第23話 弟ポルクス

 ずっと秘めていたシンの問いかけ。

 その言葉にアポロの纏う空気が硬化したのが分かった。

 触れてはいけないものに触れてしまったのかもしれない。傷口に塩を塗る行為なのかもしれない。

 だが、聞かずにはいられなかった。このまま知らんぷりを続けることなんて出来なかった。


 「そうですな……質問を質問を返すようで不躾でありますが、シン殿はどこまで分かっていらっしゃるのですか?」


 短くない沈黙の後、アポロは振り絞るようにそう洩らした。


 「アストレア様たちからは何も聞いていません。でも、ポルクスさんはカストルさんの弟なんだってことは何となく分かります」


 「ええ、シン殿の仰る通りポルクスはカストルの実の弟です。ですが……もうこの世にはおりませぬ」


 「え……」


 「ポルクスはカストルとは双子の兄弟でありました。カストルと違い『聖痕スティグマ』には恵まれませんでしたが、剣術に秀でその才は私をも上回るものを秘めていました。穏やかな性格で激情家の側面があるカストルとは相性が良かったようでどこへ行くにも常に一緒に行動していたものです」


 かつて在りし過去を噛み締めるように、懐かしみながら語ってゆくアポロにシンはカストルを宥めるポルクスの様子を幻視していた。

 その光景は容易に想像がついた。何故ならそれは何度も見た時折出てくるポルクスがカストルとよくしているやりとりであったからだ。


 「しかし――、」


 ここでアポロが言葉を区切る。その先にどんな言葉が続くのか想像するのは難しいことではなかった。


 「ポルクスは三年前の初陣、【明星の使徒教団】との戦いにて戦死してしました」


 「【明星の使徒教団】……」


 その名前にはシンも聞き覚えがあった。確か大陸全土影響を及ぼしている強大なカルト教団のはずだ。


 「それからのカストルの落ち込み様は凄まじいものでした。食事が喉を通らないせいで日に日に痩せこけ肌は荒れ放題。最早光を映していないのではないかと思わせるほどうつろになった目の下には遠目からでもはっきり見えるほどの隈が出来、ごくたまに発せられる声は老人のように嗄れておりとてもカストルのものとは思えませんでした。それにも関わらず夜中になると時折、信じられないくらい大きな声で泣き叫ぶのです」


 アポロの話を聞いてまずシンが思い浮かべたのは「廃人」の二文字だった。

 廃人なら共和国にも多くいた。皆一様に精気のない目をしており、体よりもまず心が死んでいるように見えた。

 今思えばあれは自分のあり得た姿だったのかもしれないとシンはふと思った。


 そんな共和国の廃人よりもかつてカストルの方が酷い有様だったのだろう。

 カストルのそんな姿などシンには想像もつかなかったがずっと一緒にいた――半身とも言える存在を失ったのだ。そうなるのは当然と言えよう


 「ですが、とある日を境にカストルは元気を取り戻しました。そう、カストルの中にポルクスの人格が現れたのです」


 「それはつまり、二重人格になったということでしょうか?」


 話が見えてきたような気がした。

 カストルはポルクスを失ったという現実を受け止め切れず自分の中にポルクスの人格を生み出した。そうすることで無意識の内に心の均衡を保とうとしたのだろう。

 だが、アポロは首を横に振ると――、


 「私も最初は遂に気が狂ったのだと思いました。ですが、ポルクスが出たときのカストルの人相は本当にポルクスそのもので話し方から仕草まで同じでした。加えてポルクスしか知らないようなことを話し出したり、更には剣技まで披露したのです。太刀筋から癖までポルクスのものと何から何まで同じの」


 「似ている」ではなく「同じ」と語るアポロ。

 アポロは死んだ弟ポルクスが兄カストルに乗り移ったのだと言いたいのだろう。

 しかし、これだけ聞いてもシンはカストルが弟であるポルクスを演じているとしか思えなかった。


 人は一度死ねば蘇らない。それがこの世の摂理だ。

 にも関わらず消沈の身になったカストルの元へポルクスは魂だけの形とは言え帰ってき、カストルは元気を取り戻した。

 そんな都合の良すぎる話があるわけがない。


 シンはそれを言葉にしようとして――、


 「分かっています。分かっていますともシン殿」


 機先を制するように、そして自分に言い聞かせるようにアポロは言った。


 「これはカストルの自作自演なのかもしれませぬ。しかし、『ポルクスの魂がカストルに乗り移った』、そう信じていないとカストルの心は再び壊れてしまいます。故に私たちもポルクスが帰ってきたのだと信じているのです」


 「…………」


 形はどうであれポルクスは蘇った。そしてカストルは再起した。

 これが偽りであると分かってしまえばカストルは次こそ立ち直れなくなるだろう。

 共和国には『嘘も百回言えば真実になる』という言葉がある。

 例え嘘だったとしても真実だと信じていれば、言い続けていればそれは真実になる。そう人は思い込むのだ。

 例え嘘であっても良い。真実だと信じることの出来る余地が有ればいいのだ。


 「でもそれじゃあ、あまりに……」


 「歪、でしょうね」


 シンの科白の続きを今まで沈黙を貫いていたフォルトゥナが呟いた。


 「でも、これでいいんです。歪な形とは言えまたこうして私たち四人は一緒にいられているのですから」


 そう言ったフォルトゥナの言葉に宿っていた感情は諦念だった。

 このままではいけないと分かっていながらもどうすることもできないこの現状に対しての。


 「シン殿、どうかカストルのためにもこのままポルクスがということにしては頂けないでしょうか。お願いします」


 そう頭を下げるアポロ。

 カストルなどが見れば卒倒する光景だが、これがアポロの思いの丈なのだ。

 カストルのためならそれよりも年下の少年に頭を下げても構わないと思えるほどの。


 「……分かりました。上手く出来るかわかりませんが、ポルクスさんにも普通に接するようにします」


 断る理由はなかった。

 カストルが苦しむところを見たいわけがないし、そうなったらアストレアが悲しむだろうから。


 「ありがとうございますシン殿」


 その返答に再度アポロは頭を下げた。


 「少し喋りすぎましたな。特訓を再開しますぞ」


 「分かりました」


 立ち上がり、シンと一定の距離を取ると特訓用の剣を構えるアポロ。そこには先程の苦悩や葛藤の感情はなく、既に特訓モードへ入っていた。

 こういうスイッチの切り替えが即座に出来ることが重要だと教わったことをシンは思い出した。

 

 もしかしたら今さっきのお礼で特訓を楽にしてくれるかもしれないとどこか期待していたシンだが、相変わらず特訓は厳しいままでいつものようにボロボロになって帰った。

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