Ⅰ.左足首だけの幽霊(5)

 太陽は、既に傾いている。薄暗い中に、人の気配がした。


「もう1刻が経ったのか」


 声を掛けるが、返事が無い。数歩ほど離れたところで、佇んでいるようだ。チェーザレは何をしているのかと不審に思いはするが、体が重くて頭を上げることさえ億劫だった。


「チェーザレ、どうした?」


 仕事でもないのに、黙って立ち尽くすとは珍しい。疑問が心配に取って代わる頃になって、気配はようやく揺らめいた。


「靴をちょうだい」


 聞き覚えのある声だが、チェーザレのものとは掛け離れている。もっと高く、もっとかわいらしい声音だ。その声は、愛らしさと切なさを心にもたらした。


「靴?」


 どこかで聞いた言い回しだ。耳にしたのは、つい最近のことだと思うのだが、眠気でうまく回らない頭では詳細まで思い出せない。


「靴をちょうだい」


 相手は、よほど靴が欲しいらしい。与えなければ、居座ってしまうだろうか。わざわざ火災があった屋敷を狙うとは、迷惑な話だ。いや、火事場泥棒というくらいだから、火災の後に盗人まがいの人間が訪れることは意外と多いのかもしれない。


「見て分かる通り、ここは火災現場だ。やれる物など何も」


 無い、と言いかけて止めた。引っ越しをしたような気がしたからだ。やはり詳しくは思い出せないが、焼け残った荷物なら近くに山積みにされたままだったように思う。


「いや、待て」


 声からして、相手は10歳前後の少女だろう。正体を確認しないまま決め付け、だったら女の子向けの靴も紛れていたはずだと思い出す。大きさは合わないかもしれないし、左右も揃っていないだろうが。

 とりあえず、靴というものを与えさえすれば立ち去ってくれるに違いない。


「そこにあるから、持っていけばいい」


 腕だけを上げて、荷物の山を指し示す。わざわざ探し出し、履かせてやる義理も無い。

 靴は、意外なほど早く見つかったようだ。特に派手な音もせず、待ちくたびれる前に気配は消えていた。


「礼も言わぬとは」


 それが泥棒というものかと思い直し、寝返りを打つ。

 そういえば、ジャンルカと顔を合わせたのは数週間振りだった、と思い出す。チェーザレとまともに会話を交わしたのも然りだ。こちらを気遣って1人にしてくれていたこともあるし、仕事が忙しかったこともあるだろう。

 家族のことは心残りではあるが、置かれた立場が立場なだけに数ヶ月もこのまま、というわけにもいかない。復帰する頃合いかもしれなかった。

 まずはアントーニの帰還を祝う飲み会の席で、今の夢を種に話を咲かせてみようか。

 薄く笑って、再び眠りに落ちた。


 ◆◆◆


 朝から起きて、荷物の山を漁ってみる。女の子向けの靴だけが失われていた。

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