第20話 正義の女神の施し

 「大丈夫ですか〜シン君?」


 「…………無理です」


 特訓は約半日に及んだ。

 アポロに言われた狂気のメニューにそこから更に『聖痕スティグマ』の制御練習を息も絶え絶えの状態になりながらなんとか終えた。


 そしてその頃にはすっかり日も暮れており、魔力も体力も尽き果ててボロボロだった。

 現在シンはアストレア邸の自室のベッドにて死体のように倒れ込んだ体勢でフォルトゥナのマッサージを受けている。


 「どこが痛いですか〜?」


 「……全部です。腕も足も背中も腹筋も節々から指先まで全部痛いです……」


 うつ伏せのまま呻くような声で答えるシン。余程が痛いのかマッサージで抑えられる度、「ビクン!」と体を上下に震わしている。


 「意外ですね〜。奴隷時代にこういうことは慣れてるのかと思ってました」


 「おれがコキ使われていたのは『聖痕スティグマ』の方なので……フォルトゥナさん、今日はシャワーも浴びたしこのまま寝たいです……」


 「構いませんけど晩ご飯は食べてくださいね。食べないと明日の特訓についていけませんよ〜」


 「う〜〜……」


 明日も特訓があるという残酷な現実を前にシンは気の滅入りを体現したような声を洩らした。

 このみっともない様子から分かるように絶賛筋肉痛。ありていに言えば全身バッキバキだ。……体だけに。

 こんな調子では特訓に参加することはおろか歩くことさえままならない。


 (どうにかして明日までにこの痛みを取り除くか和らげるかしないと……)


 頭を悩ませるシン。

 ここでほとんどの人間が思いつくであろうサボるという消極的解決策が浮かばないあたり真面目と言うか、命令けいやくに逆らえない奴隷気質が未だ抜けきっていないように思われた。


 そんな折、ノックとともに部屋の扉が開かれる。


 「シンくん、フォルトゥナいるー?」


 入ってきたのは勿論、アストレアとその背後に付き従うカストル。

 二人とも顔に疲れの色が滲んでいるがシンと別れたから今まで働き詰めだったことを考えれば当然だろう。

 

 「お疲れ様ですアストレア様。私もシン君もいますよ」


 フォルトゥナが下に視線を落とす。そこには生ける屍がいた。

 そして、シンは恨めしそうな目でアストレアを見ている。


 「あ……」


 そんな目を向けられてアストレアは記憶の隅へと追いやっていた自らの薄情な行為を思い出した。

 そして、今更ながら沸いてきた気まずさとともに恐る恐る声をかける。


 「えっと……シンくん、大丈夫?」


 「これが大丈夫に見えますか?」


 そう口を尖らせて言うとプイッとそっぽを向いてしまう。

 その反応にアストレアは情けない声を上げ、許しを乞うように縋り寄ってくる。


 「怒らないでえええええ!わたしが悪かったの!わたしが悪かったからあああああ!」


 「……別に怒ってませんよ。拗ねてるだけです」


 「シンく〜ん……」


 「だから私は反対したんですよアストレア様。かつて同じように特訓を受けた経験があるのですからこうなることは想像がついたでしょうに」


 情けない主人の姿に苦言を呈すカストル。

 どうやらカストルがアポロに指南役を頼むことを反対していたのはシンへの嫌がらせだけが目的というわけではなかったらしい。


 「そして貴様、何故そんなことマッサージをしているのか知らんがさっさっと自分の『聖痕スティグマ』で治せ。そっちの方が早いだろう」


 「おれもそう思ったんですけどね……」


 そう指摘したカストルにシンは言葉を濁した。

 筋肉痛は運動によって傷付いた筋肉繊維を修復する際に起こる痛みだと言われている。そして、修復はされた筋肉繊維が修復以前のものよりも太くなり、筋肉がついてゆく。

 つまり筋肉痛とは体が鍛えられている証拠なのだ。


 《森羅万象救済す神変ワールド・セイヴァー》の治癒は『促進』で自然治癒を促すという能力のため、魔力で無理矢理傷を治す『聖痕スティグマ』と違い筋肉の成長を阻害することなく、痛みを取り除くことが出来る。しかし――、


 「もう魔力が特訓で底をついてしまったんですよ……」


 シンはで途方に暮れたように言った。


 「なっ……貴様の魔力量は規格外に多かったはずだぞ!それを一回の特訓で使い果たしたとはどういうことだ!」

 

 「すいません……おれ『身体強化』を使い始めたばかりだから魔力放出の加減が全然掴めなくて……」


 そして申し訳なそうにこうべを垂れる。

 『聖痕スティグマ』の使用にはそのエネルギー源たる魔力の消費が必要であり、その量は能力の規模が大きければ大きいほど増えていく傾向にある。

 とは言ってもただ魔力を垂れ流すわけではない。必要な分だけの魔力を放出して能力に変換する。この一連の行為を魔力放出と言う。


 これを上手くやらないと必要以上の魔力を消費してしまい、現在のシンのようにすぐ魔力不足となってしまう。

 故に能力者は魔力の無駄遣いをなくすために魔力放出の制御を会得しようとするのだが、これが中々に難しい。


 魔力放出の制御はほとんど経験が物を言うため、シンのような能力を使い始めた者が出来ないのは当然。ここにいるアストレア、カストル、フォルトゥナでさえ完璧に出来ているとは言い難い。


 「む……では、明日特訓に行く前に治すしかないだろう。一晩もすれば魔力の大半は回復するだろうしな」


 「やっぱりそれしかないですよね……」


 カストルの代替案にシンは諦めたように息を吐いた。

 本音を言えばアポロの過酷な特訓の前に魔力の消費は少しもしたくはなかった。

 だが、背に腹は代えられない。カストルの言う通り明日の朝『促進』で治すとしよう。


 「待って」


 その妥協に待ったをかけるようにアストレアが声を上げた。そして、《正義の女神ユースティティア》を顕現させるとシンの背中に手を伸ばす。


 「アストレア様?」


 「わたしの『聖痕スティグマ』《正義の女神ユースティティア》にはもう一つ能力があるの。それは他人に自分の魔力を還元することが出来るんだ。こんな風に」


 翳された掌が温かい光を纏い、シンのボロボロの体を包み込んでゆく。


 「あ……」


 体の中にアストレアの魔力が清流のように流れ込んでくるのが分かった。

 優しく、それでいて力強い命の躍動。それはまるでアストレアの在り方そのものを表しているようにシンは感じた。


 「《正義の女神の施しユースティティア・オブ・ライフ》。それがこの能力の名前。貴方はこれからも誰かに何かを与えられる人になって。この気持ちは紛れもない『正義』だとわたしは信じてる」


 迷いのない、真っ直ぐな瞳。

 それを見たシンは嬉しく思った。

 昨日、アストレアにかけた言葉は彼女をいい方向へ導けたのだと感じることが出来て。

 そして、言外に「あなたは"正義"だ」と言ってくれて。


 「ええ……分かりました。これに免じて見捨てられた件については見逃すことにしますね」


 そう意地悪げに笑ったシンにアストレアは短い悲鳴を上げ、再度縋り付いた。

 それによってシンのボロボロの体も悲鳴を上げたのは言うまでもないだろう。

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