09 ダマスカスライムとの戦い5
09 ダマスカスライムとの戦い5
い……いける……! このまま押し切ることができれば……!
そう確信したのは僕だけではない。
ダマスカスライムもダメージが蓄積しているのを感じ取ったのか、動揺するようにのたっていた。
いままでじゃれつくだけだった人間を、いよいよ敵とみなして動きはじめたんだ。
ダマスカスライムは上半身を固定させたまま、腕だけを動かしてパンチを放つ。
予備動作がまったく無いそれはそれはジャブのような速さなのに、エイトさんの顔面を歪ませるほどの威力があった。
寸分違わぬタイミングのワンツーパンチの連続が、エイトさんの顔を左右に大きくぶれさせる。
しかしエイトさんは怯まない。のけぞった勢いを逆に利用して倍返しのように斬りつけていた。
ついに、ダマスカスライムの身体の一部に裂傷が走る。血こそ出ていないが、ダメージが着実に蓄積している証だ。
エイトさんは唇の端に滲んだ血を、大好物のフルーツソースのように舐めとった。
「そうそう、これこれっ! クッソ
僕からすれば殴り合いというよりも、命を削りあっているかのようなすさまじさだった。
お互いの一撃はまともに相手を捉え、そのたびに生命力のかけらのような火花と血飛沫が舞い散っている。
その光景をダマスカスライムの背後で眺めていたシトラスさんは、
「ふたりの間に花が咲いてる……なんだか愛し合ってるみたいだねっ」
独特すぎる感想を述べていた。
両者は我の張りあいのような攻撃を続けているが、ヒット数ではエイトさんのがほうが上のようだった。
エイトさんは相手の一撃に対してかならず二撃以上、時にはその数倍の反撃で応じている。
ダマスカスライムも手数で劣っていることに気づいたのか、肩甲骨のあたりがボコンと変化。
背中から左右あわせて六本もの手を新たに生やしていた。
「ああっ、まずい! いくらエイトさんでも、八本の手で殴られたらひとたまりも……!」
「さっさとイカせようったってそうはいかないよ、こういうのはじっくりイカないと……ねっ!」
それまで高見の見物を決め込んでいたシトラスさんが両手をバッと前に出す。
すると袖のフリンジが投網のように広がって、ダマスカスライムの新しい腕を絡め取っていた。
フリンジはただの布にしか見えないのに、ダマスカスライムが力をこめても引きちぎれない。
しかしシトラスさんのほうが体重が軽そうなので、ダマスカスライムが力を込めて引っ張ったら引き寄せられるかもしれない。
でもよく見たらシトラスさんのヒザから下は石で固められていて、引っ張り合いにも負けていなかった。
シトラスさんはフリンジを操って武器にしているようだから、てっきりそれが鼓動だと思ってたんだけど……。
もしかしてあの石みたいなのが、シトラスさんの鼓動なんだろうか。
いずれにしても、ダマスカスライムの新手は文字通り封じられた。
蜘蛛の巣にからめとられたようになったヤツの攻撃も精彩を欠いている。
……この調子でいけば……勝てる、かも……!?
ほのかな希望を抱いた直後、僕の頬を鈍色の光線がかすめていった。
いまのはなんだったのかと思う間もなく、頬はカマイタチに襲われたかのように切り裂かれる。
金属どうしがぶつかりあう甲高い音が背後から響く。
おそるおそる振り向くと、見覚えのあるナイフが壁を穿っていて、ようやく事態が飲み込めた。
目に映ったのはほんの一瞬だったけど、いまのはダマスカスライムからの攻撃だった……!
運良くカスっただけだったから良かったものの、もしまともに当たってたら、今頃は……!
いきなり、死の恐怖が僕の元へとやってきた。
死神の冷たい手で撫でられるように背筋が凍りついていく。
なんとか生きて戻れるかもと思ったけど、それはエイトさんやシトラスさんレベルでの話だ。
僕のレベルだと、ダマスカスライムの攻撃すらまともに認識できなかった。
ということは、僕はこの空間ではいつ死んでもおかしくない。
ゾウどうしの戦いの横を通り過ぎようとしたアリが踏み潰されて死ぬように、なにかのついでのように殺されてもおかしくないといということだ。
この空間でいま行なわれていることは、僕なんかが及びもつかない異次元の戦いなんだと、いまさらながらに思い知る。
僕は人知れず震えあがっていたんだけど、シトラスさんは勘違いしていた。
「へぇ、あの攻撃を前に逃げ出さないなんて、キミってば結構やるじゃん! 身体は小指サイズだけど、アッチのほうは極太だったんだねっ!」
「ち……違います……! 攻撃が速すぎて動けなかっただけなんです……!」と言いたかったけど、震えるあまり言葉が出てこなかった。
いや、いまはそんなことはどうでもいい。
問題なのは、ダマスカスライムが僕のエンチャントに気づいたのかもしれないということだ。
スライムはゴブリンやオークなどと違って知能は持っておらず、生存本能だけのモンスターのはず。
だがモンスターというのは基本的に、強ければ強いほど賢くなる傾向にある。
ドラゴンをはじめとする伝説級のモンスターのほとんどは、人間以上の知能を持っているという。
そう考えるとダマスカスライムにも知能があり、僕のエンチャントを阻止することを考えたとしてもおかしくはない。
その予感が的中した瞬間、僕の精神は極限状態に達する。
ダマスカスライムの肩のあたりが尖っていき、僕に向けて射出されるまでの一部始終がスロモーションで見えていた。
撃ち出されたナイフは、水の中を進んでいるかのようにゆっくりと飛んでくる。
鋭利な鼻先を持つサメのように、空気を押しのけながら鷹揚に迫りくる。
に……逃げないと……! でも、身体が動かないっ……!
このままじゃ、やられるっ……!
そのナイフは刃がギザギザで、空間を削りとるようにして近づいてくる。
初弾はギリギリ頬をかすめただけだったけど、今度のは僕の胸にむかってまっすぐ飛んできている。
そのせいで、僕の寿命も現在進行形で削り取られていた。
着弾までの距離が5メートルくらいになり、僕は今度こそ本当に最後の時を意識する。
お……終わった……! だけど、エンチャントだけはあきらめないっ……!
最後の最後、息絶える最後の瞬間まで、エンチャントを続けてやるっ……!
この命を引き換えにしてでも、エイトさんたちに勝利をもたらすんだっ……!
だって……それが僕にとって、最後にできるたったひとつのことだから……!
いよいよになって、僕は別の意味で覚悟を決める。
カッと目を見開き、最後まで戦いを見届けると決意……したのに、影が立ちふさがった。
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