40:波乱の種目決め

 その日の六限目。ただひたすらに眠い古典の授業をなんとか乗り越えると、ついに体育祭の種目決めの時間がやってきた。

 黒板の前の教壇のところでは先生の代わりにクラスの体育委員である男女二人が立っており、体育祭で行われる競技名を書き連ねて希望の種目の挙手を促している。しかし――


「おいおい、誰も手を上げないってどういうことだよ……」


 体育委員の片方――皇帝こと羽田が困惑した様に嘆息する。

 彼の後ろの黒板には、未だ一人の名前も書かれていない。ただ競技名が羅列されているだけで残りは全て空白だ。


 何故そんなことになっているのかというと、大体は綾乃と同じ競技に出たいと思っている男子達の所為である。

 彼らは一様に綾乃の挙手する種目に注目しており、それ以外には見向きもしないのだ。お互いに『お前あの競技出たいとか言ってなかった?』とか『お前こそ中学でこの競技によく出てたじゃん』とか言い合って出方を伺いながらも、さりげなく競争相手を蹴落とそうと必死である。


 女子達もそんな男子達の異様な空気感に引いているのか手を挙げ辛い様子で、自然とこの状況が生み出されてしまったという訳だ。

 俺も少しくらいは埋まってくれないとどの競技が人気が無さそうか分からないので、手を上げられないでいる。まったく困ったもんだ。


 そんな事を考えながら机に肘をついて内心溜息を吐いていると、授業中につきマナーモードに設定していたスマホがぶるぶる震えた。


 いつもなら授業中にスマホを見るなんてことはしないのだが、今は堅苦しい先生の授業ではなく気楽なLHR、今くらいなら別に見ても問題ないだろう。

 俺はチラリと教室前方を見やって担任の先生が居眠りしていることを確認してから、机の影でスマホのロックを開いた。


『陸くんはどの種目にするつもりですか?』


 開いて見てみれば、綾乃からそんなメッセージが届いていた。

 真面目な彼女が授業中にスマホを触っていることに驚いて彼女の方へ視線を向ければ、一瞬だけ目が合った。かと思えば、彼女はすぐに下を向いて手元のスマホをいじり出す。また俺のスマホが震え、メッセージを受信した。


『授業中にスマホを触ってはいけないんですよ?』

『いやそれ、君が言う?』


 彼女からの理不尽な忠告に、俺は思わず突っ込む。

 また視線を彼女へ送れば、彼女の華奢な肩が上下に小刻みに揺れていた。おい、笑ってんじゃねぇか。


『ふふ、冗談です。こんなことはしたことが無かったので、少し楽しくなってしまって』

『……そうかい。楽しんでもらえたなら良かったよ』

『ところで、先ほどの質問のご返答は?』

『あー、まだ決めてないよ。人気が無くて楽そうなやつにしようと思ってたんだけど、どこも埋まらないから悩んでる』

『そうだったんですか』

『君はどうするんだ?』

『私ですか? 私は残りものでいいかなと』


 俺は綾乃から送られてきたその文章を見て察した。

 男子達は綾乃が何を選ぶのか見守っているのに、当の本人は最後の方に選ぶつもりだったのだ。なるほど、そりゃ皆の種目がなかなか決まらない訳である。


 教壇では尚も体育委員の二人が困った様な顔をしているし……しょうがない。少しだけ助け船を出すか。


『皆、君がどの競技を選ぶか気になっているみたいだぞ』

『そうなんですか? 私は運動がそれほど得意な訳でもありませんし、気にしなくてもいいのに』

『俺も勝ちたいなら運動部の奴らが率先して選べよって思うけどな。まあ、このままだと何も決まらなそうだし、君がどれか選んでやってくれよ』

『そう言われても……』


 そのメッセージを最後に、それまですぐに返ってきていた綾乃からのメッセージが途絶えた。そして、一、二分ほど経った後にまたメッセージが返ってくる。


『先に陸くんが選んでくれたら、私もどれか選びます』

『え、俺?』

『はい。陸くんも人気が無くて残ったのを選ぼうとしていたんですよね? なら、私だけ先に選ばせるなんて不公平です』


 なるほど一理ある。

 確かに自分と同じ様に後から選ぼうとしている奴に、先に選べとかあーだこーだ言われるのはちょっと理不尽だ。話を先に進めるためにも、ここは綾乃が言う通りにしておいた方がいいだろう。


『分かった。俺が先に決めるから、君はその後で選んでくれ』

『はい、了解です』


 そんな風にメッセージを送り合って、俺はスマホをズボンのポケットにしまった。


 ……さて、どれにするかな。

 まず、男女混合リレーと二人三脚はイベントを機に女子とお近づきになりたい男子達が狙っているから無い。あと、楽そうな100メートル走と200メートル走も運動の苦手な文化部の生徒を中心に人気だからパスだ。

 まあ、かといって明らかに人気の無さそうな1500メートル走も絶対しんどいから嫌なんだけどな。何で既にこんな暑い中トラックを三周半もせにゃならんのだ。


 そうなってくると自然と候補は絞れてくる訳だが……。

 ――そうだな、これにするか。


 俺は黒板に書かれた競技名から一つを選び、控えめに手を掲げた。

 すると、羽田はすぐにそれに気づいて困った様だった顔を明るく輝かせた。


「空木君、どれか選んだのか?」

「ああ、俺は400メートル走に出るよ」


 選んだ理由は、まあ……色々と妥協した結果だ。

 中学の頃、400メートル走はトラックを全力疾走で一周する関係上、あまり人気が無かった。おそらくだけど、高校でもそれは同じだろう。短距離走にしては少し長めだが、1500メートルも走らされるよりは断然マシなので、仕方なくこれに落ち着いたという訳である。


 俺が種目名を告げると羽田が頷いて、もう一人の体育委員の女子が競技名の横に俺の名前を書き連ねる。

 ……そういえばこの子、よく綾乃と一緒に居る子だけど何て名前だったっけ?


「おっけー、他は居ないか? 今なら好きな種目を選び放題だよ!」


 俺が入学式の日に聞いた筈のその子の名前を思い出そうとしている間に種目決めは続き、羽田の呼びかけに今度は綾乃が『はい』と手を挙げた。それを見て浮き足立つ男子達。


「お、いいね。段々と手が挙がるようになってきた! 白坂さんはどの種目にするんだい?」

「はい。私も400メートル走に出ようと思います」


 綾乃が羽田にそう告げた瞬間、教室内が一気にざわついた。

 次いで俺に向かってくるクラス中の男子達の視線。視線。視線。

 いやいやいや、知らん知らん知らん! そんな眼で見られても俺は何も知らないぞ!?


 突き刺さる数々の視線に、俺はただ自分の席で縮こまって冷や汗を流した。

 俺はただ自分の種目を決めただけなのに、どうしてこんな目に遭っているのか。コレガワカラナイ。


 ある意味この状況を生み出す原因となった人物を見やれば、悪戯が成功した子供の様に小さく舌を出して笑っている姿が鋭い視線を向ける男子達の隙間から見えたのだった。

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