第4話 奴隷と王女
突如として現れたそれが何かシンには判断しかねた。
しかし、長く美しい金髪に起伏に富んだ体つきに布で隠された目元、簡素な白いドレスを纏ったシンの倍はある体躯からは隠しきれない神気が漏れ出している。これを女神と言わずして何と言おうか。
そして、女神が拳を人ならざる膂力を以って弾き返される。
その勢いを利用し飛び退くシン。
背後から殺気を感じたのはその直後だった。
裂帛の斬撃を体を反らして避けると髪が数本散った。あと少しでも反応が遅れれば首が飛んでいただろう。
「――っ!」
やはりと言うべきか、振り向くとそこには斬撃の主――アストレアが鋭い眼光をシンに向けていた。
この天秤の女神はアストレアの『
「アストレア様!」
「皆んな生きてる!?」
団長の戦線復帰にカストルが歓喜の声を上げるが、アストレアはそれに応える代わりに団員の安否確認を求める。
「はい! 重傷を負っている者もいますが、全員息はあります!」
「なら総員退却……してっ!」
カストルの肩を担ぐアドニスの返答を聞くと矢継ぎ早に退却命令を飛ばす。
しかし、アストレア第一のカストルは当然のように反発した。
「お待ち下さい! アストレア様を置いて逃げるなど……」
「早く逃げて! そうじゃないと全員焼け死ぬわよ!」
アストレアの必死な声にカストルは押し黙った。
真炎は既に周囲の木々に燃え移り火の海を形作っている。密林全体が炎に包まれるのは時間の問題だ。
ここにきてカストルは自分の浅慮を呪った。少し考えれば自分の真炎がこの密林を焼き尽くすなど分かっていたはずなのに。
「わたしはあの子を倒してから後を追うわ」
そんな胸中を知ってか知らずか、アストレアは安心させるような優しい笑みを向けた。
その笑みにカストルは下唇を噛み締める。
(そんな顔をされたら、従うしかないじゃないか……)
「……御武運を」
そう搾り出すように言い残すとカストルは隣のアドニスに頷きかけ、背を向けた。
「総員退却! すぐにこの森から退却せよ! これは団長命令である!」
満身創痍とは思えぬ声量でカストルが呼びかける。それが独断であると疑う者は誰一人としていない。
だが、その顔には先程のカストルと同じように迷いが浮かんでおり、本当にアストレアを放って逃げて良いものなのか不安に感じていた。しかし――、
「アストレア様を信じろ」
迷いを断つにはその一言だけで十分だった。
静かだが確かな信頼のこもったその言葉に騎士達は力強く頷くと王女に背を向け、炎の森を駆け抜けていった。
「……貴女は戦うつもりですか?」
逃げていく【星乙女騎士団】をシンは追おうとはしない。
シンの目的は少女を守ること。そして星乙女騎士団にはもう追撃を仕掛ける余力な残っていないだろう。
「ええ。まさかそんな力を隠し持っていたなんて、貴方ほどの脅威を見逃すわけにはいかないわ」
剣を構えたアストレアにシンは肩を竦めた。
どうやら逃がしてくれる気はないらしい。
「我が名はアストレア・ゲンチアナ・オブ・ザンザス!ザンザス王国第二王女にして【星乙女騎士団】団長也!」
「シン。ただの奴隷」
言わずとして知られた決闘の儀礼。
王女は己の在り方を誇示するように、奴隷は単調に名乗りを上げた。
立場も身分も対照的な二人だが唯一共通していることがある。
それは帰りを待っている者がいること。
王女は多くの同志が。
奴隷は一人の少女が。
二人は待っている者のもとへ帰るために戦うのだ。
「いざ尋常に勝負!」
アストレアの叫びと同時に決闘の火蓋が切って落とされた。
先に動いたのはシンだった。神速の速さでその矮躯を霞ませ、彼我の距離を無くすと力任せに拳を振るう。
しかし、その拳はアストレアに届くことはなく、《
その隙に背後に回り込んだアストレアは袈裟斬りを仕掛けるが、シンも同じように拳で打ち払う。
が、そこへ代わるように《
小手先での出方の探り合いや牽制など一切ない。
「くっ……」
《
示し合わせたかのような阿吽の連携にシンは迎撃に転じることも出来ず防戦一方になっていた。
一見、数の利を生かしたアストレアが有利な戦況。だが、その顔に余裕の色はない。
確かにアストレアの方が優勢に戦いを運んではいるが、手数の多さに反して決定打となる一撃を加えれずいるのだ。
勿論、攻撃が当てられていないということではない。しかし、シンの体を切り刻んだ傷は瞬く間に治癒されてしまう。
そんな熾烈な
周囲は既に火の海。燃え盛る灼熱の炎は勿論だが、脅威はそれだけではない。
火事が起こった際、最も多い死亡原因である一酸化炭素中毒だ。目に見える火は避けることが出来るが空気中に漂う不可視の気体を避け続けることなど出来ない。
例え勝負に勝つことが出来たとしても一酸化炭素が充満し、倒れれば全てが水の泡。
つまりこの仕合に勝利して且つここから脱出し生き残るには短期決戦で仕留めるしかないのだ。にもかかわらず――、
「えっ!?」
突如としてシンが戦闘を中断し、明後日の方向へ駆け出した。
(逃げた!?何で!?諦めた!?それとも誘導!?)
あらゆる疑問が頭の中を駆け巡るも次の瞬間には考えるのをやめ、その背中を逃すまいと《
その前に木の壁が立ちはだかった。
シンが
しかし、この程度でアストレアは止まらない。
《
足を止められた時間は一秒にも満たない刹那だったが、シンにとっては十分な時間だった。
「っ⁉︎」
アストレアが血相を変える。
壁が消えるとそこには
「はあああああああああっ!」
振り下ろされる木槌。直撃すれば命はない。
受け止めることすらも危険と判断したアストレアは《
振り下ろされた木槌は地面に叩きつけられ、地震と錯覚するほどの揺れを起こすと同時に爆風と言っても差し支えない火の粉の混じりの突風を巻き起こす。
体勢を崩し倒れるアストレアだが、危機管理を怠ることはない。
何かが迫り来る気配を感じ取ると即座に立ち上がる。
そして、気配のする方へ体を回転させると渾身の斬撃を繰り出し――、
「っ⁉︎」
剣を振るったと同時にアストレアは目を見開いた。
その空色の瞳に映るのは真っ二つに切断された布が巻き付けられた矢。
(フェイク⁉︎ まずっ……)
代わるように背後から砂煙を纏ったシンが姿を現し、刈り取るような蹴撃を繰り出す。
ほぼ不意打ちの一撃だったにも関わらず何とか反応しガードするアストレア。
だが、蹴りを受け止めた剣の柄が腹部に痛いほどめり込んだ。
「かっ……」
踏ん張りきれず、そのまま蹴り飛ばされるアストレア。
地面を凄まじい勢いで転がりながらも剣を突き刺すことで勢いを殺し、片膝を着いた体勢へ立て直す。
このままではまずい。すぐさま立ち上がり顔を上げるが――、
「あ――――」
目の前にシンがいた。
距離という概念を無視したかのように現れた少年がその細い首筋に手を伸ばす。
呼吸すら忘れて、アストレアはそれを拒むように手放さなかった剣をその心の臓に向かって突き出した。
一瞬の間も置かない反撃にシンの顔が驚きに染まる。
そして、剣先が吸い込まれるようにして胸に近づいてゆき貫くと青々とした葉に赤の斑を散りばめた。
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