしよう。おまえの希望を尊重するならば、緑が多く、静かな所が良かろう。となると、候補としては4カ所ある。おまえでもすべてを把握できてはおるまい。それぞれの地図と間取りを描かせたものを用意させよう。好きな屋敷を選ぶが良い」


「いえ。地図も間取りも必要ありません。候補の内で、1番小さいものをいただくことはできないでしょうか?」


 ジャンルカは目を丸くしたかと思うと、忙しく瞬きを繰り返した。


「好きな物を選べと言ったのは私だから、拒否する権利は無いのだが。それで良いのか?」


「小さいとは仰られても、火災を免れた荷物が入らぬ程ではないでしょう?」


「それはそうだ。今まで暮らしていた屋敷よりは手狭に思うかもしれぬが、不便とは感じるまい。おまえが住めぬような屋敷を候補に入れるほど、私は愚かではないぞ」


「それは失礼を申し上げました」


「構わぬ。で、本当に良いのだな?」


「はい。陛下の広い御心、感謝いたします」


 片膝をついて頭を下げると、上から「だから、それがくすぐったいと言うのだ」という苦言が降ってきた。


「私は『広い御心』を持っているらしいからな。すぐに宰相に戻れ、とは言わぬ。ただ次に私に会う時は、少しでもジェラルドらしさが戻っていることを望む。おまえに担がれると、むず痒くてならん」


「それは、あんまりでしょう」


「そう思うなら、日頃の態度を改めよ」


 ジャンルカが鼻を鳴らすと、チェーザレが「それは無理ですよ」と笑った。


「で、俺に言うことは無いのか?」


「これを言うのは、おこがま」


「なんでも言ってみるがいい、と言ったのは俺だな」


 こちらの話を途中で切った彼は、肩をすくめた。「そうだったな」と言葉を変える。


「しばらくの間、コンラードを預かってもらいたい」


「君のご子息を、か」


「無理だろうか?」


「いいや。無理とは言わん。むしろ、イレーネが喜ぼう」


 腕を組んだ彼は、右の中指で左ひじを小刻みに叩く。考えに集中する時の癖の一つだ。


「そうだ。2人を別邸に住まわせよう。世話は、君の使用人達に任せる。彼等もろとも、俺が預かろう」


「それは、さすがに迷惑が掛かるだろう」


 楽しそうに案を話す友には悪いが、慌てて止めに入る。人差し指を左右に振ることで、簡単にあしらわれたが。


「迷惑なものか。実は、妻が妊娠中でな。我が娘の遊び相手がいれば、こちらも助かる。君のところの優秀な家庭教師に付いていただければ申し分ない。別邸は東の山にあり、使用人には不便かもしれん。が、勉強するには打ってつけだ。更に、警備隊隊長であるベネデッドの実家も近い。安全面においても心配ないと思うのだが、いかが?」


 ここまで並べられると、断る方が不遜と取られかねない。苦笑して「頼む」と言うと、左肩に手を置かれた。


「期間は、ご子息の心が癒えるまで、で良いだろうか? しばらく1人になりたいのだろう?」


 これだから、目の前の友人は侮れない。


「その通りだな」


「では、引っ越しの準備などがあるからな。一旦、失礼する。1刻ほど後に、また来よう」


「分かった」


 面と向かって握手することも滅多にない。細身の代物とはいえ剣を操るチェーザレの握る力は、思った以上に強かった。

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