第12話 王女の懊悩
ヴァルカンはフォルトゥナと駆け付けたアストレアにこっぴどく叱られた。
彼の奇行は今に始まったことではないらしいがだからと言って容認するわけにはいかない。
二人の説教は非常に無駄がなく要所をまとめたぐうの音も出ない正論だったが、ヴァルカンのしでかしが多岐に亘ったことに加え、無駄な抵抗を試みたため、長時間続いた。
その間、シンは剣で殴り飛ばしてしまった諜報局員に謝罪の言葉を入れていたが「お互い被害者だ」と疲れた顔で許してくれた。
説教が終わるなりヴァルカンはシンを王国神秘研究所連れていき、床、壁、天井と全てが白に塗り潰された無菌室に押し込めた。
一瞬、実験のモルモットにされるのかと警戒したがヴァルカン曰く「《
シンはその言葉を全面的に信用したわけではなかったが隣で目を光らせているアストレア、フォルトゥナがいたので素直に協力することにした。
外が暗くなる頃にようやく解放されたシンはその後、念には念を入れて保護すべきというアストレアの意見により彼女が所有する屋敷に預けられることになった(カストルは当然猛反対していたが)。
「…………」
そして現在、シンは自室として充てがわれた部屋で一人縮こまっていた。
広くはないが天井があるおかげで手狭な感じはせず清潔な上に大きなベッド、机やテーブル、クローゼットと言った家具から小物まで過不足なく揃っている。
部屋に文句はまったくない。
しかし、今まで奴隷として劣悪な環境で暮らしてきたせいで、このようなちゃんとした部屋にいることが落ち着かなくてしょうがないのだ。
「……寝よう」
こういう時は寝るに限る。嫌なことも不安なことも落ち着かないことも寝ている時は忘れられるのだ。
既に風呂には入ったし、寝巻きにも着替えている。
そんな逃避案がシンの頭の中で全会一致で可決され、腰掛けていたベッドに横になろうとする。
「シンくん、起きてる?」
そこへノック音とともにドア越しにアストレアの声がかけられた。
「起きていますがどうしましたか?」
「ちょっと話したくて。入っていい?」
「大丈夫ですけど……」
シンの了承とともにドアが開けられ、アストレアが姿を現す。
アストレアを見たシンは頬を赤く染めると目を伏せた。
アストレアの格好は先程まで着ていた軍服ではなく、薄手のネグリジェになっており、胸元が大胆に開いている。
あの子以外の女性と関わる機会に恵まれなかったシンにとって目の毒だった。
「……ごめんね。いつも堅苦しい格好ばかりだから室内では薄着でいたくて……こんなのしかなかったんだ……」
そう言いながらアストレアも無防備な自覚があるのか恥ずかしげに目を逸らしている。
「あと……見張りの人を除けばここは女性しかいないからあまり気にしなくて良かったし……」
「なら、せめて上に何か羽織ってください」
下を向いたままシンが言うとアストレアは盲点だったとばかりに目をパチクリさせ、部屋を出た。
しばらくすると寝巻き用のカーディガンを上に着て、再び部屋にやって来た。
わざわざ自分で取りに行かないで使用人にやらせれば良かったはずだが、そんなことが思いつかない程度にはアストレアはテンパっていた。
「隣……いい?」
「はい……」
アストレアがベッドに腰を下ろす。
それでも相変わらず二人の間には気まずい沈黙が漂っていた。
ついこないだ死闘を演じたばかりの間柄と考えればこの距離感も不自然ではないのだが、それにしてはどこか甘い雰囲気を漂わせている気もする。
「……屋敷には慣れた?」
先に口を開いたのはアストレアだった。
「……全然です。何もかも違いすぎて……」
「そう……でも、慌てなくていいわ。ゆっくり、慣れていけばいいから」
「ありがとうございます。……ところでこれからおれ、どうなるんでしょう?」
「大丈夫よ。貴方が前にいたような環境に晒すことは絶対にしない。約束する」
「ありがとうございます……」
こうして二人は当たり障りのない会話をしばらく続けた。
緊張を解くという目的もあるのだろうが、アストレアはその会話中でシンの
シンもそれには気付いていたが、共和国で関わってきた輩のような悪意や邪気がアストレアには感じられなかったため、気にすることなく会話を続けた。
「本当に凄いですねアストレアさんは。自分の中に確固たる信念があってそれを貫いているなんて……何も考えずのうのうと流されるがまま生きてきたおれとは大違いです」
アストレアの掲げる正義とその理想を聞いたシンは自嘲するように言った。
シンの緊張は大分薄まっており、ただ返事をしたり相槌を打ったりするだけではなく、こうして自発的に話す回数も増えている。
それを聞いたアストレアは暫しの間、口をつぐむと意を決したように問いかけた。
「じゃあ、あなたは正義ってなんだと思う?」
漠然とした問いかけに意図が分からず、シンは黙り込む。
だが、その縋るようにも聞こえる口調にこの問いこそがアストレアがここへ訪ねてきた本題であると感じ取った。
「とても難しいですけど……やっぱり弱い人や困っている人を助けたり、逆に悪いことしてる人を懲らしめたりするような――正しいことをすることじゃないですかね」
故に言葉を選びながら、自分の考え得る限りの正義の定義について語ってみせる。
しかし、アストレアの顔は浮かない。
「……どうかされたんですか?」
その理由がどうしても分からないシンは怒鳴られるのを承知の上で尋ねてみた。
アストレアは怒鳴るわけでもなくしばらく無言を貫いたが、やがて観念したように語り始めた。
「わたしと戦った時のこと、覚えてる?」
「勿論です。あの天秤の女神の『
「じゃあ、あの光の攻撃……《
シンは頷いた。ずっと疑問に思ってた。
シンには擦り傷の一つも付けず、アストレアにのみダメージを与えたあれは何だったんだろうかと。
「あれはね攻撃対象が『悪』であればあるほど大きな効果を発揮するの。これを使ってわたしは今まで多くの敵を倒してきた」
ここでアストレアは一度言葉を区切ると自分を落ち着かせるように息を吐く。
「わたしはこの能力に相応しい――『正義』になるために日々努力してきた。そして、自分は『正義』だと思っていたの。でも……それはわたしの幻想だった。わたしは、知らず知らずのうちに……『悪』になってしまっていたの」
シンはアストレアの言いたいことを理解した。
要するに『悪』を裁き、『正義』にダメージを与えないはずの力が自分を傷付けたことがショックだった。そして、傷付かなかった
「もうわたしには分からないの……わたしが求めていた正義がなんだったのか……今までやってきたことは本当に正しかったのか……」
そう力なく言うアストレアはまるで路頭に一人、帰るあてもなく佇む迷子の少女のように見えた。
彼女どのような言葉をかければいいのか。シンには分からなかった。
「おれは……悪いことをした人が必ずしも『悪』だとは限らないと思います」
にも関わらず気がつくとシンは口を開いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます