第6話 涙のワケ

 水中に沈んだ体が浮上するようにゆっくりと意識を覚醒させる。

 瞼を開けるとそこには見覚えのない天井があった。


 体を動かそうとするがまるで体が鉛になったかのように重い。

 辛うじて動く首を動かすとシーツが掛けられているのが見えた。

 どうやらシンはベッドの上で寝ているようだった。


 「おや?お目覚めになりましたか?」


 どこからか声がかけられる。ゆっくりと顔を向けるとそこには軍服の上に白衣を纏い、微笑を浮かべた女がいた。

 右側に髪が一房垂れた淡い水色の髪に小柄だが曲線のはっきりした女性らしい体付き、桃色の瞳の下に泣きぼくろのある美しい女だった。


 「……ここは?」


 「ザンザス王国の医療キャンプですよ。ここに連れてこられて私の治療を受けたんです。丸一日も眠っていたのでもう死んじゃったのかと思いました」


 女の説明でシンのこれまでの記憶が蘇る。


 ザンザス王国の?

 何故敵国に助けられている?

 いや、それよりもあの子は逃げられて――、


 そこまで考えたところでシンは固まって目を見開いた。


 「戦争はっ!? 戦争はどうなったんですっ!?」


 勢いよく体を起こし、女に縋り付く。

 しかし、散々酷使し続けた体が悲鳴を上げ、全身に痛みが駆け巡る。

 体がガクリと折れるがそれでもシンは女を離さなかった。


 「こらこら、ダメですよ〜? 勝手に動いちゃ。まだ安静にしてないと」


 白衣の美女は悪戯をする子どもへ優しく叱りつけるように言うと肩を押して、ゆっくりとベッドへ寝かしつけた。


 「戦争は一時中断になりました。王国軍は追撃を中止して全軍が撤退。今は様子見と言ったところです。どこかの誰かのおかげで」


 最後の一言にシンは「うっ」とえずく。

 どうやらシンが暴れ回ったことが原因で王国軍は共和国軍を逃してしまったらしい。


 申し訳なさそうにシンが小さくなっていると女は「フフッ」と笑った。


 「冗談ですよ。アナタが暴れなくても王国軍はきっと共和国軍の大半を逃したと思います。気にしないで下さい」


 これは嘘ではない。

 恐らくではあるが、あそこでシンが足止めをしなくても【星乙女騎士団】が共和国軍に追いつけたかは怪しいところだった。 

 女はシンへ近付くと安心させるようにその背中を摩った。


 「ありがとうございます。えっと……」


 「フォルトゥナ・エリカ・オブ・ブルースと申します」


 「フォルトゥナさん……おれはシンです。貴方が手当てしてくれたんですか?ありがとうございます」


 「いえいえ、お礼ならアストレア様に申し上げて下さい。私はただ応急処置をしただけなので」


 そのフォルトゥナの言葉にシンが分かりやすく驚いた表情を見せる。


 「アストレア……さんがですか?」


 「ええ、ボロボロの状態で《正義の女神ユースティティア》にアナタを担がせて」


 どうやらアストレアはあの後、自分を殺さず助けてくれたらしい。


 「何故、でしょうか?」

 

 「さあ? でも、アストレア様はお優しい方ですから。無理矢理戦わされているアナタを不憫に思ったのでしょう」


 そう言いながらフォルトゥナはベッド横に置かれている縦長のテーブルに食事を並べてゆく。


 「ところで……」


 そう付け加え、フォルトゥナは人差し指を顎に置き首を傾げた。


 「どうして泣いているんですか?」


 「……え?」


 意味が分からず訝しむシンだったが無意識に目元に手を遣ると微かに濡れた感触がある。

 どうやら自分は泣いていたらしい。


 「怖い夢でも見ちゃったんですか?」


 「……さあ、どうだったんでしょう」


 自分でも分からない涙にシンは喪失感のようなものを覚えながら答えた。


 「では、私はアナタが目覚めたのをアストレア様に報告してきますので、待っててくださいね。あと、そこに少しですが食事を用意しましたのでよろしければどうぞ」


 そう言うとフォルトゥナは足早に立ち去っていった。

 残されたシンはしばらくの間ボーッとしていたがやがて空腹を自覚すると恐る恐る用意された食事に手を付けた。


 ◇


 「前線の状況は?」


 「変わらず優勢を保ってはいます。しかし、どの隊も消耗している上、食糧が底をつきかけており、これ以上の進軍は厳しいかと――」


 「ここまで来て勝利を諦めろと言うのか!」


 「ここで進軍を強行したとしても無駄死にが出るだけだ!」


 撤退した後、王国軍首脳は軍が布陣するこの本陣に集まり、戦争の今後の是非を問う会議を開いた。

 しかし、会議は紛糾。多くの犠牲を覚悟して進軍を強行するか、これ以上の戦果を欲張らず兵を尊び、撤退するかで意見は真っ二つに割れた。


 「皆様! お静かに!」


 そこへ怒鳴り声とともに机を叩く音が響き渡る。

 声の主はカストル。置いていない左腕は首から布で下げられており、彼が怪我を押してこの会議に参加したことを物語っている。

 年上の将校らに対しても物怖じしないその態度は一同を黙らせるのに十分な覇気を纏っていた。


 「今は時間がありません。身内同士で言い争って頂くのは控えて頂きたく存じます」


 一転してカストルは落ち着いた声色で丁寧に言うと将校たちも頭が冷めたようで重く頷いた。


 「皆様方のご意見は尤もなものです。我々の勝利は目前ですが、既に戦争を続けるだけの物資が不足しているのも事実」


 王国は国土の大半が剥き出しの大地に覆われているため、農作物を育てるのが難しい環境となっており、それらを輸入品で賄っている。

 その反面、神秘技術や工業に優れており、最先端の兵器が揃っている。そのため備蓄が尽きる前に決着を付けるのが王国の戦争におけるセオリーとなっている。

 対する共和国は対照的に食料供給に優れている。それに加え、昨日の奇襲で戦力を削られたことで短期決戦が困難となったのだ。


 「アストレア様はどう思われますか?」


 「――――」


 だが、アストレアはカストルの声が聞こえていないのかぼーっとした様子で反応がない。


 「アストレア様?」


 「……あっ、ごめんなさい……この状況をどうするか、よね?」


 どこか憔悴した様子した反応を見せるアストレア。

 昨日から様子がおかしい。


 カストルは訝しんだ。

 おかしいと言えば昨日アストレアは敵の足止め役だったあの少年を何故か殺すことなく連れ帰ってきた。

 理由を尋ねても答えようとしない。

 あの少年と何かあったのだろうか?


 「どうか……されましたか?」


 「えっ!?なんでもないわよ……」


 「何かあるなら話して下さい。俺は貴方様の――」


 「きっとアストレア様はお疲れなのですよ」


 そこへこの場にいるはずのない者の声が聞こえた。

 声の方を向くとそこにはいつの間にか現れたフォルトゥナがティーカップに紅茶を注いでいる。


 「少し休まれては如何ですか?」


 そう言うとフォルトゥナは入れた紅茶をアストレアの前に差し出した。


 「フォルトゥナ、今がどういう状況か分かって――」


 「分かっていますよ。しかしだからと言って、今の状態でまともな話し合いが出来ると思いますか? アナタも皆様も連日の戦闘でまともに休んでいられないのです。建設的な話し合いを進めるためにもここは一度休息を取るのが必要です。違いますかカストル?」


 そう覗き込まれる運命すら見通すような瞳にカストルは短く呻いた。

 カストルとフォルトゥナは幼い頃からアストレアに仕える者同士でよく見知った仲である。

 しかし、実はカストルはフォルトゥナに対し苦手意識のようなものを抱いていた。


 人間離れした美貌にどこか本心を隠すような振るまい、そして歳に似合わない達観した思考。それら全てが彼女独特のミステリアスは雰囲気を醸し出しており、長年ともにいるはずのカストルでも為人ひととなりが掴めないのだ。

 そんな彼女を魅力的だと言う男は少なくないがカストルはそこに得体の知れない不気味さを感じていた。


 「……そうね。一度小休憩を挟みましょう。三十分後、またここに集合するように」


 アストレアはそう言うと一服とばかりにティーカップに口を付けた。

 一同は短く返事をすると張り詰めていた糸が緩んだように疲れ切った顔で部屋を出ていった。


 「それとアストレア様、彼が目を覚ましましたよ」


 フォルトゥナの報告を聞くとアストレアは軽く目を見張るも「ええ」とだけ答えた。

 「彼」とは勿論、シンのことだ。


 「では、早速会いに行きましょう。何か情報を聞き出せるかもしれないし」


 「はい、承知しました」


 飲み干したティーカップを置くとアストレアはフォルトゥナを引き連れ、軍幕の会議室から去っていく。

 だが、カストルはすぐにはその後に続かず、勘繰るような目をアストレアの背中に向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る