鷹匠と弟切草

笛路

鷹匠と弟切草




「何故、他人に話した」

「あのひとを助けたかった…………」

「……そうか」


 ギラリと鈍く光る刃。

 それが俺めがけて振り下ろされた――――。




******




 俺たち兄弟は小さな頃から鷹匠たかじょうの父の下で修行し、お互いに研鑽しあっていた。

 元来から体が弱かった父は、俺たちが十代後半の頃には一日のほとんどを布団の中で過ごすようになっていた。


 ある日、兄弟で父の元に呼び出された。

 はぁはぁと浅い息を繰り返す父の前に、二人並んで座った。


「おれぁ、もう長くない。お前たち二人に秘薬の作り方を教える」


 鷹たちがケガをしたときに塗る薬は父が手作りしていたが、作り方は絶対に秘密だと言われていた。


 この一ヶ月ほどで父は本当に弱っていた。

 今までは夜中にこっそり起き出して、鷹用の薬を作っていたようだったが、それもかなわなくなったのだろう。


「庭にいろんな薬草が植わってるな?」

「「はい」」


 一般的に知られている薬草と、あまり知られていない薬草、それらを目立たせないようにするための観賞用の草花などが庭には植えられていて、母が丹念に世話をしてくれていた。


「これは門外不出だ。書き留めるな。覚えろ。まずは──」


 それぞれの作り方、使い方を父に聞いた。

 特に鷹用の軟膏は絶対に外には漏らすなと言い含められ、俺たち兄弟は大きく頷いた。

 

 鷹匠たちには、各々の家に伝わる秘薬というものが存在している。

 鷹が怪我して再起不能になり、お偉方の不興を買ってしまえば、自分たちも再起不能になるからだ。

 このとき、父に成分を教えられたものの、どの家も大差ない薬なのだと思っていた。

 なぜならその主たる薬草は、どこにでも生えている、普通の黄色い花だったから。


 簡単だと思っていた軟膏は、多種多様の薬草が使用されていて、記憶力や感覚だけで作るには尋常ならざる努力が必要だった。


「違う。その薬草は湯煎してからだ」


「もう少し粘り気が出るまで」


「これは乾燥が足りない、もっとパキッと割れるものをもってこい」


 父に怒られながら必死に練習した。

 俺達が失敗しなくなるまで半年もの時間を要した。


「ん、よく出来てる」


 父のその一言で、俺たちは二人で歓声を上げた。


「お前たち、よく、頑張ったな」

「っ、親父……」


 力なく笑った父の顔は、白くげっそりとしていた。

 ずっと大きいと思っていた父は、いつの間にか俺たちよりも一回り小さくなっていて、丸まった背中にはゴツゴツとした背骨が浮き出ていた。

 もしかしたら父の命は、そう長くはないのかもしれない。

 兄と話し合い、その日からは今まで以上に鷹匠の仕事に打ち込んだ。


「あんた……置いてかないでおくれよ…………」

「「親父っ!」」


 父の死に顔は、とても安らかだった。

 二人とも立派に育ってくれて嬉しい、と囁やくように呟いて、目を閉じた。

 俺たちは、鷹匠兄弟の名を極楽浄土まで轟かせて、父をもっともっと安心させてやろうと誓い合った。



 

 父の死から三年の月日が流れた。

 俺たち鷹匠兄弟は着実に名を馳せていき、藩主が鷹狩りの際には同行するようになっていた。


 ある日、いつものように藩主の鷹狩りに同行していると、別の鷹匠の鷹が怪我をした。

 その鷹匠は、この怪我は治っても再起不能だろうと言うが、俺たちから見ればすぐに治るようなものだった。

 その鷹匠は、藩主が気にかけている武士が連れてきていた者だったことと、稀に見る靭やかで美しい鷹だったこともあり、兄がある提案をした。


「俺たちの薬なら直ぐに治る。試しに使ってみないか?」

「い、いいのか?」


 ただし、と条件は付けた。

 使っている薬草は教えないこと、鷹が治ったら見合うと思うだけの代金を、と。


 一週間後、家にどさりと肉や米が届いた。

 例の鷹匠の雇い主の武士からだった。

 鷹匠本人からは、給金ひと月分近くの金を渡された。

 

「どうか作り方を教えてくれ」

「これは門外不出だ」

「せめて売ってはくれまいか⁉」


 売るだけなら、と兄は了承した。




 そんな事があった日からニ年経った頃、俺たち鷹匠兄弟の元には全国から鷹匠たちが訪れるようになっていた。

 いつの間にかあの軟膏は『鷹匠兄弟の秘薬』と呼ばれるようになっていて、それを買い求めに来ているのだ。


 懐がちょっと暖まるどころか、家を建て替えられるほどに俺たちは潤った。

 兄は以前にも増して秘薬の成分がバレないようにと気をつけるようになっていた。

 庭を改造して外から覗き込まれないような作りにし、あの黄色い花や薬草類を大量に育てるようにもなっていた。


 そんな慌ただしい日々にも慣れてきていたある日、なんとなしに散歩していた川べりで、頬を腫らした若い女に出逢った。


「あんた、その顔、どうしたんだ?」

「…………おっとさんに……」


 どうやら、酒癖の悪い父親に殴られたらしい。

 女の顔はとても可愛らしく、腫れた頬が似つかわしくないと思った。


「薬を塗ってやろう」

「え……」


 驚く女をよそに、懐に入れていた鷹の軟膏を女の腫れた頬に塗り拡げた。

 これは、『鷹匠兄弟の秘薬』などと大層な名前が付いてしまってはいるものの、実際は自分たちの小さな怪我などにも使っている。

 しかもよく効くから常備している。


「あり、がと」

「気にするな。お、こんなところに打ち身があるじゃないか」


 女の腕を取り、打撲痕のようなところにも薬を塗ってやった。

 女は腫れた頬がわからなくなるくらいに顔を真っ赤にしていた。


 ――――あぁ、本当に可愛いな。




 それから時々川べりで女と逢うようになった。

 女は康子ひらこといった。

 康子ひらこと話すうちに、彼女の優しさや心の美しさにどんどんと惹かれていった。

 それと同時に、絶えることのない生傷や打ち身に心を痛めた。


「もう、そんな親父は捨てろよ」

「おっとさん、今が一番つらいんだよ。もうすぐ、昔の優しいおっとさんに戻ってくれるから……」


 少し前に康子ひらこが勇気を出して父親と喧嘩をして、父親が酒を止めると約束したのだと言う。

 今は酒断ちのせいで以前より暴力が酷くなっているらしい。


 翌週から藩主の鷹狩りの遠出に同行するため、しばらく康子ひらこに逢いに来れなくなる。その間の事が心配だった。

 康子ひらこの手に『鷹匠兄弟の秘薬』がたっぷりと入った貝殻の軟膏入れを置いた。

 そして、もし使い終わってしまったのなら――――と、あの黄色い花の使い方を教えた。

 俺たちが逢っているこの川べりにも咲いている、簡単に手に入る黄色い花。

 生薬汁にするだけでもかなりの効能がある。

 康子ひらこはそんなことを教えていいのかと焦っていたが、俺は構わないと言った。


「好きな女に怪我が残るほうが嫌だ」

「っ!」


 頬を染めた康子ひらこは格段に美しかった。




 鷹狩りの遠出から戻ると、家の雰囲気が妙だった。

 母はよそよそしいような、何かを恐れているような態度で兄が庭で呼んでいると言った。


「兄者ー、何か大切な用か? 先に荷物を――――」


 庭に行くと、兄が抜き身の刀を握りしめて、仁王立ちであの黄色い花を眺めていた。


「あぁ。大切な用、だな」

「…………兄、者?」

「秘薬の作り方が他の鷹匠に広がっている」

「…………」

「どこぞの酔いどれの男がそれで小金を稼いでいた」

「……っ?」


 その酔いどれの男は川に落ちて死んだ、らしい。

 その酔いどれに連れ添っていた若い女は、刀で斬られた跡があり、酔いどれの男に斬られたのだろうと役人たちが話していたぞ、と俺の方に振り返った兄が歪な笑顔で言った。


「ひら……こ…………」

「あぁ、そんな名前だった気もするな、

「っ!」


 カチャンと軽い音を鳴らし、俺の足元に投げ捨てられたのは、俺が康子ひらこに渡したはずの貝殻の軟膏入れだった。


「地に頭をこすり付け、何度も謝っていたなぁ。その貝殻を取り上げて刀を向けたら、狂ったように泣き叫び、何度も何度もお前の名前を呼んでいたっけなぁ。本当に滑稽なほどに、哀れな女だった」


 怒りで頭が真っ白になった。

 庭に飛び降り、兄に掴みかかり殴ろうとしたが、刀を向けられてしまい、それは叶わなかった。

 怒りに任せて握りしめていた手は、いまは力なく垂れてしまっている。


「何故、他人に話した」

「あのひとを助けたかった…………」

「……そうか」


 鈍く光る刃が振り下ろされた。

 全てが緩やかに動いていた。

 真っ赤な飛沫が、空の青を、あの花の黄色や緑を、庭の草花を一色に染めていく。

 

 ただ、愛しい人の助けになりたかった。

 しっかりと口止めしなかった俺のせいで、あのひとの命が奪われてしまった。

 愛しい人がいないこの世に未練は無い。


 あるのは――――寂寥感のみ。


「ひ……らこ…………」


 あの世で、君に逢えるだろうか?

 君の命を奪った男の弟だと知って、君は許してくれるだろうか?

 俺の軽率な行動が、自分の死の原因だったと知っているだろうか?

 恨まれているかもしれないな。


 だけど、君に、逢いたい――――。




******




 鷹匠兄弟に起きた凄惨な事件の話は、またたく間に広まっていった。

 原因となったその黄色い花は『弟切草』と呼ばれるようになり、いつの間にか弟切草の葉には血飛沫のような黒色の斑点が浮き出るようになり、更に世間を賑わせたのだった。




 ―― 終 ――



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