第22話 誰かを頼るということ
ユリシーズは書簡を見ることなく、その内容を思い出す。
あの挑発的な要求はこちらの冷静さを失わせ、戦争へ持っていかせようとする魂胆だ。少しでも講和の意思があるのならあのような内容は書かないだろう。
そうなると戦争が再開されるのは確実だ。
どうしたものかとユリシーズは思考を加速化させる。
(戦力はこちらに分があるがやはり圧倒的に物資――食糧が不足している。西側はどの国も不作のため買い上げることも出来ない。国全体から徴収しようものなら飢饉が起き、最悪国が割れる。となってくるとやはり短期決戦を目指すしかないが、そんなことは向こうも百も承知。無理な攻めをすることなく長期戦に持ち込もうとしてくるだろう。ならば残された手は――)
「こんな時にルブラ大将は何故おられないのだ……」
そんな時、救いを求めるような情けない声がユリシーズの耳に入ってきた。
それ自体は特に気を留めるようことではないが、内容は気になってくることであった。
(ルブラ大将は現在、女王陛下からの任務に従事しているという。しかしそれは何だ?女王陛下直々のご命令とは言え元帥殿ほどのお方が直接動くなど……)
自分の直接の上司の顔を思い浮かべながら怪訝に感じたユリシーズであったが、すぐに「今はそれどころではない」と結論付けると思考を共和国との戦争に戻した。
アポロが現在している任務とはシンへのマンツーマンの特訓のことなのであるが、そのことを知るのはこの場ではアストレアとヴィーナスの二人だけだった。
ヴィーナスは何も言わずにただ一同の様子を眺めており、アストレアは――、
(食料問題……それはシンくんの『
シンの力を借りるか借りまいか、一人葛藤していた。
結論から言うと借りるべきだ。
《
しかし――、
(シンくんの存在を公表するのは避けられなくなる……そうなってしまえばシンくんは……)
多くの干渉に晒されることになる。ヴァルカンの言った通り良からぬ考えを持った者たちが光に群がる虫のように寄ってたかってくるだろう。
そうなってしまえばシンは再び自由を奪われてしまうことになるかもしれない。
シンの存在について明かすわけにはいかない。
だが、明かさなければ戦争に勝てない。
(どうすればいいの……)
葛藤し、懊悩するアストレア。
「アストレア」
そこへ真横から自分の名を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。
振り向くと隣のヴィーナスがこちらに体を向けていた。
「お母様……」
何を言われるのだろうと思った。
しかし、ヴィーナスは口を開かない。黙ってアストレアの顔を見つめているだけだ。
「あの……お母様……」
声をかけても反応はない。微動だにしなかった。
まるで何かを待っているように。
「――――」
ただこちらに向けられる自分と同じ空色の瞳。この目をアストレアは以前も向けられたような気がして――、
『アストレア、あなたは何でも一人で抱え込みすぎよ。もう少し誰かを頼るということを覚えた方がいいわ』
ふと、以前ヴィーナスに言われた言葉を思い出した。
公務中とは違う、砕けた口調で女王としてではなく、母としてかけてくれた言葉だった。
そして、直感した。今向けられている眼差しはこの言葉をかけられた時のものだと。
『苦しい時は頼ってほしいです。頼っちゃいけない仲間なんていないんですから』
連鎖するように甦るのはシンの言葉。
内気で大人しい少年がくれた慈愛の言葉。
あの言葉を語るのにどれほどの勇気を振り絞ったのだろう。
それはアストレアには想像もつかないことであったが、分かっていることだってある。
あの言葉を裏切ってはいけない。それだけは分かっている。
腹は決まった。
そんな彼女の胸中の変化を感じ取ったのかヴィーナスは優しく目を細めた。
「女王陛下、発言の許可を賜りたく存じます」
そして、アストレアは挙手とともに覚悟の言葉を口にした。
◇
無数の斬撃が閃くグリフィン邸の裏庭。
そこにて剣を打ち合う二つの影があった。
一つは大柄な老人アポロ。もう一つは対照的に小柄な少年シンだ。
「剣は腕だけで振るのではありません!腰を使って振るのです!」
「――っ!はいっ!」
シンが特訓を始めてから既に一週間が過ぎた。
《
終わりのないように思える訓練の数々。
出来たと思った矢先に新たな訓練が与えられ、身体も頭も休まる暇がない。
普通の兵士が何年もかけてやることを一気に詰め込んでやらされているようだった。
だが、共和国での生活と違ったのはこの成果が自分へ還元されているということだった。
共和国ではボロボロになるまで頑張っても何も得られるものはなかった。いや、強いて言うなら延命だろうか。『
しかし、この特訓は違う。努力すれば努力した分だけそれが強さとして自分に還元される。
現にこの一週間で様々なことを学び、身体も強くなってきた。
まだまだ半人前かもしれないが、必ずアストレアの役に立てるようになってみせる。
そんな思いでシンはこの特訓に取り組んでいた。
「では、一旦休憩としましょうか」
「はい……」
アポロのその言葉を聞いた途端、シンはその場にへなへなと倒れ込んだ。体力も随分ついたはずだし時折能力で回復もしているが未だついていくのがやっとだ。
「お疲れ様ですシン君」
そこへ今までずっと特訓の様子を見守っていたフォルトゥナが駆け寄ってきて水とタオルを差し出してくる。
「ありがとうございます……」
シンは受け取った水を一気に飲み干すとタオルで汗を拭った。
そこへアポロも近づいてきてフォルトゥナから水とタオルを受け取ると、
「いやはや、シン殿は呑み込みが早いですな。おかげでこちらも手間が省けて助かります」
労いの言葉をかけてくれた。
だが、それに対してシンは首を横に振り、
「いえいえ、おれなんてまだまだです。今日の模擬試合でもアポロさんに攻撃を掠らせることすら出来ませんでした」
謙遜するように言った。
するとアポロは好々爺然とした笑い声を上げた。
「私も
カストル。その名前にシンはピクリと反応した。
以前から疑問に思っていた。祖父であるアポロにも尋ねようと思っていた。
しかしこの一週間、そんな余裕が失われるほど特訓に忙殺され、そんな考えも忘れてしまっていた。
「あの、前から聞きたいことがあったんですけど――」
だから、アポロが偶然名前を出したこの機を逃すまいと尋ねる。
「カストルさんが時々話しているポルクスさん?って一体誰なんですか?」
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