43:どんな顔ですか、それ

 綾乃が口を聞いてくれなくなって、早一週間が過ぎた。……が、未だに俺は彼女から避けられ続けている。


 朝、偶々木漏れ日荘で顔を合わせれば足早に立ち去られ、学校で視線が合えばさっとすぐに顔を逸らされる。そんな日々が一週間も続いており、未だ改善の糸口すら見つけられていなかった。


 とにかくまずは謝って何とか話を聞いてもらおうとはしているものの、何分避けられているのではそれも出来ず、俺は途方に暮れていた。


「ホント、何に怒ってるんだろうな……」


 バイト先のバックヤードでパイプ椅子の小さな背もたれに身体を預けながら、俺は一つ大きく溜息を吐く。


 正人に『少しは自分で考えろ』と言われてからずっと考えてはいるものの、答えは見えない。ただ、何が原因かは見えてきた……気がする。


 恐らくだけど、俺が選択種目を変えたこと。

 それが何かしら綾乃の気に障ったのだと思う。


 ……あんまり自信はないけど、種目決めであったことを考えれば、それくらいしか思いつかないので多分そうなのだと思う。


 でも、それがどうして彼女を怒らせてしまうことに繋がるのか。それはまだ分からない。

 特に彼女と同じ種目にしようと約束をしていた訳でもなかったし、俺が400メートル走から種目を変える事で彼女に生じる不利益なんてものも無いように思える。


 第一、俺があの種目を選んだのは偶然とその場の思いつきであり、特にこれといった意味など無かった。なのに、それを変更しただけで彼女の機嫌が悪くなるなんて、俺には訳が分からない。


「……まったく女ごころって奴は、どうしてこうも難しいんだ」

「何が難しいって?」


 ぽつりと独り言を漏らせば、予想外に返事が返ってきた。

 振り返るといつの間にやらバックヤードの入り口の所に音帆さんが立っており、ゴミ袋を片手にこちらを見ていた。


「あ、音帆さん。ブースの清掃終わったんですか?」

「うん。ほら見て、この吸殻の量。やばくない?」


 そう言って彼女は手元の袋を俺がよく見える様に掲げた。

 示された袋の中には確かに何十本というタバコの吸殻が詰められており、見るからに体に悪そうな黒灰色をしていた。これを来店してからの数時間で全部吸ったのだとすれば、そのお客は相当なヘビースモーカーだ。


「うわ……すごいですね」

「でしょ? ブース中臭いがキツくて辛かったよ……」


 俺が量に引きながらそう言うと、音帆さんは若干呆れた様に溜息を吐いた。


 この店では青少年の健やかな成長を守る為とかそういう理由から未成年のスタッフは喫煙ブースには入れず、そちらへの料理の配達や清掃は成人のスタッフが行っている。今回もその例に洩れず清掃には音帆さんが向かってくれたのだが、彼女も煙草は吸わないので辛いことには変わりが無かったようだ。


 余程つらかったのか、しょんぼりと眉を下げている彼女を見ていると『自分が代わってあげた方が良かったんじゃないか?』と思ってしまうが、残念ながら俺ではどうしてあげることもできなかっただろう。


 なので代わりと言っては何だが、俺は『お疲れさまです』と労いつつ、スタッフなら自由に使える冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して彼女に差し出した。


「良かったらどうぞ」

「え、いいの?」

「はい。休憩中に飲もうかと思って買ったんですけど、間違えて甘いの買っちゃって。苦手じゃなければどうぞ」

「……そう? じゃあ、ありがたくいただくね!」


 彼女は『ありがと』と俺に一言礼を言ってそれを受け取ると、清掃の道具類を仕舞いに一旦その場を離れた。しかし、すぐに戻ってきて、定位置の椅子に座りつつ缶のプルタブを開ける。対面の椅子に座りなおした俺の所にも、微かに珈琲の香ばしい香りが届いた。


「ところで、何が難しいって?」

「……覚えてましたか」


 珈琲を飲んで一息ついた音帆さんに再度尋ねられ、俺は苦笑する。

 あまり人に言い触らすような内容でも無いのでどうにかして煙に巻こうとしたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。


「当然。何やら恋愛の香りがする話題を私が忘れるわけ無いでしょ?」

「俺は忘れていてくれても良かったんですけどね。……ちなみにそのコーヒーで聞かなかった事には――」

「――出来ないね。それはそれ、これはこれ、だよ」


 横に箱を置くような仕草でそう言うと、彼女はずずいと机に身を乗り出してくる。


「ちらっと女ごころって聞こえた気がしたんだけど、何? 恋愛関係のことで何か悩んでるの?」

「別に恋愛関係って訳じゃ……」

「嘘だぁ。そんな顔して違う訳ないじゃん。そんなんじゃ私の勘は誤魔化せないよ!」

「……俺、そんなに恋愛で悩んでそうな顔してます?」

「うん。如何にも『付き合って三年目の彼女に浮気がバレて困ってます』って感じの顔してる」

「どんな顔ですか、それ」


 とんでもない表現に呆れて思わずツッコミを入れれば、音帆さんは『ほら、こ~んな顔』と自身の顔を指差しながら眉間に皺を寄せる。


 おそらく俺の表情を真似ているのだろうが、生憎と近くに鏡は無いので本当に似ているかどうかは分からない。ただ、もし本当に今俺がこんな表情をしているなら、浮気バレで困っているとまでは言わずとも、何か人間関係でトラブっていると分かってしまうのも頷ける気がした。


「――とまあ、冗談はさておき、何か困ってるなら相談に乗るよ?」

「別に音帆さんの手を煩わせるほどでは……」

「遠慮しなくていいって。これでも君よりは長く生きてるからね。何かいいアドバイスをしてあげられるかもしれないよ?」

「いや、でも……」

「ぶっちゃけ年下の男の子の恋バナに興味あるだけだから、気にするな!」

「えぇ……」


 『だから早よ喋ってみ?』と、目をキラキラさせて俺の話を待つ音帆さんの様子に、俺は何処にも逃げ場がないことを悟った。恐らく彼女は俺が話さなければいつまでも諦めてはくれないだろう。


 それを察した俺は観念してそっとため息を吐くと、ここ最近起こった出来事を彼女に話すのだった。

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1LDK彼女付き ~格安アパートを借りたら特典でクラスメイトが付いてきた~ 灰猫のサンバ @ash_cat_samba

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