第3話 まだ死ねない

 やはり自分は死ぬらしい。

 悲しげな顔で剣を突き出そうとするアストレアを見てそれを実感するが不思議と恐怖はなかった。


 本来自分の生き死にすら決められない奴隷が一人の少女を自分の命に代えて救うことが出来るのだ。我ながらよくやったと思う。

 シンは満足げに笑うと瞼を閉じ、迫りくる死を受けいれた。


 ――はずだったが再びあの言葉が甦ってくる。


 『絶対に生きて帰ってきて』


 あの果たすことの出来なかった約束の言葉だ。


 (おれは本当に彼女を救えたのか?)


 同時にそんな疑念が沸いてきた。

 自分がしたのは情報を洩らさなかっただけ。

 時間稼ぐという本来の目的、ましてや生きて帰るという彼女との約束も果たせていない。

 つまり自分はまだ何も為せていないのだ。


 そのことに気付くとシンは寒気に似たものを覚えた。

 何を自己満足に浸っていたのだろう。

 このままでは少女はアストレア達に殺されてしまう。

 そしてそれと同じくらいに今のシンは自分が何も為せないまま死んでしまうことに恐怖を感じていた。


 (いやだ……まだ死にたくない!勝って、あの子のもとに帰りたい!)


 その時だった。


 『ドクン』


 背中の『聖痕スティグマ』が脈打つのを感じた。枯渇したはずの魔力が満ちてゆき、体が温まってゆく。

 何が起こっているのか分からないが、やるべきことは分かっていた。

 シンは永遠にも思える時間の中で今にも自分の心臓を貫こうとしている剣先に向かって手を伸ばした。


 ◇


 「……!」


 手を貫かれながらも刺突を防いだシンにアストレアは驚きを隠さずにいた。

 手加減したつもりはなかった。

 だが、止められた。立っているのもやっとの重傷を負っている少年に。

 原因を探ろうとするアストレアだったがあることに気が付き、その思考は停止した。


 「左手……なんで……」


 なんとシンは失われたはずの左手でクラレントを受け止めていたのだ。更に言えば火傷やその他の傷も綺麗さっぱり消え去っている。

 そこへシンから落ち着いた、けれど強い決意のこもった声がかけられる。


 「ごめんなさい。やっぱりまだ死なないことにしました」


 刀身から滴る血が一滴の雫となって落ちた次の瞬間、アストレアは弾けるように殴り飛ばされた。


 「な……アストレア様ーーーーっ!」


 驚愕に目を剥く【星乙女騎士団】一同。

 拳を突き出すシンと飛ばされたアストレアを交互に見遣り、ようやく奴隷の少年が自分達の団長を殴り飛ばしたという考えに至る。

 しかし、理解よりも衝撃の方が勝り、一同は体を石像のように硬直させ、その場から動くことが出来ない。


 「貴様っ!よくもアストレア様を!」


 「兄さん落ち着いて!」


 そんな中、アストレアの腹心たるカストルだけが動いた。

 怒りに身を任せ、その感情を体現したかのような紅蓮の陽炎を生み出し、シンへ撃ち放つ。

 だが、その姿が何の前触れもなく消え失せ、行き場を失った陽炎が直撃した木を真紅に染め上げた。


 「なっ……」


 声を失うカストルだが気を抜かすことない。すぐに周囲を警戒し、消えたシンを探し出そうとするもーー、


 「兄さん!前!」

 

 突如としてシンが眼の前に現れ、大振りのパンチを繰り出してきた。

 回避は間に合わない。反射的に腕でガードに回るカストルだったが拳が直撃した瞬間、骨の砕ける音がはっきりと聞こえた。


 その出鱈目な膂力にカストルは目を剥くと同時に、じきに襲いくるであろう激痛を覚悟する。

 しかし、それよりも地から足が離れる方が先だった。

 体が浮遊感を覚えると同時に後方へ引っ張られる。

 腕が痛みだしたのは同時だった。

 否、腕だけではない。骨の砕ける痛みが伝播するように全身に駆け巡り、頭がショートする。

 それでも歯を食いしばり、何とか耐えようとするカストルだったが、そこへ止めとばかりに背中へ衝撃が走る。

飛ばされたカストルの体を一本の木が受け止めたのだ。

 だが、それで勢いは止まらない。

カストルの体はそのまま木を薙ぎ倒すと二本目、三本目とその数を増やしてゆき、五本目でようやく止まった。

 そして木に背中を預けたままカストルの体がゆっくりと倒れ込む。

 前髪で隠れたその目には既に光は宿っていなかった。

 「カストル!」


 団員の一人である緑髪の男――アドニス・グリーンウッドが動かなくなったカストルに駆け寄る。

 死んではないが反応がなく、右腕が砕けている。目が覚めたとしても戦うのは困難だ。


 ここで騎士たちはようやく理解した。

 先程と立場が完全に逆転したことを

 自分たちは目の前の少年と言う猛獣に狩られる運命を待つ獲物なのだと言うことを。


 「だからっておちおち大人しくやられる道理はないんだよなあ!」


 しかし、騎士えものは運命を受け入れなかった。萎えかけていた勇気を奮い立たせ、少年もうじゅうに立ち向かう。

 アドニスは手を掲げると植物を操る『聖痕スティグマ』《草木制御プランテーション》で周囲の葉を手裏剣のようにシンへ放った。


 シンはその場から飛び退き、葉を躱そうとするが下から体を引っ張られるような感覚を覚える。

 そんな違和感に目を落とすと、足元の雑草が逃すまいとシンの足に絡みついていた。

 それでも力任せに引きちぎり飛び退こうとするも縫い止められた一瞬は大きな隙となり葉の刃が直撃する。

 シンは顔を守るように腕で覆うがそれは視界を自ら捨てたのと同義。つまりは騎士たちに反撃のチャンスを与えてしまった。


 「今だ!かかれ!」


 アドニスが叫ぶと同時に団員達が一斉に反撃を開始する。

 ある者は炎を放ち、ある者は雷を轟かせ、ある者は激浪を噴かせ、ある者は風刃を薙ぎ、ある者は剣を閃かせ一気呵成にシンヘ攻め立てた。

 一人の人間に対しあまりに過剰な攻撃であるが、そう思う者はこの中に一人としていない。何故なら目の前にいるのはただの少年ではなく、自分達を喰らい尽くす猛獣なのだから。

シンはすぐに顔を上げるが既に騎士たちの多重攻撃は目と鼻の先にまで迫ってきていた。


 「――――ッ‼︎」


 身動きの取れない空中での攻撃に回避も出来ず直撃を許してしまう。

 そして巻き起こる手向けの花火。

 その光景に星乙女騎士団は勝利を確信し、声を上げる者やガッツポーズを決める者も見受けられる。

 だが、この状況にアドニスのみは引っかかりを覚えていた。


 (死体はどこだ……?)


 シンがいつまでも落下してこないのだ。

 辺りを見回しても見当たらない。

 空中で完全に爆散したのかとも思ったが、そんなわけがないと首を横に振る。


 (つまりはまだ生きている可能性が――)

 その時だった。


 「ぐあっ!?」


 喜んでいた団員の一人が呻き声とともに倒れた。

 何が起こったか分からず声を失う一同。

 そんな中、アドニスだけが動いた。


 「総員構えろ! まだ終わっていない!」


 その叫びの意味を理解した騎士たちは緊張感を取り戻すと、互いの背中を預ける形で円を作り、迎撃の態勢を取るが直後、更に一人の団員が弾かれ、倒れた。


 「クッ――! どこから――」


 「そこだっ! そこにいるぞ!」


 指を差しながら訴える仲間の声に皆が一斉に目を向けるがそこにシンの姿はない。

 しかし、アドニスを含む数人は確かに捉えた。視界も端で霞む残像を。


 「来るぞ!」


 息をつく間もなく、襲い来る雷速の残像。

 アドニスは繰り出された一打を辛うじて剣で受け止めたが、その衝撃に耐え切ることが出来ず背後の仲間を蹴散らしながら吹き飛ばされた。


 「がっっ……!」

 そのまま地面に叩きつけられるも、受け身を取りダメージを最小限に抑えることに成功する。

 そしてすぐに体を起こし追撃に備えようとするが、手にしていた剣が根本から折れていることに気が付く。


 「くそッ!」


 柄だけになった剣を捨て、視線を上げるとそこには倒れ伏す仲間達の中心で佇むシンがいた。

 背中と両手足に重傷を負っており、決して小さいダメージというわけではなさそうだが、あれだけの波状攻撃を受けて何故、生きているのか――、


 「まさかこいつ⁉︎ 体を小さくして――」


 攻撃が当たる直前、シンは体を小さく折りたたむことで直撃面積を少なくしつつ急所を守ったのだ。背中と両手足を犠牲にして。


 「《森羅万象救済す神変ワールド・セイヴァー》」


 だが、その傷もシンの『聖痕スティグマ』によって瞬く間に癒える。

 先ほどアドニスたちが負わせたダメージが一瞬で無に帰してしまった。


 「化け物かよ……」

 

 そんなタチの悪い悪夢のような光景に戦意が萎れてゆくアドニス。

 そしてそんな動揺は致命的な隙になった。


 「しま――――っ⁉︎」


 気が付くと眼前にまで迫ったシンが前傾姿勢で拳を構えていた。

もう回避も防御も間に合わない。

凶拳がアドニスの腹に吸い込まれるようにして迫り、走馬灯のプロローグが頭へ流れ出す。


 「ああああああああああっっ‼︎」


 しかし、それを遮るように二人の間を真炎が吹き荒れた。


 「――っ!」


 呑み込まれる寸前でシンは地面に踵をめり込ませ急停止をかけると後方へ跳躍。その最中でこちらを睨み付ける青年を視界に捉えた。


 「カストル!」


 間一髪でアドニスを救ったカストル。

 だが右腕はダラリと下がり、何度も強打された背中が痛むのか猫背の体勢で顔を顰めている。

 またいつ意識を失ってもおかしくない有様だ。


 「《真炎玉プロミネンス・ボール》!」


 それでも気を保ったまま、日輪の火球を次々と放つ。

 掠めただけでも大火傷を負う超高温の火球。それらをシンは不必要に思えるほどの間を空けて躱すと先の罠に使った石ころを拾い、擲つ。

 カストルはそれを日輪の炎で掻き消そうとするも弾丸のように次々と投げ続けられるそれらを捕捉し切ることが出来ず、直撃を許してしまう。


 「ぐ……っ!」


 頭に当たった一投が額から血を流し、目元を覆った。

 すぐさま血を拭い、視界を確保しようとするもその隙を突きシンが接近。蹴りを顔面に受けてしまう。


 「ごふっ!?」


 空中で回転しながら再度、木に叩きつけられる。

 今度は意識を手放さなかった。

 だが、カストルの身体はもうボロボロだった。攻撃するどころか指の一本すら動かせない。

 そこへ止めとばかりにシンが殴りかかる。


 「カストルーーーー!」


 先程は腕を犠牲にして助かったが、此度はその拳を妨げるものは何もない。

 防御しても尚、人一人を吹き飛ばすほどの威力。

 そんな拳を直接受けたらどうなってしまうかなど考えたくもない。


 カストルは死を覚悟した。

 しかし、目は逸らさなかった。

 倒れたまま、急速に近づいてくるシンを真正面から睨みつける。

 そして、正拳がカストルの身体へ叩き込まれようとして――、


 止められた。


 「‼︎」

止めの一打を防がれ目を見開くシン。


 一体誰が――


 そんな疑問とともに顔を上げるとそこには天秤と剣を携えた女神が佇んでいた。

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