第15話 森羅万象救済す神変

 「あ!来たわねシンくん、フォルトゥナ」


 馬車で到着した王国神秘研究所。その一室である待ち合わせ場所の部屋で二人を出迎えたのは、昨晩のことなどなかったよう快活に振る舞うアストレアだった。その背後には当たり前ようにカストルが控えている。

 呼び出した張本人であるヴァルカンは部屋の中央にある椅子で座って待っていた。


 「アストレア様?何故ここに?」


 シンが首を傾げるとアストレアは心外とばかりに眉を寄せる。


 「わたしは貴方の保護者よ?だったら、貴方のことを知る必要があるだからこうして来るのは当たり前じゃない」


 「はあ……」


 「さて、みんな来たということで今回の解析で判明したシン君の『聖痕スティグマ』の詳細を説明していこうと思う。さ、席に座って」


 ヴァルカンが手を叩き、シンは促されるまま席に着く。

 席順はシンを左右に挟む形でアストレアとフォルトゥナ、アストレアの横にカストル、そして、その四人と机を挟んだ正面にヴァルカンと言った感じだ。


 「結論から言ってしまうとシン君の『聖痕スティグマ』《森羅万象救済す神変ワールド・セイヴァー》はズバリ生命の源である『生素プネウマ』に干渉する能力だったのさ」


 ビシィィッという効果音が聞こえてきそうな指差しとともに告げられた《森羅万象救済す神変ワールド・セイヴァー》の真実。

 だが、当の持ち主のうりょくしゃはいまひとつ分かっていないようで反応が薄い。


 (当たり前のように言ってるけどそもそも生素プネウマってなんなんだ?)


 そんなシンの考えが顔に出てたのかヴァルカンは説明を補足した。


 「失敬、『生素プネウマ』とは簡単に言うと生命活動を手助けする非粒子物質のことだ。まあ、要するに魔力みたいなものだと思って。遺伝子情報とも言えるかもしれないけどね。まあ、そこはいいや。『生素プネウマ』は魔力と違って人間はもちろん、どんな生物でも大なり小なり持っているものさ。生きていくのに必ず必要だからね。これには成長や傷の治りを早くしたり、身体能力を向上させたり、細胞の増殖や活動を活性化させる作用があることが分かっている」


 研究者らしく少々早口な説明だが、不思議と聞き取りにくくはなかった。

 恐らくヴァルカンも専門用語を使わない心掛けているのだろう。シンでも分かるように噛み砕いて説明してくれているのが分かる。


 「つまり《森羅万象救済す神変ワールド・セイヴァー》の能力は『生素プネウマ』を使っていたということですか?」


 「そう!察しがいいね。まあ、それを君は自覚してやっていたわけではないみたいだけど」


 「はあ……」


 その後も続いたヴァルカンの説明をまとめるとこうだ。


 一、成長の『促進』は植物細胞を活性化させることで植物を急成長させており、体の外傷を治癒出来るのも同じ自然治癒力を活性化させているためである(つまり『促進』と『治癒』は本質的には同じ能力と言える)。


 二、生命体の『創造』は対象の遺伝子情報をコピーすることで同一の細胞を生み出し、これを結集させることで同じ個体を生み出している(この応用で体の欠損箇所を生み出して『治癒』でくっつける事が可能)。


 三、更に『創造』の能力を活用して感染症のウィルスの遺伝子情報を解析し、その病原性を弱めることが出来ればワクチンを作ることも出来るかも知れない。


 四、『身体強化』は『生素プネウマ』で筋力を一時的に増大させると同時にそれに追いつけるよう骨格も同時に強化しており、その膂力は常人の数十倍以上はあると思われる。


 「正直驚いたよ。ほとんどの『聖痕スティグマ』はどのようなプロセスを踏んでその能力を行使出来るのかということを理論的に説明することは出来ないからさ。『聖痕スティグマ』を研究する神秘学師としては情けないことなんだけどね」


 肩を竦めるヴァルカンにアストレアは歴史に名を残す『大賢者』ハーミーズ・トートの有名な言葉を思い出していた。


 『この神秘に理屈や常識は通用しない。ただそこに空気のように当たり前にあるだけなのだ』


 この言葉から分かる通り『聖痕スティグマ』には元来の常識や物理法則と言ったものは通用しない。

 アストレアの《正義の女神ユースティティア》についても何故女神の姿を象っているのか、何故『悪』に対しての攻撃の威力が増大するのか、明確な答えを用意することは出来ないのだ。


 「色んな『聖痕スティグマ』を見てきたけど正直、こんなのは初めてかもしれないね。ちなみに紋様の位置はどこだい?」


 「右肩にあります。片翼の形で」


 「それは良かった。聞いといてなんだけどあまり紋様の位置を他人に言っちゃダメだよ」


 『聖痕スティグマ』を持つ者はその証が体のどこかに紋様として現れる。

 今でこそ『聖痕スティグマ』は能力の総称として使われることが多いが元々はこの紋様のことを指したという。


 そして、この紋様こそが魔力を生み出し、『聖痕スティグマ』の能力を行使可能とする源であり、これを傷付けられたりしてしまうと能力を使うことが出来なくなってしまう。

 故に能力者は紋様の位置を大っぴらに言うことを嫌う。特に腕や脚と言った切り落とされやすい部分に宿している者はその傾向が強い。

 また、信憑性は定かではないが、非能力者が紋様を移植すると『聖痕スティグマ』を使えるようになると言う噂もあるため、その体の一部は闇市場で高値で取り引きされていると言う。


 「これからどうするべきだと思う?」


 「『聖痕スティグマ』についての詳細は徹底的に伏せるべきでしょう。そうしないとシン君を利用しようとする輩がわんさか集まってくる」


 ヴァルカンの返答に深く頷くアストレア。シンの『聖痕スティグマ』の力のは一個人が持つにはあまりにも大きすぎる。そして、悪意を持つ者の手に渡れば良からぬ事態なることは容易に想像がつくことだ。

 そうならないようにシンは守らないといけない。


 「それでも、ずっとは出来ないわ。安全を保証するためにもシンくんは今後もわたしの下で保護を――」


 「いいえ、それだけでは駄目でしょう」


 フォルトゥナが首を横に振った。


 「駄目って言うのは?」


 「シンくんをアストレア様の下で保護するというのは賛成です。しかし、ただ守られているだけではいけません。彼に戦う術をを教えるべきかと。シンくんだって、大人になっても女の子に守られているのは嫌でしょう?」


 そうフォルトゥナが目を向けてくる。

 シンは今までの自分を思い返した。

 殴られて、奪われて、犯されて、支配された日々を。

 そして、思った。二度のあの日々には戻りたくないと。一人でも生き抜ける力が欲しいと。


 「はい、守られているだけなんてごめんです」


 その返答に満足したのか。フォルトゥナは目を細めて微笑んだ。


 「だが、誰に稽古を付けてもらうつもりなんだ?こいつの事情を考えると下手な奴に教わらせるわけにはいかんぞ」


 シンが能力者である以上、特訓は『聖痕スティグマ』を用いたものになるのが当然。

 しかし、『聖痕スティグマ』の詳細を容易に話すわけにはいかず加えてシンは王国民ではなく共和国の捕虜という立場。そんな人物に稽古を付けるなど誰も引き受けてはくれまい。


 アストレアが身元引受人だと明かすことで無理矢理引き受けさせることも出来るが、それはそれで王国の王女が一介の捕虜に入れ込んでいるように見られるので不味い(実際その通りなのだが)。相手に何かしらの疑念を持たれることは避けられないだろう。

 それらをカストルは危惧しているのだ。


 「つまり稽古を付ける人は口の固い人じゃないと駄目ってことだね?」


 「ああ、更に言うと腕の立つ者がいい。こいつの『聖痕スティグマ』を相手にするのはそこらの奴では心もとない」


 ポルクスの声にカストルが頷いた。

 相変わらずこの一人二役の光景には不自然だが、アストレア、フォルトゥナは勿論ヴァルカンまでもが何も言わない。


 「それなら適任がここにいるじゃない。ねっ!カス……」


 「お断りします」


 「まだ全部言ってない!」


 最有力候補だったカストルがアストレアの懇願を速攻で拒否。

 指南役探しに早々、暗雲が立ち込める。


 「そんなこと言わずにお願い!」


 「お断りします」


 「カストル〜〜!」


 尚も粘り続けるアストレアだが、カストルも頑なに態度を変えようとしない。

 これはカストルに頼むのは難しそうだとフォルトゥナ、ヴァルカンは肩を竦めた。


 「信頼出来るのは貴方だけなの!お願い!」


 「中々響く言葉ではありますが、頻繁に聞いているせいか有り難みに欠けますね」


 「ム〜〜……」


 「そんな可愛い顔しても……引き受けませんよ」


 頬を膨らませ拗ねた様子を見せるアストレアに改めて拒否権を行使するカストル。

 しかし、途中で空いた不自然な間や震えている語尾から科白に反して心は大分揺さぶられているようだ。


 「カストルがそのつもりなら仕方ありませんね。代わりのお方にお願いしに行きますか」


 やれやれと言った様子でそう零したフォルトゥナにアストレアは目を丸くした。


 「えっ、そんな人いるのフォルトゥナ?」


 「はい、アストレア様も面識のある方ですよ。きっと快く引き受けて下さることでしょう」


 「じゃあ、早速行きましょう!博士、お邪魔しました」


 「また来てね〜」


 善は急げとばかりにシンの手を引き、研究所を後にしようとするアストレア。

 それに続くように立ち上がったフォルトゥナは一瞬だけカストルに愉しげな目を向け――後に続いた。


 「何か嫌な予感がするぞ……」


 長年の顔見知りである同僚の不可解な視線にカストルは胸騒ぎのようなものを覚えながら後を追いかけた。

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