19 調理場のママリア
19 調理場のママリア
「あの、すいません、食べものを……」
と調理場を覗き込んだ僕の額に、投石のような衝撃がガツンと襲う。
「ぎゃっ!?」とブッ倒れる僕と、「きゃっ!?」という悲鳴が交錯した。
「えっ、ボンドさん!? ごめんなさい! わたしったら、また……!」
いつまでも聞いていたいと思ったその声。
倒れた僕のまわりで天使があわててる。
「本当にごめんなさい! 包丁で指を切っちゃって、痛みを飛ばしたら、ボンドさんが……!」
ママリアさんの『いたいのいたいのとんでいけ』は治癒系の鼓動だ。
一瞬にしてケガが治るのでかなり強力なんだけど、治したケガの痛みを数倍に増幅したような負のオーラがどこかに飛んでいくという、諸刃の剣のような性質がある。
しかもママリアさんはノーコンのようで、飛ばす先がうまく制御できないらしい。
僕はママリアさんが切った指の痛みを額で受けたようだけど、幸いなことに少し腫れただけで血が出たりはしなかった。
「痛いですよね!? いますぐ治してさしあげますから……!」
「あ、大丈夫です! 僕は石頭なんで、このくらいなんともないですから!」
額はズキズキしていたけど、ちょっと無理して平気を装う。
また『いたいのいたいのとんでいけ』をやったら、さらなる二次被害が引き起こされるんじゃないかと思ったからだ。
ママリアさんは額の腫れを上目遣いでじーっと見つめていて、いまにも鼓動を使ってきそうだったので無理やり話題を変えた。
「ところで、ママリアさんはなにをしていたんですか?」
ママリアさんは名残惜しそうにしていたけど、僕の問いには穏やかな微笑みで答えてくれる。
「サンドイッチを作っていたんです」
そしてやにわに、僕に向かって白いツムジが見えるくらいに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ボンドさん」
僕は姉弟以外の誰かから、お礼を言われたことなんてない。
こんなに綺麗な人から頭を下げられるなんて初めてだったので、僕は驚きを通りこして怖れ多さを感じてしまう。
「なっ……なんですか?」
「すこし前に武器工房の前を通りかかったら、すごく元気そうなお声がして聞こえてしまったんです。いま思うと、立ち聞きなんてちょっとはしたなかったかもしれませんね」
照れるママリアさんは、花もはじらうほどに美しかった。
「ボンドさんが親方さんにエンチャントをされていたのですよね? ダマスカス鋼が加工できるようになったのはボンドさんのおかげです。本当にありがとうございました」
再びぺこりと頭を下げるママリアさん。それだけで僕はいてもたってもいられなくなる。
「今夜は徹夜でお仕事のようですね。わたしもなにかお手伝いできないかと思いまして、差し入れをお作りしていたんです」
見ると、調理台の上はできたてのサンドイッチで埋め尽くされていた。
それもハムを挟んだだけのような薄っぺらいサンドイッチじゃなくて、具だくさんで種類も豊富なやつ。
フルーツやサラダの盛り合わせなどもあって、財宝の山みたいに輝いている。
差し入れにしては豪華すぎると思うんだけど、ママリアさんは出来映えに不満な様子だった。
「でも、なんだか少し物足りないような気がしまして……。う~ん、もっとお肉とかがあったほうがいいんでしょうか……?」
僕も差し入れなら、アウトゾンデルックにいるときに幾度となく作ってきた。
そのときに培った経験をもとに、自分なりの意見を提案する。
「いえ、肉はサンドイッチにたくさん挟まってるみたいですからいいと思います。ここからなにか足したいなら、スープとスイーツです」
ママリアさんはちいさく小首をかしげ、「スープと、スイーツ……?」とオウム返しする。
その姿は、オウムというよりもカナリアみたいにかわいい。
「はい。スープは身体を温めるので力が出てきます。そして疲れた身体は甘い物が欲しくなりますから」
するとママリアさんは、「なるほどぉ……!」と感嘆のため息を漏らす。
胸の前で指を絡めるようにして両手を合わせ、大げさなまでの感激をあらわにしている。
「そ……それです! 足りないのはまさしくそれです! ボンドさんはすごいです! 本当にありがとうございます!」
倒木をつつくキツツキみたいに、ぺこぺこ頭を下げるママリアさん。
僕の脈はさっきから乱れっぱなしで、とうとう自分でもわかるくらい顔がカッカと熱くなっていた。
「あ、あの……やめてください。僕はすごくないし、お礼を言われるようなこともしてませんし……」
バッと顔をあげるママリアさん。その瞼はカッと開かれていて、宝石のような瞳がこれでもかと輝いていた。
「どうしてそんなに謙遜なさるんですか? ボンドさんは本当に、本当にすごい方なのに!」
ママリアさんは高貴な身分のはずなのに、距離感が八百屋のおかみさんっぽくて僕みたいなのにもグイグイくる。
花みたいないい匂いが迫ってきて、慣れない感覚に僕は思わず後ずさりしてしまう。
「いや、だって……僕のことをすごいだなんて言う人、いままで誰もいませんでしたし……」
「他の方がおっしゃらないなら、そのぶんわたしが言わせていただきます! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい! すごい!」
ママリアさんはすごいを連発したあと、「ボンドさんはほんとぉ~~~に……!」とキュッと目を閉じる。
胸の前で両手の拳を握りしめ、縮こませた身体を力を溜めるみたいによじらせたあと、
「すごい人ですぅぅぅぅーーーーっ!!」
ぴょこんと飛びあがって、星みたいにパーッと両手両足を広げた。
清楚でつつましやかな印象のある彼女がこんなにはしゃぐのは意外だったけど、その無邪気さは幼い子供みたいに愛らしい。
もはや僕の心臓は、天使の矢が刺さりまくった針山みたいになっていた。
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