42:皇帝との初対談
俺と羽田にこれと言った接点は無い。
普段の学校生活において、俺は他クラスなのに頻繁に遊びに来る正人とつるんでいることが多かったし、羽田は羽田で彼の友達と話している姿をよく見かけた。
お互いに所属するコミュニティが違うと会話する機会も少ない為、同じクラスに所属してはいるけれども羽田と話した記憶はほぼないと言っても過言ではない。
強いて言えば、昨日の会話とも言えないやり取りくらいの物だろうか。
まあ、それくらいに関わった記憶が希薄であり、そんな相手から急に話しかけられると思っていなかった俺は、非常に驚き戸惑った。
しかし、『隣に座ってもいいか?』と聞かれて何も言わないのは流石にどうかと思い、『ど、どうぞ』と動揺を隠せず若干どもりながらも隣を薦める。
すると、羽田は『ありがとう』と律儀に礼を言ってから、俺と同じ様に地面に座り込んだ。同じ高さになった視線を俺に向け、話を始める。
「えっと、こうやってちゃんと喋るのは初めてかな?」
「そう……だな。同じクラスだけど、あんまり話したことは無かったと思う」
「じゃあ、改めて自己紹介しようか。俺は羽田亮佑。サッカー部に所属している」
「知ってるよ。皇帝って呼ばれてるんだろ?」
「……らしいね。その呼び名はあまり好きじゃないんだけどな」
そう言って端正な顔を苦笑いに歪める羽田。
別段かっこ悪い渾名ではないし、分類としては寧ろカッコイイ部類に入ると思うのだが、実際に自分が呼ばれるとなると嫌なのだろうか?
少なくとも俺が聞いたことに対して『らしい』と答えた事からも、彼と近しい人間はあまりその名で呼ばない様にしていることが窺い知れた。
そんな事を考えていると、羽田が横からじっと俺を見てくる。
一瞬何かと思ったが、すぐにこちらはまだ名のっていないことに気が付いた。
「俺は空木陸。帰宅部だよ」
「え、あんなに足速いのに部活に入ってないのか? 勿体ないな……」
「……見てたのか?」
まさか先程走っていた所を彼に見られていたとは思わず、少し驚いた。また、意外に思って尋ねると、羽田は『偶々目に入ったんだ』と笑った。
「テニス部の望月君に勝っていたから驚いたよ」
「……今は帰宅部だけど、中学ではテニスをやってたから」
「へぇ、君もなのか」
「ああ。その望月が前衛で、俺が後衛。ポジション柄走り回ることが多かったから、自然と脚力が着いた感じだな。まあ、昔取った杵柄って奴だよ」
「なるほどね」
俺の説明を聞いて、何か納得するように『うんうん』と頷く羽田。
しかし、すぐに『ん?』と首を傾げる。
「なら高校ではどうしてテニス部に入らなかったんだ? ……あ、聞いちゃまずかったかな?」
「いや、別に訳アリじゃないから全然いいよ。高校で部活に入らなかったのは、単に部活をする時間が取れないと思ったからだ」
「時間が取れない?」
「ああ。俺、放課後はバイトしてることが多いから」
首を傾げる羽田に、俺は実家を離れて一人暮らしをしていること、その生活資金を稼ぐためにバイトをしていることを簡単に説明した。
すると、羽田は驚いたような、感心したような眼でこちらを見てくる。
「自分のバイト代で一人暮らしってすごいね。俺はまだ両親に頼りっぱなしだし、尊敬するよ」
「そんな大層な物じゃないよ。俺は自分の我儘を突き通すためにやってるだけだし。それに、高校生なら実家暮らしなんて普通だろ?」
「まあ、そうだろうね。実際、俺の周りで一人暮らしをしているって聞いたのは、空木君が初めてだし」
「だろうな」
「結構大変じゃない?」
「まあな。でも、今の所何とかなってるから大丈夫だよ」
実際の所、何とかなっているのは綾乃の貢献によるところが大きい。……というか、彼女が居なければ、俺は毎晩コンビニおにぎりで腹を満たし、掃除も後回しにして結局できないダメ人間だ。『大丈夫だ』なんて、どの口が言ってんだって話である。
だが、それを素直に羽田に言える訳もなく、俺は綾乃に申し訳なさを感じてそっと視線を逸らした。
「……そんなことより、俺に何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そうそう。忘れるところだったよ。君にお礼を言おうと思ってね」
「お礼?」
居たたまれなさから話題を変えようと自分から話を切り出せば、返しに羽田は意外なことを口にした。
羽田に何かした覚えは無かったので、俺は首を傾げる。
思わずオウム返しに尋ねると、羽田は『昨日の事だよ』と一言。
「体育祭の種目決めの時、君は最初に手を挙げてくれただろ? それのお礼が言いたかったのさ」
「え、そんなことで?」
「そんなことじゃないさ。昨日は皆白坂さんの動向に夢中で、中々手を挙げてくれなくて困っていたんだ。そんな中、率先して手を挙げてくれた君には感謝をしているよ。あれは、俺たちが困っているのを見かねたからなんだろ?」
「……いやまあ、そうと言えばそうだけど」
突然感謝の気持ちを向けられて、俺は困惑する。
確かにあれは状況を見かねて出した助け船、という一面もあるにはある。
でも、元々俺がやろうとしていたことは、綾乃をせっついてどれか選んでもらおうとしていたことだけである。
俺が手を挙げたのはその過程で必要に駆られたからであって、決して羽田達だけの為では無い。それなのに、改まって感謝の言葉を述べられてしまっては、何となく居心地が悪かった。
「あんまり気にしないでくれ。俺は勝手に好きな競技を選んだだけだからさ」
「そうか?」
「ああ。それに、結局俺は進行の邪魔をしちゃったしな」
俺が自嘲気味に笑ってそう言えば、羽田も苦笑いで『あー……』と何とも言えない声をあげる。
「それで丁度打ち消し――……になるかは分からないけど、気にしないで居てくれた方がありがたい」
「分かった。君がそう言うのなら、そういうことにしておくよ」
そう言って羽田はニコリと笑った。
流石イケメンというべきか、その笑顔は同性の俺から見ても大変魅力的で、普段女子達がキャーキャー言っているのも何となく理解できる気がした。
「おーい、羽田ぁー! ちょっと来てくれー!」
そんなタイミングで遠くから羽田を呼ぶ声がした。
声の方へ視線を向けてみると、およそグラウンドの中央の所で先生と各クラスの体育委員らしき人達が集まっており、こちらへ視線を向けていた。その場を取り仕切っている先生が左手を口元に当て、もう片方の手で『早く来い』と言わんばかりにしきりに手招きしている。
「――っと、呼ばれちゃったか」
「体育祭の打ち合わせか?」
「んー、多分そんな所だろうね。折角君と話していたのに、ごめん」
「全然良いって。ほら、皆待ってるぞ」
俺はそう言って手を振り、羽田に気にせず向かうように促した。
すると、羽田は最後にもう一度だけ途中離席することを謝ってから立ち上がり、グラウンドの方へ一歩目を踏みだそうとして……何故かその場に踏みとどまった。
「そうだ。初めて話した記念に、一つ聞いていいか?」
「? 俺に答えられる内容なら別にいいけど……」
羽田に聞かれそうなことに心当たりが無くて、俺はまた首を傾げた。
羽田が俺に聞きたいこと? 何だろうか?
一体何を聞かれるのだろうかと気楽に構えていると、彼は何気ない様子で尋ねてくる。
「空木君ってさ、教室ではあまり話している所を見ないけど、白坂さんと仲いいの?」
突如として放り込まれた爆弾に、俺は咄嗟に太ももを抓った。その痛みによって、思わず出そうになった声を何とか堪える。
こんな質問、反応してしまったらそれだけで仲がいいと認めているも同然であり、そうなれば折角解いた昨日の誤解がまた広がってしまう。最悪昨日の二の舞になりかねない。
昨日は司会進行という立場もあって羽田も事態を沈静化させるために俺の側に付いてくれていたが、内心ではどう思っているかは分からない。だから、迂闊なことはできないし、言えない。
俺は内心では焦りからつい顔に出そうになるのを何とか堪えて、あくまで表面的には平然と答えた。
「……良くも悪くも普通だよ。特に仲良しって訳でも無いし、ただの知り合いだ」
「そうなのか?」
「ああ、学校の外でもちょっと話したことがあるくらいだよ」
「……ふーん、その割には仲が良さそうに見えるけどね」
「え?」
「――じゃあ俺、行くよ。また今度、ゆっくり話そうな」
最後にそう言い残すと、今度こそ先生たちの所へ行ってしまった。
木陰に残された俺の目には、明るい彼が一瞬だけ見せた暗い表情がずっと焼き付いてしばらくの間離れなかった。
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