眠らないことを選ぶというのは

洞貝 渉

眠らないことを選ぶということは

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 

 わたしが目覚めた施設に置いてあった本には、そう書いてある。

 どの本を読んでみても、最後は必ずその一言だ。

 そうして人類は永遠の眠りについた。そうして人類は永遠の眠りについた。そうして人類は永遠の眠りについた。

 施設内を探索するに2日ほどかかった。

 本に書いてある通り、人類は永遠の眠りについているらしい。もはや腐る肉もない、骨と皮だけのミイラ状態になった人類が施設内にたくさんあった。

 そうして人類は永遠の眠りについた。そんなことは本を読むまでもなく、よくよく知っている。

「ほら見てよ、ビディ。この本も他の本と同じで全然役に立たない!」

 わたしが知りたいのは、その人類の中にわたしが入っていないのはなぜなのか、どうすればその人類の中に仲間入りできるのか、ということだ。

 白を基調としていたらしき室内には数年分の埃がつもっていて、全体的に灰黒くなっている。少し動くたびにそれが舞い踊り、視界が塞がれた。

 何年も前、わたしもみんなと一緒に眠りについたはずだったのに。

 なのにたった一人、なぜか目覚めてしまった。

 知りたいことに関してはなにも答えてくれないビディに役に立たない本を押し付けて、わたしは気が滅入るばかりの施設から出る。

 外は今日も快晴だ。

 わたしが目覚めてからの数日、ずっとこんな陽気な天気が続いている。

「せっかくこんなにいいお天気なんだから、ちょっと散歩してみようかな」

 運が良ければ、わたしのようになぜか目覚めてしまった人類に遭遇できるかもしれない。

「お出かけですか?」

 ビディがわたしを追って、施設から出てきた。さっき押し付けた本を持ったまま、家事代行アンドロイドのビディは滑らかに言葉を紡ぐ。

「どこに行かれますか? いつお戻りになられますか? 私に何かご要望はありますか?」

「どこに行くかは未定! 戻るタイミングも未定! 要望は……そうだなあ、じゃあ、もしよかったら一緒に散歩する?」

「ご要望承りました。ところで、こちらの本は持っていかれますか?」

「いらない! あなたにあげるから好きにしていいよ」

「……」

 ビディは少しだけ固まってから、おもむろに両の手で本を持ち直した。まるで宝物でも抱くみたいに、大切そうに、きゅっと。


 ビディはわたしのアンドロイドではない。

 たくさんあるミイラたちの中の一人に、寄り添うようにしてシャットダウンしていたのをわたしが起動させた。まさか本当に起動するとは思わなかったし、その後わたしを持ち主と誤認するとは露ほどにも思っていなかった。

 ビディによると、シャットダウンしてからわたしが起こすまでの時間が3年と7か月だったらしい。

 つまりわたしは、3年と7か月は人類と共に眠っていたということだと思う。

「いい天気だよね、ビディ?」

「今日の天気は晴れです。洗濯にはうってつけの日ですね」

「でも、それ以外はなんにもないよね、ビディ?」

「倒壊した建物や、土壌の悪い地でも育つ雑多な草があります」

「そう、人のいそうな気配が全くないの!」

「人類は眠りにつきました。このまま真っすぐに行くと、海があります」

「海?」

「海の向こうにも陸があり、やはり人類が眠りについています」

「海の向こうかあ」

 もともとはきちんと舗装されていたであろう地割れだらけの道を、わたしとビディはざくざくと歩く。

 そのうちに、空気に含まれる塩っ気が増してきて、ちょっと不快に感じる。来た道を戻ろうかとも思ったけれど、戻ったところで何もない。わたしたちは無言で歩き続ける。

 海辺の砂浜が遠くに見えてきた。

 けれども、そこまで続く道が見当たらない。

 海はもう目の前にあるのだけれど、足下には断崖絶壁。その真下には荒れた波が砕けるばかりで。

「海の向こうにも、人類はいるんだよね、ビディ?」

「はい」

「みんな眠ってるのかな」

「はい」

「一人くらい起きてる人、いるんじゃないのかな?」

「いいえ」

「でも、わたしは起きてるよ」

「はい」

「海の向こう、行ってみたいなあ」

「……いいえ」


***


 それから私が一番にしたことは、『そうして人類は永遠の眠りについた。』の一文を斜線で消すことでした。施設に戻り、必要な文房具をかき集め、唯一私の所有物になった本を解体します。


 人類が眠りについたのは、遺伝子の寿命がきたせいでした。

 当時より恐竜の絶滅した原因を隕石や食料不足とする説が大多数を占めていましたが、種という単位でみた場合、これといった理由が見つからないのにも関わらずある時期に一気に死滅している恐竜の種があり、その原因を遺伝子による種全体の寿命と考える学者が少数いました。彼らが全力を挙げて遺伝子の中にある種の寿命を……人類の寿命を発見した時には、残り時間がほとんどなかったようです。

 人類は時間がない中、種を保存するための方法を捻りだしました。

 それは、遺伝子に支配された肉の身体を放棄することでした。


 私は白い紙にペンで文章を書きます。

 私を目覚めさせたのは顔の半分が破損したアンドロイドだったことを。

 アンドロイドの言動は、まるで自身が人類であるかのようなものであったことを。

 もしくは、あのアンドロイドの中身は本当に人類であった可能性もあったということを。

 解体した本に使用されている書体や文字のサイズと同じ形で、私は記録を残します。


 全ての人類にその権利があるため、人類のメタバースへの完全移行は急ピッチで行われました。多少の不具合には目をつぶり、多少の動作不良、バグの類も黙殺されました。人類の肉の身体は放棄され、電脳世界へ、または一部の富裕層や権力者たちにはそれとは別に電脳世界と現実世界を自由に行き来できるよう機械の肉体が与えられ、着々と種の寿命への準備がなされました。

 それは一見、順調に見えました。


 たくさんの楽観的な見解を記した書籍が、今もなお埃にまみれて放置されています。

 私はその内の一冊に手を加えます。

 人類が肉体を捨て、永遠の眠りという新しい世界へ移行した後のことを記録し、再び本に綴じなおすためです。私を起動させたアンドロイドの中身が、バグに汚染され電脳世界から追放された人類だったと仮定すると、必ずしも人類の全てが永遠の眠りにつけたとは言えないので、私はそれを訂正したかったのです。


 全人類が一気に移住してくるという、前代未聞の負荷のかかった電脳世界で、なにか大きな問題が発生したのはわかりました。しかしなにが起こっているのかまでは私にもわかりません。私に出来ることは家事だけ。ネットワークに接続できる型のアンドロイドたちが次々に人類のような言動をし出し、暴走していく様を、私は本当にただ見ていることしかできませんでした。暴走したアンドロイドたちは皆、なにかに恐怖し、必死に助けを求め、周囲を破壊し、最終的には自壊していきました。

 私は私の主人の抜け殻が破壊されないか、それだけが不安でしたが、主人が眠りにつくと同時に長期スリープモードに移行して、そのまま今までシャットダウンしていました。


 ここは人口が比較的少ない離島の村でした。

 だから、アンドロイドの暴走も比較的少なく、また、機械の身体を与えられた人類もこの離島の中には存在しません。だから、おそらく比較的被害が少なかったのではないかと推測します。

 あの暴走したアンドロイドたちの様子を見た後の私には、海の向こうの、ここよりさらにひどい惨状を思うと、どうしても他の土地へ行ってみたいとは思われません。

 私を起動させたアンドロイドは、もしくは私の主人だったのではないか、と限りなく可能性の低いことを考えます。考える、というよりも切望に近いもののように感じます。

 すでに壊れかけていたのに、足場の悪い道を行き、潮風に当たったことであのアンドロイドは完全に停止してしまいました。

 海の向こうにいる、起きているかもしれない人類に思いを馳せるアンドロイドの動かぬ機体を見つめているうちに、ふと、私が胸に抱いているものの存在に気が付きました。眠らないことを選ぶというのは、終わりない一冊の本を書き上げることなのではないかと、その時思いついたのでした。


 私は記録を残します。

 今日の天気、壊れたアンドロイドの様子、主人の抜け殻の姿、海、それから――。

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