41:木漏れ日の二人、初めてのケンカ

 考え事をしていると、不意に先生に名前を呼ばれた。

 視線を向けてみると俺の前に並んでいたクラスメイトは既に消えており、俺は返事を返して他数名の生徒達と共にスタートラインの前に立った。次いでその場にしゃがみ込み、自分の丁度いい位置に合わせたスターティングブロックに足をかける。

 緊張する程ではないが、程よく張りつめた空気感。何だか気が引き締まるのを感じつつ合図を待ち、先生が手を振り下ろしたのと同時に駆けだした。


 一斉に横並びで走り出す俺達だったが、目の前に現れるハードルを乗り越える度に一人、また一人と遅れていく者が現れる。俺もいつハードルに足を引っかけて転ばないか気が気では無かったけども、何とか今最後のハードルを乗り越えた。


「ぷはッ! くっそー、負けた!」


 そして、そのままゴールまで走り切り、最後まで俺とトップを争っていた正人が悔し気に叫ぶ。


「お前、帰宅部のくせして運動部に勝つなよ……。こっちの立場が無いだろ?」

「はぁ、はぁ……手を抜いた方が、良かったか?」

「いや、それはそれでムカツク」

「どうすればいいんだよ」


 理不尽にキレる正人に溜息を吐きつつ、俺は乱れた息を整える為に近くにあった木陰に腰を降ろした。正人も俺の隣に腰を降ろし、二人してグラウンドへと視線を向ける。


 波乱だった体育祭の種目決めから一夜明けた次の日、大和台高校のグラウンドは活気に満ちていた。


 体育祭本番までの二週間。うちの高校の体育の時間は、通常行われる文部科学省で決められたカリキュラムから体育祭の選択種目の練習へと授業内容が変更となる。

 種目ごとにグループ分けをして練習する関係上、先生が一度に全ては見きれなくて半ば自習のようになってはいるが、ここから見る限り結構真剣に練習している生徒(特に男子)も多い様だった。


「こんな暑いのに、皆やる気だなぁ……何でだ?」

「何でって……そりゃお前、女子に体育祭で良い所見せるために決まってるだろ?」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 俺の疑問に『然も当然』と言いたげな顔で返してくる正人の言葉に納得する。


 中学でもあったが、体育祭で活躍した奴は何故かモテル。元から人気が高かった奴はもちろんのこと、普段はあまり注目されない奴でも何か大きな活躍をすれば、体育祭が終わった後もチヤホヤされることはよくあった。


 体育祭という、普段とは違うイベント特有の空気感がそうさせるのか、単純にそいつの魅力にみんなが気づいたからかは分からないが、確かにそういう流れのような物はある。ならば、『体育祭で活躍すれば気になる女子とお近づきになれる可能性がある』と考えるのは、当然の思考の帰結なのだろう。


「皆、頑張ってるんだなぁ」


 ……まあ、かと言って俺の感想は変わらないけどな。

 確かに俺も男だし、女子にモテたい。だが、俺の中では完全に『女子からの好感度 < 木陰で涼む』の関係式が成り立っており、きつい陽射しが降り注ぐ中、汗水流して何度も走り回る気にはどうにもなれそうになかった。


 なので、まるで――というか実際他人事のように思いながらそんな感想を呟けば、正人が呆れたような視線を向けてくる。


「……何だよ」

「お前、自分は関係ないみたいな顔してるけど、一番頑張らないといけないのはお前だからな?」

「…………」

「あれ、絶対お前の所為だろ」


 『あれ』と言って正人が顎で指した先を見やれば、そこには案の定綾乃が居た。

 昨日自身で選択したとおりに400メートル走のグループに所属する彼女は、いつも通り沢山の人に囲まれており、楽しそうにお喋りしながら体育祭の練習で汗を流して――……はいなかった。


 いつもとは対照的にまるで綾乃を避けたかの様に彼女の周りだけ空間が空いており、よく連れ立っている彼女の友人達とでさえ少し距離を置いていた。

 一応今は授業中なのでたまに練習として走っているが、それ以外の時は誰と喋るでもなくグラウンドの端っこでポツンと一人座っている様子だった。


 そして、そんな見るからに普段とは違う綾乃の様子に、彼女と一緒の競技を選び、練習中に喋りかけて仲良くなろうとしていた男子達も困惑している様で、遠巻きに彼女を見つめては狼狽えるばかりだ。

 時折誰かしら近づいて話しかけてはいるようだが、少しの受け答えで会話が終了してしまうらしく、すぐにまた距離を取らされているのが同じ男として何とも物悲しい。


 それを見やってから再び正人に視線を戻すと、奴はじとーっとした目で俺を見ていた。


「あのいつも人当たりがいいあの人をあんな風に怒らせるなんて、もしかしなくても原因はお前だろ。言え、何があった?」

「いや、別に俺は怒らせてなんて……」

「あの人にあれだけ影響を与えられる人間なんて現時点でお前しかいねえよ! ……改めて聞く。何があった?」

「…………」

「……ふーん、だんまりか。まあ、言いたくないなら別にいいけど、それなら一人で頑張って解決するんだな。んじゃ、俺行くから」

「あ、違う違う! 違うからちょっと待ってくれ!」


 そう言って立ち上がろうとする正人を俺は咄嗟に引き留めた。奴の上から肩を押さえて何とか再び地面に座らせ、話す体制を整える。


「言いたくないんじゃなくて、言えないんだ」

「言えない? どういうことだ?」


 俺が何を言っているのか分からないとばかりに怪訝な表情をする正人。そんな奴に向かって俺は正直に白状した。


「……情けない話、俺には白坂が怒っている理由が分からないんだ」


 そう、俺は彼女がこんな風になってしまった理由が全く分かっていなかった。

 時系列的に見ればおそらくは昨日の六限目のLHRにやった体育祭の種目決めにあるとは思うのだが、いまいち何が原因かは分からない。


 あの後、俺はクラスの男子達に詰め寄られ、『自分と白坂さんは示し合わせて同じ競技を選んだわけではなく、あくまでやりたい競技が偶然同じだっただけ』だと授業の残りの時間のほとんどを使って説明する羽目になった。


 やはりというか、なかなか素直には信じてもらえなかったが、最終的には俺の体育祭の選択種目を綾乃と同じ400メートル走からハードル走に変更することで一応の納得を得ることができた。

 クラス中の視線を浴びて精神的に疲労させられたりはしたが、何とか皆の誤解は解くことはできたのだ。


 しかし、そこから彼女の様子がおかしくなった。


 昨日の放課後、バイト前にNyaineで何であんな事をしたのか尋ねるメッセージを送っても既読スルーだし、ならば帰って直接尋ねようとすれば顔を合わせたくないのか昨日は俺の部屋に来てはくれなかった。


 ここ最近は何か用事が無い限り毎日作りに来てくれていた夕食も、昨日は久々にタッパーに詰められた煮物が玄関のドアノブに掛けられていたし、どうやら俺は彼女に避けられているらしいということだけは分かった。


「――という訳で、何で怒ってるのか全然分からないんだ」

「……お前、それ本気で言ってんの?」


 その辺りの事を掻い摘んで説明すると、正人は信じられない物を見るような眼で俺を見てきた。ついで心底呆れた様に溜息を吐く。


「(……前々から鈍い奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。……こりゃ、あの人も可哀想だ)」

「え、何だって?」


 あまりの小声で聞こえず何を言ったのか聞き返せば、正人は『別に何でもねえよ』と手を振って立ち上がった。


「おい、どこ行くんだよ」

「バカバカしくてこれ以上聞いてられねえよ。俺はもう一本走ってくる」

「お前、ここまで聞いといてそれは無いだろ! この前みたいに何かアドバイスとかくれるんじゃないのか?」

「うっせ、何でもかんでも教えてもらえると思うな。少しくらい自分で考えろ! じゃな!」

「あ、おい!」


 本当に行ってしまった正人に手を伸ばしかけ、あっという間に遠くなった背中を見てすぐに下ろした。


「……何だよ、あいつ。鈍いとか、バカバカしいとか好き放題言いやがって。こっちは真剣に悩んでるっていうのに」


 わざわざ話させておいて肝心なアドバイスはしないで立ち去った薄情者の友人に、俺はぶつくさ文句を言う。

 しかし、もうグラウンドの向こうまで離れてしまった奴にそんな声が届くはずもなく、その呟きは吹いてきた風に紛れて消えた。


「隣、いいかな?」


 代わりに運ばれてきた声に視線を上げれば、目の前に羽田が立っていたのだった。

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