第2話
僕たちはトイレから出て近くのベンチに座った。僕は一応助けて貰ったお礼に飲み物をおごることにした。
「お前って結構年上っぽいけど何歳?」
君がジュースの缶を手で転がしながら尋ねた。僕はその様子を見ながら答える。
「今年で二十四かな。会社辞めたんだ。」
「へー、俺は十八だ!」
「現役か。」
今まであまり意識していなかったが改めて年齢を言われると若さを感じた。君の快活さは若さからくるものなのか、元来の性格なのか。
僕が感謝の旨を伝えると君は少し戸惑っているようだった。
「なんか言わないとって思ったんだよ」
君は話すのを躊躇った様子を見せた。
「だって、もしお前の噂がほんとだったとしても今ここにいるってことは、ちゃんと罪を償ったってことだろ。第三者があれこれ言っていうことでもないし…」
そして照れたように頬をかいた。
「でも、本当に助かったよありがとう。」
「恥ずかしいからやめてくれ。てか本当に感謝してんなら俺に勉強教えてくれよ。お前頭いいんだろ。」
「僕にできる範囲ならいいよ。」
トイレでの一件から、僕たちは良く会話を交わすようになった。あの人に驚くほど似ている君に興味を持ったからだ。
僕についての噂も次第に語られなくなり自然に消滅した。
あの一件からもわかることだが君は少し変わりものらしい。突然突拍子もない行動を取って周りをよく驚かせていた。今では僕のことより、君の噂のほうがよく耳にするくらいだ。
雨の日に何故か傘を差さずに手に持ったまま歩いていたとか
食堂では毎回焼きそばしか頼まないとか
それだけ、変わっていると言われても自分を変えようとしないところもやはり、似ている。
「サークルどこにするか決めたか?」
ある日の午後いつものたまり場で話していると、君は僕にそう聞いた。僕が否と答えると「じゃあ、俺さ映研入ろうと思うんだけど一緒に入らん?」と誘ってきた。
「いいけど、なんで映画研究会なの?」
「結構昔から映画見るの好きでさ、週一で映画館通うくらいには好きなんだよね。」
意外だった。君は、変な正義感を持ちつつも、どこか周りを冷めた目で見ている事が多いので、映画などの創作物に対しても興味がないのだと思っていたからだ。
「映研、今日も活動してるみたいだからさ早速行ってみようぜ」
映画研究会は地下の今は使われていないゼミ室で活動しているらしい。
「失礼しまーす…」
扉を開けるとどこかかび臭いつんとしたにおいが鼻を刺激した。明かりは付けられておらず、人の気配がしない。ゼミ室の舞ったほこりが廊下から差し込んだ光の照らされて輝いている。
「おかしいな、今日活動してるはずなんだけど。」
君はスマホで映研のホームページを再度確認しながら顔をしかめた。
すると、ふと後ろから人の気配がした。
「もしかしてサークル入りたい人たち?」
「ぎゃああああああああああっっっ!!!??」
君はスマホに夢中で人の気配に全く気付いていなかったので酷く驚いた様子で大声を上げながら1メートルほどジャンプした。
「なんでお前は平気そうなんだよ。」
自分だけ驚いたのが恥ずかしかったのか、背中で息をしながら僕を恨みがましい目で睨んだ。
「君たち、あの有名な変人コンビじゃないか~あえて光栄だね。」
君を驚かせたおそらく映研の人はふざけているのか仰々しく両手を合わせるポーズをした。
変人コンビということは僕も含まれているのだろうか。
「なんでもいいけど、入りたいなら渡さないといけないのがあるからついてきて。」
その人はコンビニの帰りのようでビニール袋を片手に持ちながらずんずんとゼミ室に入っていった。ひどく瘦せていて、着ているパーカーはぶかぶかで目元にはクマがあり如何にも不健康そうだ。
明かりがついていないときは見えなかったが部屋には大きなプロジェクターと壁にはスクリーンがあった。その人はその横にあるダンボールを整理しながら呟いた。
「君たちが入ったら、このサークルも三人になるってことだよね~。一気に三倍!いやあ賑やかになるなあ」
「えっ」
君はその言葉を聞いて面食らった様子だった。
「あ、あのこのホームページには、部員21人って書いてあるんですけど…」
君はスマホの画面を指差しながら言った。見るとポップな文体で『アットホームなサークル!部員21人で仲良く活動しています♪』と書かれている。またHPには部員たちが和気藹々と映画鑑賞している写真が載っていて今のゼミ室の様子とは全く違う。
「あ~そういうのも前は運営してたんだっけ、懐かしい。」
男は飄々とした様子でそういった。
「それの更新日二年前とかになってるでしょ?ちょっと前までは二十人位いたんだけどね。そのほとんどが四年生で、新たな部員も入らなくて今に至るって感じ。」
二年間で変わりすぎじゃないか、ホームページほとんど詐欺じゃないかとも思ったが口には出さず胸にぐっととどめておいた。
「まあそんなに落ち込まないでさ。少ないのも静かに映画鑑賞出来ていいもんだよっと。はい、これ。」
その人は映画のディスクが沢山入った段ボール箱を渡してきた。ディスク一枚一枚に重さはそこまでないはずだが大量に入っているため片手では持てない。その人は妙に明るい声で言い放つ。
「映画研究会入ったからには名作は抑えとかないとね。取り敢えず今週中に全部見といてね。見たことあるのは飛ばしてもいいから。」
「あー疲れたー!」
横にいた君がソファーで伸びをしながら言った。
この部室兼ゼミ室で映画のディスクを消費し始めておよそ一週間ほどたった。毎日講義の合間などで3から4作品ほど視聴しているが、いい加減気が滅入る。初めは名作というだけあって、その一つに感動させられ、また考えさせられた。しかし、三日も経てば既に映画を見るという行為が作業と化していた。
「ごめんね、つきあわせっちゃって。」
君の映画好きは本当らしく、段ボール箱に入っていたほとんどを君は見たことがあるようだった。しかし、「結構前に見たから内容忘れちゃったかも」と言って僕に付き合ってくれることになったのだ。
しかし、君が映画の内容を忘れている訳がない。君は異常に記憶力に優れており、一度見た事を忘れているわけがないからだ。二か月前に教授が食堂で食べていたものだったり、あわや幼稚園の頃演じた劇の最初から最後までのセリフさえ君は何でも覚えている。その記憶力も君を変人たらしめている所以だろう。
現に君は映画の途中で「この教授の手紙の頭文字を取ると暗号になってるんだよな」とか「うわーこの後友人に裏切られるのに呑気だなあ」とネタバレまがいの感想を僕に気遣うことなく呟いているからだ。僕としては是非辞めて頂きたい。
「ああ、やっと終わった。次入れるか」
君が次のディスクを入れて、画面に考え中のマークが出る。
あの映研の人は、暫くここに来ていない。いよいよ映研が本当に活動しているのか怪しくなってきた。
スクリーンに映像が映し出される。舞台は夜のようだ。真っ暗な街並みに街灯の光だけがぼんやりと辺りを照らしている。
場面は変わり、雪の降る街を走る男の顔が大きく映し出された。男は息切れしながら無我夢中では知っている。何かから逃げているようだ。すると、背後から黒い影が現れ、すぐさま男に追いつき刃物のようなものを刺した。男はその場で倒れ、真っ白な雪に赤い血がジワリと広がっていく。
その血を見て、僕は指先から体温がなくなり、呼吸が浅くなっていくのを感じた。頭が痛い。耳鳴りがする。
「どうしたんだ?」
遠くから君の声がする。その声に重なるように、頭の中でかつて聞いた怒声が響く。
『お兄ちゃんはできるのに、なんであなたはできないの?』
『お母さんをこれ以上悲しませないで』
『この人殺し!』
僕は沼の中にいた。いつの間にか僕のいる場所はゼミ室ではなくなり、確かな地面もなくなっていた。どんなにもがこうとも沼から抜け出せない。ずぶずぶと沈んでいく。足元から絶えず母さんの声がする。
お前のせいだお前のせいだ
お前なんて生まなければ良かった
僕の焦りとは対照的に、身体は実に穏やかに沼に沈む。沼の重みで四肢も動かなくなってきてしまった。意識が薄れていくのを感じる。僕はただ、
焼きそば 矢野幸大 @tsurukagu
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