第30話 勝ち戦
「しかし……よく上もその剣を貸し出すことを許したものだ。何処の馬の骨とも知れない男に」
「カストル言い方!」
アストレアは注意するが、カストルの言っていることは何も間違いではない。
今回シンに貸し与えられたのはアストレアのクラレントに並ぶ国の至宝と名高い名剣。
本来は持ち出すはおろか使うことすら許されない
そんな物を戦のためとは言え、カストルの言う通り得体の知れない少年に貸し出すなど本来ならば許されるはすがなかった。
「まあ、アストレア様だけでなく、陛下にアポロ様、ユリシーズ副総長に加えてハーキュリーズ陸軍中将までが承認すれば下は何も言えないですよねぇ」
鈴を鳴らすような声色で笑うフォルトゥナにカストルは「笑い事じゃ無いぞ……」と呆れて呟いた。
今回の件に許可が降りたのは主にアポロやユリシーズをはじめとした軍上層部の働きかけが大きかった。
現在宮廷でシンの身柄を狙う者は多く、如何にして自分の掌中に置こうか謀略を巡らせ合っている。
そこでシンに『あの剣』を使わせることで兵士としての有用性をアピールし、軍の庇護下に置こうというのが今回の主な目的であった。
勿論、全員が全員信用できるわけではないが、アストレアの伝手は軍部に多い。信用出来ないのと同じくらい信用出来る者も知っている。軍を頼った方が良いのは明白だった。
更に言ってしまうと軍部の中に『あの剣』が使われるところを見てみたいという童心を持つ者が少なからずいたことも否定出来ない。
この思惑に気付き且つ階級主義の考えを根強く持っている文官組の中には反対する者も多かったが、ヴィーナスの鶴の一声が入ったことで承認せざる得なくなった。
「そうは言ってもずっと使われないまま文字通り宝の持ち腐れになるよりはシン君に使ってもらった方いいでしょう」
「それはそうかもしれないが……」
フォルトゥナの言葉に言い淀むカストル。
どれだけ貴重とは言え『あの剣』が武器であることには変わらない。
鑑賞目的の装飾剣であれば話は別だろうが『あの剣』は歴とした戦闘用の剣。
それも強力な。使えるものなら使った方が絶対に良い。
「アストレア様、見えてきました」
そこへ若い男の声がアストレアにかけられる。
声の主にはシンも見覚えがあった。確か名前はアドニス、だったはずだ。
「来たわね……」
一人呟いたアストレアの空色の瞳が見据える先、そこには旗を掲げた兵士の軍団がこちらへゆっくりとだが、迫ってきていた。そして、旗には共和国の
「皆!共和国の軍勢が見えてきたぞ!」
カストルが声を張り上げ、注意を呼びかける。
それだけで周囲の空気が引き締まるのが分かった。
「なあ、カストル、なーんか向こうの軍勢少なくなってないか?それでもこっちとあんま変わらないんだけどさ」
共和国にはシンが所属していた奇襲部隊のような小隊や個人が所有している戦力は存在するものの常備軍は存在せず、戦争の度に平民や外国出身の奴隷を大量に徴兵して軍を構成している。ちなみに割合としては奴隷が過半数を占めている。
そのため、共和国軍は大軍勢であるもののそれは同時に大量の備蓄が必要になることを意味する。今まで共和国はそれをシンの『
現在の共和国にシンはいないが、その役目はすでに人工食物によって置き換わっている。それ故共和国には大勢の兵を率いるのに何の問題もないはずなのだが――、
「確かに少ない気がするな。目算ではあるが前回の七割ほどくらいか?」
アドニスの指摘の通り共和国軍の数が減っている。
こちらを侮りわざと数を減らしてきたのだろうか?
「いや、そもそも何故連中はここまで進軍してきた?食料のことを考えれば無理に攻めず待機しているのが得策だろうに」
共和国側が知る由もないことだが、向こうは王国の備蓄が乏しいと思い込んでいる。それならば一週間でも一ヶ月でも王国軍の物資が尽きるのを待てばいい。なくなれば最後、王国軍は撤退するか背水の陣で挑むしかなくなる。
撤退に対しての対策を取りつつ地形的に有利な場に陣取り、そこで王国軍が攻めてくるのを迎え撃てばいいのだ。
「いや――」
違う、とカストルは否定する。
連中はシンが
なら尚更兵力は欲しいはず。人数を減らす理由がまるで分からない。
「それは彼らにもそうせざるを得ない原因があるからよ」
そう言ったのはカストルの隣に来たアストレアだった。
「……は?」
心を見透かしたかのような主人の発言に間の抜けた反応をしてしまうカストル。
しかし、すぐ我に帰り佇まいを直すとアストレアに尋ねる。
「それは一体どういうことでしょうか?申し訳ございませんが、食料自給に長けた共和国が軍勢を減らす理由など私にはとても見当が付かず―――」
「それよカストル」
「それと申しますと……あ……」
そう言いかけたところでカストルは気が付いた。自分が既にその答えを口にしていたということに。
「そう、恐らく共和国は何かしらの
「なるほど……確かに辻褄は合いますが、それだけではまだ根拠に乏しいように思われます」
「ええ、だからあと二つの根拠があるわ」
アストレアは指を二本立てて説明を始める。
「一つは共和国軍の進軍速度が想定よりも速いこと。不測の事態が起こった場合は話が別だけど双方の兵の数を加味した場合、どれだけ早くてもこうして会敵するのはまだ先になるはずだった。共和国軍が数を減らしたとしてもこの速さは不自然よ」
進軍の速度は軍勢の規模やその種類、
つまり逆を言えば、それさえ分かれば進軍の速度を割り出すことは難しいことではない(流石に敵軍の詳細についてはそう簡単に分かるものではないため、どうしても大雑把な推測になってしまうのほとんどなのだが)。
そして、それらの計算から割り出された予想される進行速度。その中の最短のものよりも今回の共和国軍は速かった。
これは共和国が進軍を急いだことを意味している。
「そしてもう一つ。これが決定的よ」
指を一本折ったアストレアはカストルから顔を逸らし別の方を向いた。
つられるようにしてその先を追うとそこには――渦中のシンがいた。
「共和国は一度捨てたシンくんを再び欲した。これが何よりの証拠よ」
「!!」
共和国のシン対する認識は「無尽蔵な食料を生み出せる奴隷」で『治癒』や『身体強化』については認知していない。
そんな連中がシンを必要している理由など食料が不足しているからとしか考えられない。
まるで備蓄を温存するかのように進軍を急いでいることがそれを裏付けている。
「つまり奴らは――」
「ええ――全軍停止!」
アストレアの指示ともに五万近い王国軍が歩みを止めた。訓練された少しの乱れもない動きだった。
「前とは完全に立場が逆よ。この勝ち戦、遠慮なく取らせてもらうわ」
そう勝利を確信した顔でアストレアは笑った。
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