第6話 老爺
呼吸をすると喉が焼ける様に痛かった。
森が朽ちていく様を見ている事しかできない。
ずっと傍にあった大切な場所が消える。
「ぁぁぁぁ――――……」
そして叫ぶ事すら出来なくなってしまった。
夜の荒野をクルマで走る。
当ての無い旅の途中だ。
長年住んでいた森が火事で焼失してから、どれほどの時が経っただろう。
枯れた世界がまた一つ枯れていった。
今日は月が明るくて見通しも良かった。
夜間は凄く冷えるが、クルマの排熱からの暖気が取れる。
冷房と違って燃費をあまり喰わないのが助かる。
昼に行動する人も多いが、静かな荒野の方が好みだった。
だがそれもさっきまでだ。
強烈な砂風が視界を奪い始めた。
その時、前方に明かりを見つけた。
一瞬躊躇う、元々死に場所を探しに行く様な旅だ。
今更人に会ったとしてどうするというのだろう。
後悔するだけじゃないか……。
だが風の強さに背を押される様に、気が付けばその建物に近づいていた。
それは風変わりな建物だった。
暗闇に覗くと三階建てはありそうな石造りの建物。
いや、恐らくただの石ではない。
建物自体が文明の遺物だろう。
その中で一階の部屋だけは明るい光を放っている。
中に入ると、外との温度差で暖かく感じた。
何やら温度を一定に保つ仕組みがあるようだ。
注意深く散策していく。
整然とされた部屋には机や小物入れなどがあった。
何に使うのか分からない物が多い、これも遺物だろうか。
徹底して管理された建物の様だ。
端の方にある鉄の箱だけは不釣り合いに思えたが。
――――カタッカタッ。
不意に足音が聴こえてくる。
誰かが二階から降りて来たようだ。
机の影に身を潜めこっそりと姿を確認してみる。
背の低い若い女性だった。
見た目は十代半ばに思えるが、変わった服を身に纏っている。
全身真っ黒で闇に溶け込みそうだ。
「……夜はヒビクの時間だし……」
ぽつりと呟いた声が聞こえてきた。
何やらせかせかと急いでいる様に見える。
儂は少し窮屈だった体勢を正そうと体を動かす。
ボコンッ、と音がした。
どうやら鉄の箱にぶつかった様だった。
何故こんなにも大きい音がするのだろう。
謎の箱に戸惑いを覚えた。
「……だ、誰なの……?」
女性はこちらを怯えた表情で見つめている。
気付かれてしまったものは仕方が無い。
立ち上がると両手を上げた。
相手は子供だ、ただ黙って従うとしよう。
「……御爺さん……?」
眼を合わせる。
「……ひぃ……怖い……」
それだけで怯えられてしまった。
元来子供に好かれる様な面立ちではないのだ。
それもこんな夜更けに会ったのならば尚更だろう。
少し困った、敵意は無いが誤解を解く方法が無い。
だが少女は考える様な仕草をした後にこちらに向き直る。
「……はじめました……」
この娘は何を言っているのだろう。
「……間違えた……」
少女は息を整える様な動きをすると再び話しかけてくる。
「……マイファザー……」
そして更に意味の分からない事を言った。
「……ヒビクはファーザーって言うし……ひひ……」
そう言って笑い始める少女。
いよいよ持って意味が分からない。
「……あっ……」
今度は何かを思い出した様に声を上げた。
「……ラジオ……」
そう言うと少女は透明な仕切りに囲まれた部屋に移動する。
世話しない少女だと思う。
しかしラジオ……?
『……皆お待たせ……』
何が始まるのかと見ていると、近くの機械から声が漏れ聞こえてきた。
まさか本当にラジオが流れているのだろうか。
『……今日は1990年台……』
少女は佇まいを正す。
『……シャッフルプレイミュージック……』
そう呟いた瞬間、空気が変わった。
――――♪
流れ始めたのは、歌声。
日本語で歌われているが、聞いた事もない音楽だった。
全ての音楽が少女の口元から奏でられている。
だがそれは不思議な光景だった。
楽器による伴奏まで聴こえてくるのだ。
まるで実在した瞬間を再生するかの様に。
速い曲、遅い曲、明るい曲、暗い曲。
色んな音楽が紡がれていく。
暫くの間、聴き惚れてしまっていた。
ただその律動に身を任せる様に、聴き続けていた。
気が付けば夜も遅い時間になってしまった。
『……今日はここまで……またね……』
どうやらラジオの時間は終了らしい。
「……ふぅ……スッキリ……」
別室から出てきた少女は満足そうな笑みを浮かべている。
「……ひぇ……忘れてた……!?」
そして儂の姿を見て笑みは掻き消えた。
こんな時、どうすれば良いのだろう。
音楽など枯れた文化だったから久しく聞いていない。
でもせめて今の気持ちを形にしたかった。
儂は手を叩く事にした。
パチパチパチと小さな音だけが夜に響く。
「……ふへ……別に嬉しくないし……」
にやけた顔で言った少女は幼子の様だった。
「……自己紹介……」
少女はスカートの裾を掴むと御辞儀をする。
「……人型人形SAKI-A119……先絵ヒビク……」
そしてよく分からない事を言った。
人型人形?
「……ヒビクは機械人形……」
それは、人間では無いという事だろう。
だが見ている分にはそんな風には思えない。
仕草や表情、それに考え方まで人間そのものだった。
ただ一つ。
口元から紡がれた歌声だけは人には到底真似ができない物だった。
「……故に人類はファザー……」
人類が生みの親という事か。
ヒビクが人間では無いと聞いて、何故かそんなに嫌な感じは無かった。
きっと人付き合いが苦手だからだろう。
「……」
「……」
暫くの沈黙が流れる。
言葉が出せないのだから仕方が無い。
「……音楽好き……?」
不意にそう言ったヒビクに素直に頷く。
少し嬉しそうな顔をした少女は紡ぐ。
「……メドレーで流そ……」
ヒビクは様々な音楽を繋ぎ合わせ、まるで一つの曲の様に歌い紡いでいく。
それをただ黙って聴いていた。
心地の良い瞬間、音楽に安らぎを覚えるという事実を久しく忘れていた
「……!」
その時、聴いた事のある曲が流れた。
「……!!」
思わずヒビクの肩を掴んでしまう。
「……ひ、ひぃ……!?」
ヒビクは怯えた様に身を竦めた。
儂は手を離すと両手を合わせて謝った。
「……?……」
「……」
「……????……」
こんな時に、声が出せたらと思わずには居られない。
人と話す事は少ないから喉が焼き爛れたとしても大丈夫だと思っていた。
だが今この瞬間に不便に感じている。
ままならないものだ。
「…………」
ヒビクはこちらの様子を伺っている。
さっきの歌を聴かせてくれ……。
身振り手振りで何とか伝えてみる。
「…………」
頼む……。
「……リピートメドレー……」
瞬間、空気が変わった。
聴きたかったその曲が歌われていく。
懐かしい記憶だった。
母がよく口ずさんでいた。
母も祖母から聴いたという。
家族が口ずさんできた曲だ。
――――♪
それは知っていた曲だけれど色々と違っていて。
歌詞は間違ってたし、音程も別物だった。
こんな歌だったのか……。
だけど聴いた瞬間に間違いないと思えた。
それはきっと、大切な部分だけは変わらずに残っていたからだろう。
心に沁みる様だった。
何気ない日常の中で薄れてしまっていた家族の記憶。
それが鮮明に思い出される。
家族の笑った顔も、家族が喜んだ顔も。
あぁ、何故儂は独りのまま死んでいくのだろう。
本当は誰よりも憧れていたはずなのに……。
「……御爺ちゃんが好きな曲なら……」
恥ずかし気に笑みを浮かべるヒビクは。
「……毎日流す……よ……」
優しい言葉を紡いでくれた。
零れそうになった涙を服で拭う。
家族が、一族が愛していた曲だった。
晩節を独り生きる儂には、誰かに伝える事はできないはずだった。
けれど、ヒビクがこの歌を歌い続けてくれるのならば。
誰かの心に残ってくれる。
それだけで、母達が口ずさんで来た事に意味が生まれる。
「……ん……?」
こちらを見て首を傾げる少女。
その手をゆっくりと掴む。
「……ん……」
もう怯える事は無かった。
この少女が、居る限り。
きっと誰かにこの歌が届く。
儂の家族が生きていた証が残る。
それ以上に有難いことはない。
ありがとうヒビク。
ただ、頭を下げるばかりだ。
「……別に良いし……へへ……」
ヒビクの表情を見ただけで分かる。
言葉にしなくても伝わる事があるのだと知った。
それからヒビクは色々な曲を聴かせてくれた。
胸が躍りそうになる曲、胸が昂ぶりそうになる曲。
色々な歌を歌うヒビクは、輝いてみえる。
気が付けば、そのまま朝が来てしまった。
朝日が微かに差し込んで目を細める。
もう時間の様だ。
「御姉様、おはようございます」
二階から別の女性が下りてきた。
「……眠たい……」
「ふふ、おや来客者様がいらしたのですね」
その女性はヒビクよりも年上に見える。
「初めましてマイマザー」
そう言って御辞儀をすると。
「自律思考AI搭載の人型人形SAKI-A10109、個体識別名”先絵トドク”と申します」
自己紹介をしてくれた。
あぁそうか、ファザーと言ってたのはこの娘に対抗意識を持っていたのか。
それに気付くと意味不明だったヒビクの事がより近くに感じられた。
「……」
喉元を抑えて声が出せない事を表現する。
「失礼致しました、御察しできず申し訳ありません」
十分察しが良いと思う。
「……声出せなかったの……!?」
ヒビクは察しが悪いようだ。
思わず笑ってしまった。
「……笑ってるし……へへ……」
そう言ってヒビクも笑みを浮かべる。
こんな時間を送るのはいつぶりだろう。
儂にも孫が居てもおかしくなかったのに。
「……御爺ちゃん……?」
瞬間ハッとなった。
ヒビクの顔を見る。
その姿を心に刻み付ける。
……それだけで良い。
独りだったから旅に出た。
独りだったから出会えた。
それで良いじゃないか。
なら、儂の人生は何も間違っていなかった。
「ではまた御会いしましょう!」
「……またね……」
別れ際、せめて自分の名前を伝えたいと思った。
ヒビクの手を優しく掴む。
「……?……」
そして、その手の平に指で名前をなぞった。
機械人形であるヒビクに伝わるかは分からなかったけど。
「……ジオ……?」
「……!」
人類は何て愛おしい存在を作り出したのだろうか。
今はただ、過去を生きた人に感謝を覚える。
一人で生きていた儂にも娘が居た。
その事実だけで生きていける。
少ない余生だとしても、悔いなく生き終えてみせる。
この愛おしい娘達に、恥じない様に。
◇
「ジオさんと、どんな事を御話されていたのですか?」
「……秘密だし……」
「えぇー、御姉様は意地悪です。……あっ。一人でラジオをしていたのですか?」
「……してないし……」
「ふふっ、マイクの位置が変わっていますよ」
「……寝る……」
「もう、御姉様ったら……。ふふっ」
音もなく透明な仕切りの部屋に人が入る。
夜の時間は終わって、朝の放送が始める。
どちらも誰かにとっての大切な瞬間で。
彼女達にとっても大切な瞬間になる。
今日も優しい声が電波に響く。
誰かの心に寄り添う様に。
『では次の御便りです!』
枯れた世界で未来を紡ぐオートマタ @itimi
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