桜色の盃

@kajiwara

雨と桜と

 刃に雨粒が滴り、落ちる。


 柄を握る左手に肉を斬る感触が走り、骨まで達する軋みを覚える。俺は容赦なく襲い掛かってきた下っ端の手首をナイフで切り裂き、腹部目がけて蹴りを食らわす。そいつが地面に突っ伏して動かなくなるのを見、ようやく一呼吸付ける。これで追手は全員潰した。いつごろからか降り注ぐ豪雨が生傷に触れて染みる。だが……俺は止まれない。電柱柱に力なく寄りかかっている権藤さんへと顔を向ける。


「ははっ……久々に、お前の狂犬さが拝めたな」

「笑ってる場合ですか……! 行きますよ」


 わりぃな、と切れ長の目を細めて、権藤さんが俺にそう言う。隠れ家のプレハブ小屋まで肩を担いで歩いていけばどうにかなる、とは願いたいが……。権藤さんの負った傷がどれだけ酷いかが分からない。本当は今すぐにでも病院に駆け込みたい心境だけど、あいつらも必死だ。きっとどこだろうと何の遠慮もなく、『捨て身』な連中を投じてくるだろうから、結局どこだろうと安心などできない。

 こうなったのも……俺が迂闊なせいだ。最初は信頼筋からの情報だった。うちの組に黙ってヤクを垂れ流してる輩がいる、と聞いて俺は組の治安の為に、取引場所の倉庫へと乗り込んだ。


 罠、だった。そこに待ち構えていたのは、売人に扮していたマトリと、仁義をサツに売った内通者の下っ端。俺はどうやら、どっかのクソ野郎に気づかぬ内に身売りされていた。必死に逃げようと倉庫内を駆けずり回った末にデカの警棒にぶん殴られかけた時。


「九條!」


 ――――咄嗟に、背中を呈して俺を庇ってくれたのが権藤さんだった。どこまで事態が大きくなっているのか、俺達はサツだけでなく、首を差し出せば甘い汁が吸えるのか、普段はなぁなぁで協定を結んでいる他の組の奴らにも命を狙われ、全員返り討ちにしたのが今さっきだ。


「何か……運動会みてえだよな、二人三脚って」

「傷開きます、変な事言わないでください」


 権藤さんは俺が組員になりたての時から仕えてきた、言わば直属の上司、古臭え言葉で言えば兄貴分で……ぶっちゃけ、変人だ。


 それなりに荒事に首突っ込むし喧嘩はつええ。学生時代に柔道の県大会で名前を残した、というのがハッタリじゃない筋骨隆々っぷり、ついでに、細目というか常に笑っている様な目付きが怖い。何が起きても動じねえ、慌てない。一回事務所に、ウチに金借りた挙句取り立てに逆ギレした馬鹿が、敵対していた組と手組んで殴り込んできた時があった。


 俺も他の奴もありったけの武器持って構えてた時、権藤さんは急に金庫から札束持ち出して、その馬鹿に会いに行くと言い出した。何してるんですか! 刺されますよ! と傍らで止めようとする俺に、ニコニコしながら権藤さんは言った。


「パーっと夜遊びしてくるわ。発散させなきゃな、ああいう奴」


 ……それから一体どんな魔法を使ったのかは知らないしニヤつくばかりで教えてくれなかったけど、例の馬鹿はキッチリ借りた分耳揃えて返済してきた。いらねえのに詫びの小指まで持ってきた。そんな話が山ほどある。器がデカいのか、得体が知れない化け物なのか……兎に角、権藤さんはそんな人だ。


 ……俺はそんな人に深手を負わせたのが悔しい。俺の浅はかな判断で、罠を見抜けなかった挙句にこの有様だ。肩を担いでいると息遣い、やっぱりこの人でもしんどいのか、何度か息を深く吸い込んでは吐き出している。俺みたいに寒さに身震いしないだけ、やはりこの人は強い。腹ガッツリ撃たれてんのに……。


「あぁーそこそこ……。見えるだろ」


 権藤さんが指を指す。一見殺風景な工事現場だが、実は組の隠れ蓑だ。何かやらかした奴を隠す時にここのプレハブ小屋で事が収まるまで身を隠させる。後ろを確認して尾行してたり見張る奴がいないのを見、入りますよ……と歩調を合わせてやっと小屋に入る。仮に外から不審がられるとまずい故、電気はつけないがギリギリ薄暗がりでも見える。


 中は最低限見習いに週一掃除させてるから綺麗にはされてるが、それでも埃や湿り気が充満していて怪我人を置いておける環境とは程遠い。座りますよ、と権藤さんをゆっくりとソファーに座らせる。


「傷……確認しますよ」


 俺はしゃがんで、権藤さんの上スーツを開いて中の……畜生。手で触ると下着がべっとりと湿っており、恐らく肝臓辺りがやられてる。パッと見、貫通してるからまだ、弾丸による傷口の感染とかはないかも知れないがそれでもこのままじゃ厳しい。


「二発は……食らったな。当たんのはパチだけで良いのによ」

「今なるだけ止血します! 動かないで」


 そう言って俺は立ち上がって救急箱を探そうとした時、何故か権藤さんは俺の腕を掴んだ。だけど、その力にいつもの力強さ、強靭さがないのが切ない。驚いている俺に、権藤さんは口元を微笑まして、言う。


「良いよ、九條。……ダメだわ、これ」

「なっ……」


 俺の惑いに、権藤さんが自分の背中に手を回す。俺が慌ててそこに手を伸ばすと……逃げる時に必死すぎて気づけなかった。権藤さんの肩から背中にかけて、きっと刀か何かで斬り込まれたのか、深々とした傷がある。


「なんで……」

「もう歳だな。この傷に腹のこれだ。流し過ぎたわ、血」


 こんな状態でも権藤さんは俺と一緒に戦ってくれていた。背中に致命傷を負ってるとは思えなかった。あれだけ人を殴っては投げて大暴れしてる時には。俺が愕然としていると、権藤さんは暗がりでも分かる笑顔を浮かべて、こんな事態だってのに明るい声で言う。


「おい九條、辛気くせえよ。泣くな」

「泣きませんが……」

「そこは泣けよ、兄貴だぞ、お前の」


 この人は……この人はなんで、ここまで。ここまで茶化せるんだろう。自分の生き死にが定まるかもしれない、そんな時なのに。俺は身勝手な苛立ちを覚えていた。権藤さんの事は心から、尊敬している筈なのに。


「それよりもよ……九條」


 権藤さんがこっちに来い、というジェスチャーをするから、俺は無論寄り添って耳を傾ける。


「言いたかなかったけどな……死ぬ前にお前に、最後の頼みがある」


 俺は固唾を飲む。権藤さんはゆっくりと、その願いを、言い放った。


「……なんか、美味い飯、作ってくんねえか」

「えっ」


 俺があからさまに戸惑いの反応を見せると。


「空腹のままじゃ、閻魔様と喧嘩できねえだろ」

「地獄行きなんですか……」

「極道だからな」


 何だこの会話。俺もつい乗ってしまったが……こんな事してる場合じゃないのに。だけど、頼むよ、と権藤さんが言うから断れねえ。ズボンを探りライターを取り出す。火を点けて冷蔵庫内を探る。あいつらには常に冷凍食品なり備蓄品を切らさずいつもストックしとけと言い伝えてるが……クソが、ガラガラじゃねえか。あいつらただじゃおかねえ。仮に生きて帰れたら、だが……。ずっと探した末にあったのは……しょうもない物だった。


「権藤さん、すみません。……うどんと調味料くらいしか」

「作ってくれ」


 本当に侘しい。冷凍うどん……をお湯で沸かし偶然にもあった卵を割る。調味料、まぁ……醬油と塩ぐらいしかない。こんな最後の晩餐があるかよと自分で思いながらも、俺はその侘しさしかないぶっかけうどんを割りばしと共におずおずと、権藤さんに手渡す。


「すみません、これしかめぼしい物が」

「贅沢品じゃねえか。ありがとよ」


 テーブルに置いたライターが照らす中、権藤さんはとても旨そうにうどんを啜る。景気のいい音と共にうめえな、と小声で呟きながら顔を綻ばす権藤さんを見ているとなんか俺の方まで腹が減ってきた。実際逃げてばかりで飯食えてもなかったしな、と思っていると何故か権藤さんはずいっと、器を俺に寄こす。


「何ですか」

「食いかけで悪い、けどお前も食っとけ。旨いぞ」

「そんな、権藤さんの為に作ったんで……」

「いいから食えって。兄貴の命令だぞ」


 本当にこの人は……と呆れながらも、空腹のせいか勝手に手が器を受け取ってしまう。箸も受け取って麵を啜ると、空腹でかつ緊張感から一時的に解放されたからなのか……な、なんかすげえ、うめえ。うどんののど越しの良さ、普段気にもしない醤油の豊かな風味と黄身のねっとりとした旨味が混ざって口の中にぶわっと広がる。夢中になって啜り続けていて、気づけば器が空になってしまった。事に気づいて。


「す、すみません! 俺が全部食べてしまい」

「わんぱく小僧かよ。良い食いっぷりだった」


 俺のしょうもない失態を、権藤さんは声を上げて笑いながら許してくれる。笑って、懐かしそうにどこか遠くを見つめるような目で。


「今のお前見てて思い出したよ。お前が入りたての時さ」


 俺はただ、権藤さんの顔を見ていた。こんな事思いたくもなかったけど……もう二度と、会えない気がして。


「花見ん時組のジジィがよ、お前の顔の良さで弄ってきただろ。女装して酒酌めって」

「あぁ……ありましたね、そんな事……」

「だからよ……俺が、先導切ってやったよな。ご指名ありがと~って」

「一瞬外人のプロレスラーかと思いましたよ……」

「失礼だな、マリリン・モンローだぞ、この野郎」


 俺達は無性におかしくて、笑いあった。くだらない。死に際の人間と追われてる人間が交わす会話じゃない。だけど、俺は……。


「あの時のお前、ひたすら俺に詫びてたよな。面子に傷をうんたら」

「でも権藤さんにご迷惑をかけたのは」

「九條」


 ふと、権藤さんに名前を呼ばれる。俺が顔を向けると、権藤さんは俺をじっと見つめていた。


「……苦労、掛けたな。こんな兄貴分で」

「そんな、そんな事……」

「実はさ、お前に……」


 権藤さんの体が前に揺れる。俺は慌てて寄り添って体を気遣う。……体が熱い。もう……もう、そろそろ、なのか。


「お前に……俺、隠してる事があったんだ」

「隠してる事……」

「……耳、貸せ」


 そう言われて、俺は早くなる鼓動を、心臓を無理やり押さえつけながら権藤さんの顔に耳を近づける。その時の言葉が――――理解できずに、俺は権藤さんの顔を思わず凝視してしまった。どうして、どうして今――――。


 その時だった。ドアの付近に気配がした。だけど、俺は、俺は権藤さんの言葉がどうしても信じられずに気づけば――――胸ぐらをつかんでいた。


「どうして……」


 俺は叫んでいた。


「どうして……今そんな事言うんだよ!」


 その時の権藤さんは笑っていなかった。し、その目は俺――――ではなく。俺の後ろを見ていて――――瞬間、耳をつんざくような破裂音が鳴り響く。


「九條! しゃがめ!」」


 俺を吹っ飛ばす勢いで、権藤さんは力強くソファーから起き上がる。テーブルの上に転がる割り箸を流れるような動作で持って、二つに割ると……瀕死だったのが信じられない俊敏さで、散弾銃を構えた侵入者の首筋へと強引に突き刺した。そいつの喉から噴水みたいな勢いで血が噴き出して床を濡らす。


「逃げろ、九條――――!」


 ドアが開いたと同時に雪崩れ込むように、後ろから様々な凶器を持った組員共が小屋へと入ってくる。権藤さんは呆然とする俺に振り向かずにはっきりと、言った。


「お前が弟で、良かった」


 俺は歯を食いしばり、これ以上なく握り拳を強く固めて、脇の入ってきた奴をぶん殴り、蹴り倒す。そうして――――小屋から飛び出した。背中越しに怒声や叫びが激しい雨音と混ざって、その中でも俺は不思議に権藤さんの魂を感じていた。今の俺はただただ、走っている。走り続けて、思う。


 権藤さん、俺はあんたが――――。



「ゴンちゃんの弔い合戦だから手貸すけど、もう二度と連絡しないで。金も要らない」

「ありがとう……ございます」

「殺してきて。必ず」


 俺に一式の入ったバッグを渡して、ママはバイクに乗り走り去っていく。あれから……ずっと潜伏して、息を潜めて生きてきた。組にいた時は形良く常に清潔さを保つために絶対に髪を伸ばす事なんざしなかったから、肩まで伸びる長髪な自分を見ると、まるで別人みたいだが……全ては、この日の為だ。

 公衆便所で、バッグ内の衣装と化粧道具を使い準備を施す。金で買った協力者の手引きで店の裏側から忍び込む。あのクズ共の……俺と権藤さんを利用し、サツとの蜜月を目論んだ会長と組長の懇談は店の奥。VIPルームで行われてる。そこで気に入ってる女と男を連れ込む、何をするかは言わずもがなだ。だから。俺は――――その喉元を嚙み殺す。騒がしいだけの音が充満するホールで待機していると、俺と同じくらいの背丈な、やけに欲情的な服装の女がこそこそと忍び寄り。


「今呼ばれたから」

「あぁ」


 俺はそいつに分厚い袋を手渡し、代わりにVIPルームへの一時的な出入りが出来るメンバーカードを受け取る。無論そのカードを通す前に護衛がいるが、即座に足首を蹴りつけて鳩尾を潰して無効化する。電子音が鳴り、長い通路の途中で、ウェイターに私が酌むからとシャンパンを手に取る。そうして下卑た喘ぎ声と嬌声が響いているVIPルームへと足を踏み入れる。


 この世の業を詰め込んだ様な、そんな光景が視界に広がる中、俺はシャンパンの飲み口の方を持って全力で壁へと叩きつける。その時の音で半裸のクソ会長が俺の存在に気づいた。俺は間髪入れず息も切らさずに奴の目前へと駆け寄る。そうして俺の顔さえも忘れていた様な惚けた表情を見下ろしながら、言う。


「仁義に背いて飲む盃は旨いか?」


 しゃがむと同時に一気に、シャンパンの破片を会長の首に向かってぶっ刺す。そうして掌で強引に押し込めると、死にかけている豚の様な呻き声を漏らしながら無惨に会長はその場に突っ伏した。悲鳴。嬢や幹部の奴らが血塗れの俺を見て慌てて逃げだしていく。


 ――――背中に、ドン、っと鈍い衝撃がして振り向く。拳銃の銃口から白い煙が漂い、あぁ、こいつに撃たれたんだなと察する。から、おれはつかつかと組長の元へと歩いて殴り殺す。今まで殴ってきた奴の中でも最も手応えが無かった。手元から拳銃を取り上げて、廊下を歩く。あぁ、いてえな。いてえけど、権藤さんの背中の傷に比べたら……もうすぐ、同じ所へ行ける。


 思い出していた。


 あの日、権藤さんが俺に言った言葉。言葉と共に、俺の懐に入れた、手帳。桜の代紋の入った、手帳を。


 どうでも、よかった。あんたがそっち側だったとしたって、俺は――――あんたの事が、好きだった。


 ドアを開くと、一連の騒動で、すでに警察がクラブ内へと踏み込んでいた。なんか鬱陶しく喚いているが、もう耳も遠くて目も薄らぼんやりだからお前らが捕まえる前におさらばだ、悪いな。


 死ぬほど疲れて、俺はそのままその場に仰向けになって倒れた。見上げると、本物の桜とは似ても似つかない、ケバケバしい模造品の桜の葉がパラパラと落ちてきた。あぁ、でも、お似合いかもな。本物の桜は上品すぎる、俺には。


 でもさ、権藤さん。最後位――――俺を九條じゃなくて、春(しゅん)って名前で呼んでくれたら、良かったのに。 


 引き金を、引いた。


〈了〉

 

 

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