第5話 正義の断罪
奴隷を王女の宝剣が貫いた。それが生み出した傷口からは剣先が生え、赤い命で濡れている。
躱すことも出来ぬままその身に刺突を受けた奴隷は痛みに耐えかねたように小さく唸った。
しかし、その鋼が奴隷の命の鼓動を――息の根を止めることはなかった。
「ぐうう……」
シンが苦悶に顔を顰める。その左腕には突き出された剣が突き刺さっていた。
咄嗟に左腕を盾にすることで心臓を庇い、致命傷を避けたのだ。
一方で、残った右腕はと言うと剣の持ち主である王女の細い首に伸ばされ、その喉笛を締め上げていた。
「ううっ…………」
右腕に力が入り、気道が締め上げられる。
声にならない喘鳴を洩らしながらアストレアの目から急速に光が失われてゆく。同時に体内の酸素も減ってゆく。少年の心臓を貫こうにも腕に力が入らない。剣を手放さず握れていること自体、既に奇跡に等しかった。
そして、次第に希薄になってゆく意識とともに命の灯火が消えようとして――、
「
最後の力を振り絞るように、今にも首にかけられようとしている死神の鎌から懸命に逃れるように自らの『
そんなアストレアの叫びに応えるように引き離された《
そして、二つの光は一つとなってシンとアストレアへ流星の如く降り注ぐ。
(この人……相討ちするつもりか!?)
そう戦慄したシンだったがアストレアは自分が死ぬことはないと確信していた。
なぜならアストレアには自分が"正義"であるという自負があったからだ。
《
そして、この極光はその在り方を如実に示したものだった。
それは『悪』に対してより大きな威力を発揮するというもの。それは逆説的に『悪』の反対である『正義』に対しては威力を発揮しないということでもあった。
正しき者を尊び、悪しき者を挫く裁きの極光は正義には効かず、悪のみを誅する。
これが《
アストレアの目指す理想そのものだ。
「っ……!」
シンはアストレアの首から手を離し、飛び退こうとするも間に合わない。
断罪がそれを妨げるかのように直撃すると光で二人を包み込み、正義で地を満たした。落ちた光は『悪』を逃さないとばかりに輝き続け、やがて、収縮してゆく。
これにて
「…………え?」
しかし、アストレアは二つの思い違いをしていた。
一つは自分を『正義』だと思い込んでいたこと。
確かにアストレアは正しく生きてきた。
法は勿論、倫理に反する行いを忌み嫌い、王族という権威を振り翳して横暴に走ることもなく、特定の誰かを差別して虐げたこともない。むしろ恵まれない人々を救うために奔走し、数々の悪を屠ってきた。それは側からみれば『正義』そのものだろう。
だが――断罪の光はそう認めなかった。
「わ……たし……」
目の前の現実をアストレアは今まで信じていた教えを否定された信仰者のような顔で呆然と凝視していた。
アストレアが見つめ続けているのは体に刻まれた傷。今までシンと戦っていたのだから傷を負うこと自体は何らおかしなことではない。
しかし、アストレアが見ていた傷はシンによってつけられたものではなかった。
その傷は何を隠そう《
その受け入れ難い光景に意識が揺れる。
ダメージこそ大したものではないが、断罪の光が自分を傷付けたというだけで彼女を混乱の渦に追いやるには十分な衝撃だった。
「何なんだ……今の攻撃は……?」
そこへ自分ではない――シンの戸惑いの声が耳朶を打った。
声につられて顔を上げたアストレアは先程と同等かそれ以上の衝撃を受けた。
これが二つ目のアストレアの思い違い。
『正義』の使徒たる【星乙女騎士団】に歯向かい、彼らを傷つけた
しかし、彼は環境に恵まれなかったが故に"悪"に墜ちてしまった哀れな魂。故に
そんなある種、傲慢とも言える救済論を掲げ、少年を『悪』と断じた王女の思い違い。
これがアストレアに更に大きな衝撃を与えた。
「なん……で……」
その目線の先には何が起こったか分からず狼狽える
《
これを受けた共和国兵は戦えないほどの重傷を負い、中には死に絶えた者もいた。
大罪と呼べるほどの罪業を犯した者はその姿すら残さずこの世から消失した。
しかし、目の前の少年はどうか。
怪我の一つも負わないその姿はまるでその魂の在り方を示すかのように清らかだった。
この結果が表すのは
少なくともアストレアはそう感じてしまった。
アストレアの息が乱れる、視界が揺れる、感覚が消失する、世界が曖昧になる。
動揺して、動転して、狼狽して、戦慄して、錯乱して、混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して混乱して――
「あ……」
そこへ、シンの凶拳がアストレアの頭に炸裂した。
脳を激しく揺さぶられ、意識が遠のくのを感じながらアストレアは砂埃を立てて仰向けに倒れる。
それと同時に《
「はぁーっ……はぁーっ……」
アストレアを見下ろし、肩で激しく息をするシン。腕の刺し傷が気にならないほどの疲労が体にのしかかってくる。
だが、これであの子のもとに帰れる。
思わず笑みが溢れそうになるも、漂う煙に肺を刺激され激しく咳き込む。
早くここから脱出しなければ勝利が水の泡となる。
シンは倒れたアストレアに歩み寄ると右手で手刀を形作った。
「ごめんなさい。おれには帰りを待つ人がいるんです」
落とされる懺悔の言葉。
それとともに突き出される手刀。
次の瞬間、死の花が咲き乱れ
「……ぁ?」
間の抜けた声が洩れる。
声の主――シンがその黄色の双眸をいっぱいに見開き、硬直している。その瞳孔には膝立ちで
「……わたしにも帰りを待つ人達がいるのよ」
静謐な口調でアストレアは言い放った。
その空色の瞳には既に混乱の色はなく、意地にも似た感情が宿っているように見えた。
「がはっ……」
胴と口から血を噴き出し倒れ込むシン。
懸命に体を動かそうとするが力が入らない。 まるで血とともに生気も流れ出ているようだ。
「どうやらもう、怪我を治癒することは出来ないようね」
そう言うとアストレアは逆手持ちで剣先を倒れたシンに向けた。
「最期に……言い残すことはないかしら?」
感情を覗かない表情でアストレアが尋ねた。
そんな死刑宣告に等しい言葉を前にしてシンが抱いた感情は恐怖でも後悔でもなく虚無だった。
望みを砕かれ、新たな望みに希望を見出し、遂にそれを掴む手前にまで漕ぎ着けたというのにあっさりと奪われる。
所詮自分は奪われ続けるだけ奴隷でしかなかったということなのだろうか。
「すぐ……殺して下さって結構ですよ……おれはもう、疲れました……」
投げ槍な口調で言うシン。その顔、声色には失望、諦めの感情が色濃く滲み出ていた。
その遺言を聞いたアストレアの顔が僅かに歪む。そして、長い――いや、実際は一秒に満たないかもしれない時間が過ぎ、剣が振り下ろされる。
そこでシンの意識は糸が切れたようにプッツリと消え失せた。
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