第19話 スパルタ

 その後、なんやかんやあってアストレアの尽力(?)でフォルトゥナの膝から解放(?)された後、シンはアポロから気絶させたことについての謝罪を受けた。

 どうやら先ほどまでアポロはアストレアに気絶させたことをガン詰めされていたらしく、その様子はさながら罪人を糾弾する司法官のようだったと言う。


 シンは特段気にしていなかったので「こういうことには慣れているから平気です」と返したのだが悲しい顔をされた。

 そして、そんな謝罪を経て特訓が再開される。


 「何故、シン殿は負けたと思いますか?」


 「単純におれが弱かったからでしょうか?」

 

 特訓というのは何も実戦練習だけではない。理論を学び、知識を蓄えることも立派な特訓の一つである。

 現在は行っているのは先程の組み手の反省会だ。


 「それは少し違います。貴方の『聖痕スティグマ』は強い。多くの能力者を見てきた私が言うのですから間違いありまぬ。しかし、貴方は別です」


 「それはどういう?」


 「『聖痕スティグマ』が強力な一方で貴方自身は弱い。分かりやすく言うならば貴方は自身の能力を使い熟せていないということです」


 投げかけられた厳しい言葉にシンは押し黙る。

 実を言うとシンは自分がある程度戦えるという自負があった。

 何せ自分はあのアストレアと互角に渡り合ったのだから。


 アストレアの正確な実力を測れているわけではないが、星乙女騎士団という軍団のトップの座に就いており、階級は少佐。弱いと考える方が不自然だろう。

 そんなアストレアと戦えたのだから自分にも相応の実力があるとシンは思っていた。

 しかし、そんな驕りを一蹴するかのようにアポロはシンのことを弱いと言ったのだ。


 「そこらの雑兵が相手であれば貴方の方が強いでしょう。ですが、真の強者が相手であれば話は別です。聖痕ぶきを使い熟せていない者が修練を重ねた者に勝てる道理は有りません。これは剣や槍を扱う場合も同様です」


 今までシンは『聖痕スティグマ』には優劣があり、優秀な『聖痕スティグマ』を授かった者が強者と言われるのだと思っていたのだが、歴戦の猛者であるアポロの考えはすこし違っていた。


 「『聖痕スティグマ』が人を強くするのではありませぬ。人が『聖痕スティグマ』を強くするのです」


 「人が『聖痕スティグマ』を強く……」


 その一言にはアポロがこれまで語った全てが詰まっているような気がした。

 アポロは『聖痕スティグマ』は剣や槍などと同じ武器のようなものだと言う。

 例え全てを斬り裂く名剣を持っていたとしても使い手がボンクラなら宝の持ち腐れ。相手が普通の剣だとしても負けてしまうだろう。

 逆も然りで棒切れであっても持ち手が達人であれば、鋼の武器にだって勝つことが出来る。


 それならば『聖痕スティグマ』も同じように使い手によって強くも弱くもなるのはアポロの言う通り道理だ。

 何故『聖痕スティグマ』のみを特別なものだと思っていたのだろう。


 「じゃあ、どうすればおれは強くなれますか?」


 「そうですな……シン殿の能力は複雑が故、手探りで特訓を進めることになるでしょうが、格闘術と武器の扱いを学ぶことは確定です」


 予想外の返答にシンは少々面を食らった。

 何故、『聖痕スティグマ』を強くするのに格闘術と武器の扱いを会得する必要があるのだろうと。

 その疑問に答えたのはアポロに代わってアストレアだった。


 「わたしたちは戦いを生業としている以上、必ず勝たなくちゃいけない。……例え『聖痕スティグマ』が使えなくなったとしても」


 その言葉にアポロは深く頷き、シンはハッとさせられた。

 命を賭けた戦いにおいて敗北とはそのまま死を意味することになる。

 熾烈を極める戦闘の中では何らかの要因によって『聖痕スティグマ』が使えなくなる事態も十分にあり得るだろう。

 そんな時に「『聖痕スティグマ』が使えないから戦えませんでした」などは言い訳にすらならない。戦う手段を失えばその時点で詰みなのだ。


 しかし、何も『聖痕スティグマ』だけが戦う手段ではない。そして、その戦う手段を増やすことが勝率を高くしてくれるのだ。

 『聖痕スティグマ』を失えば剣で、剣を失えば拳で、拳を失えば足で――意地汚いと言われようとも卑怯と罵られようとも勝たねばならないのだ。


 「そもそも、シン殿の『身体強化』と白兵戦向きの能力ですからな。習っておいて損はないでしょう。有用性については私自身が証明した通りでございます」


 証明、とは言うまでもなく先程やった組み手のことだ。

 『聖痕スティグマ』を使ったシンをアポロは素手でいなし続けた。

 次々と繰り出した打撃を躱し続けそして――


 「なぜ……あの蹴りを躱すことが出来たんですか?」


 最も衝撃を受けたあの場面。

 勝利を確信して放った蹴りを躱されたことがシンには不思議でならなかった。

 それに対してアポロはなんてことのないように答えた。


 「蹴りを放つ直前、足に目を向けたでしょう?」


 「あ……」


 そう指摘され、シンは思い返す。

 確かにあの時自分は足に視線を移していた。

 だが、それはほんの一瞬。今こうして指摘されるまでシン自身も忘れてしまうほどの一瞬の出来事だったはずだ。


 「勝負は純粋な戦闘能力が高い方が勝つとは限りません。これは自論ですが、真に明暗を分けるのは洞察力だと私は考えています」


 「洞察力……」


 「相手のあらゆる動作から情報を読み取ることで次の行動を予測して隙を突く――隙を作る、と言った方が適切かもしれませぬな。ただ闇雲に拳、剣を振るっているだけでは斃せる敵などたかが知れてますぞ。頭を使うのです」


 「…………」


 例え力の勝る者であっても負けることはある。

 それは技術だったり、あるいは運だったり、あるいは体調コンディションだったり、あるいは周囲の環境だったり、あるいはアポロの言う洞察力だったり――ともかく様々な要因によって勝利の天秤は傾き方を変える。

 世の戦士たちは皆、常にそれらを意識しながら戦いに身を投じていたのかとシンは感服すると同時に実感した。

 自分がまだまだ未熟者であることを。


 「……アポロさん、おれに教えて下さい。戦う術を、知恵を」


 真っ直ぐ目を見据えて教えを請うたシンを見てアポロは柔らかく笑った。

 その言葉が欲しかった、とでも言うように。


 「勿論ですとも」


 アストレアに頼まれたから、ではない。アポロは目の前の少年の指南役を自分の意思で引き受けた。


 「では、『鉄は熱いうちに打て』です。特訓を再開しましょう」


 「分かりました!何をするのですか?」


 「まずはこの庭を千周してもらいます」


 「…………ん?」


 聞き間違いだろうか?今とてつもない回数の周回を要求された気がするのだが――、


 「それが終わりましたら腕立てと腹筋を千回ずつやってもらいその後に素振りも千回して……」


 否、聞き間違いなどではない。

 更に言うならアポロの知っている数字が千しかない可能性すら出てきた。


 「勿論、その際に『聖痕スティグマ』を使ってはいけませぬぞ……なんですその親友に裏切られたかのような絶望の顔は?」


 「何でおれが身体を鍛える必要が……?」


 「能力を使い熟せるようにするためです。シン殿は組み手の際、身体の軸がブレておりました。あれは鍛え方が足りていない証拠です」


 身体強化系の『聖痕スティグマ』は能力者の元々の身体能力が高くなければ制御が難しくなる傾向がある。強すぎる膂力に身体がついていけないからだ。

 例えるなら重い鎧を纏って動き回るにはそれなりの筋肉が必要だということである。


 「さて、それでは再開しましょうか」


 そう笑顔で言い切るアポロ。

 しかし何故だろう。その笑顔にシンは命の危機にも似た何かを感じ取っていた。


 (殺される……このスパルタ特訓を受けさせられたら殺されてしまうッ!)


 この難を逃れようとシンは周囲を見回し――アストレアに視線を向けた。

 そして目だけで「助けて下さい!」とSOSを送る。しかし――、


 「あ……わたし仕事でそろそろ行かなくちゃ……それではアポロお爺さま、シンくんをよろしくお願いします。……くれぐれもお手柔らかに……フォルトゥナ、あとはお願い!」


 アストレアはそう言い残すと逃げるように立ち去ってゆく……。「ごめんなさい」という目を一瞬向けて。

 カストルもアストレアの後ろに続くが、一度シンの方を振り返ると同情と憐れみのこもった顔を向けてきた。


 「…………」


 その二人の反応だけでシンはこれから体験するであろう特訓の過酷さを悟った。

 だが、まだ希望は断たれていない。無慈悲にも逃げたアストレアが唯一残してくれた助け舟フォルトゥナがいる!


 「フォル……」


 「シン君、頑張って下さいね!応援していますから」


 「………………はい」


 いつも通りの笑顔でエールを贈るフォルトゥナにそう答えるしかなかった。

 もう、これらから待ち受ける特訓じごくから逃れる術はない。

 全てを諦めたシンは人間的思考を消失させ、鉛のように重くなった腰を上げた。

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