38:変わる呼び名と変わらない関係
「おう」
「おっす」
翌日の昼休み。俺と正人は特に連絡をせずとも自然と屋上に集まっていた。俺は先に来ていた正人の隣に並び立ち、何となく二人して手すりの外の街並みを眺める。
今日の天気は昨日の曇り空が嘘の様に晴れ渡っており、昨日も同じ景色を見ているはずなのに、何故だか昨日よりも輝いて見えた。
「ん」
「? 何だ?」
「やるよ」
視線は外へと向けたまま、正人の方へ持っていたビニール袋を差し出す。
中身は行きがけに購買で買ってきた焼きそばパンとジュースである。
……なんというか、昨日の礼……的な?
昨日、この場所で荒っぽい激励を受けたこともそうだが、正人はあの後わざわざ職員室まで行って俺が早退したことを担任の先生に伝えてくれていたのだ。
その際の言い訳に採用された理由が『酷い下痢で腹が痛いから』などという少しだけ不名誉な物であっても、何も言わずにフォローしてくれた友人には感謝しかない。
という訳でその感謝の印として昼飯を買ってきたのだが、正人は何故か警戒した様にビニール袋を窺うばかりで中々受け取ろうとはしなかった。
何でだ? ――……って、ああ、そうか。
「今回は他意なんてないよ。昨日の礼だ」
「……本当か? 受け取った瞬間なんか面倒な事言わないか?」
「言わないよ。だから早よ受け取れ」
「ほいほい。まあ、そういうことなら、ありがたく貰っとくとするわ」
やっと受け取った正人に苦笑いを浮かべつつ、俺も自分用に買ってきたサンドイッチを頬張った。
「それで、何とかなったのか?」
「うーん、正直あんまり変わってない」
「そうなのか?」
「ああ」
昨日俺がやったことといえば、白坂の話を聞いて、彼女が抱えていた俺への罪悪感を消したことだけだ。依然として白坂と彼女の父親の仲は険悪なままであるし、木漏れ日荘の問題は残ったままである。
ぶっちゃけて言えば、結局昨日ここで正人と話していた通り、部外者の俺では彼女の家庭の問題は何一つ解決できなかったのだ。
あれだけ勢い込んで屋上を出ていった割には情けない結果だ。
……けどまあ、白坂の笑顔は取り戻せた。
その一点においてだけは、自分にしてはよくやれたかな。
「ふーん。そっか」
「……何も聞かないのか?」
この手の話は(小説のネタという意味で)大好きな正人にしては素っ気ない反応に、俺は思わず聞き返していた。いつもの奴なら根掘り葉掘り事細かに聞いてきそうなものだが、どういうつもりだろうか。
「正直、物凄く聞きたいけどな。けどまあ、今回の所は聞かないでおく」
「どうして?」
「お前だけならともかく、白坂さんの問題に触れることになるからな。流石の俺でも自重するさ」
「……そっか」
「代わりに、何か他にネタになりそうなことがあったら、その時はネタ提供頼むな?」
ニヤリと笑う正人に、俺は『考えておく』と返すのだった。
◇◆◇ ―― ◆◇◆ ―― ◇◆◇
「ごちそうさまでした」
その日の夜、バイトが終わって帰宅した俺の部屋にて、今日も美味かった夕食に手を合わせれば、テーブルの向こうで白坂が『お粗末さまです』と笑った。
今日も今日とて、白坂はうちへ夕食を作りに来てくれている。
彼女は昨日まで体調不良や精神的に参っていたこともあり、俺は『昨日の今日で夕食を世話になるのはどうなのか』と思って遠慮したのだが、『私は特典ですから』と言ってきてくれた。
昨日のは建前とか言い訳みたいなものだし、何もそんな律儀に遂行してくれなくてもいいのにとは思うが、彼女の性格的にそうはいかないのだろう。まったく責任感が強過ぎるのも考え物だ。
だから、これまでは彼女に甘えてしまっていたけど、これくらいは俺が負担した方がいいだろう。
「今日は俺が皿を洗うよ」
俺が食べ終わった食器を持って立ち上がれば、白坂はキョトンと俺を見上げた。
「お皿洗いなら私がやっておきますよ?」
「いや、いいよ。いつも君に任せっぱなしで悪いし、今日はそのまま座っていてくれ」
「気にしなくてもいいのに。そのくらい大した手間でもありませんし、
「俺がやりたいんだ。やらせてくれよ」
「でも
「別に多少遅れても問題な――って、今何て言った?」
何とか彼女を説得しようと言葉を交わせば、その合間で俺の耳が変な単語を聞きつけた。
俺の聞き間違いじゃなければ、白坂は今俺の事を――
「? 早く入らないと寝るのが遅くなってしまいます?」
「その少し前」
「でも
「それ」
やはり聞き間違いではなかった。
「い、今、俺のこと『陸くん』って……」
俺が動揺から少し震える声で指摘すれば、白坂は何でも無い様な顔で『ああ、その事ですか』と手のひらを打った。
「前々から思っていたんですよ。『空木家にはハルちゃんも居るのに、あなたを空木さん呼びするのはちょっとややこしいなぁ』って。だから、あなたも下の名前で呼ぼうって思ったんです。変ですかね?」
「なるほど、そういう……」
確かに春海が居る時に『空木さん』では、どちらを呼んでいるのか分かりにくい。なら区別をする為に、俺の方も下の名前で呼ぼうとするのは至って普通の結論だ。何も可笑しいことはない。
……しかし、理由を聞いて若干残念に思ってしまうのは、やはり俺も単純な男子高校生だったということだろうか。
「……別に他意はないですよ?」
「分かってる。勘違いしたりなんかしないよ」
この前の喫茶店からの帰り道、白坂は『木もれ日荘を住人で一杯にする事に手いっぱいで、誰かと付き合うつもりはない』と言っていた。それなのに呼び方が変わったことで俺が彼女から好かれている等と勘違いされたら、彼女にとってはいい迷惑だろう。
努力している彼女を邪魔するつもりなんて、俺には無い。寧ろ、俺に手伝えることがあるなら何でもしてやりたいし、自分でなんとかすると言うなら微力ながら応援したいと思っている。
「……そうですか。なら安心です」
だから、そんな少し不満げに見える表情をするのは是非とも止めていただきたい。
……思わず勘違いしそうになるから。
「……
気づくと俺は、彼女を下の名前で呼んでいた。
突然の名前呼びに驚いたのか、彼女はパチパチと瞳を瞬かせている。
「……君も俺を下の名前で呼ぶんだから、俺も君の事をそう呼んでも可笑しくないだろ?」
湧き上がってくる妙な気恥ずかしさを誤魔化す様にぶっきらぼうにそう付け足すが、彼女からの反応は無かった。
じわじわと体温が上がっていくのを感じる。
もしかしたら、彼女から見れば俺の頬は赤くなっているかもしれない。
たかだか呼び方が変わる程度の事に、俺の心はひどく動揺していた。
「……嫌だったら止める」
「あ、いえ。別に嫌とかでは無いんですけど、急で驚いてしまって……」
「そっか、ならこれからは綾乃って呼ぶけど、いいよな?」
「ええ、もちろん」
そう言って、しらさ――綾乃は、しっかりと頷いた。
「陸くん?」
「……何だ?」
「名前呼びに慣れるために、もう一度私の名前を呼んでいただけますか?」
「綾乃」
「はい、何ですか?」
「何ですかって……君が呼んでくれって言ったんだろ?」
俺が少し呆れて言い返せば、綾乃は少し笑って『そうでした』と微笑んだ。
俺達は大家代行とその住人であり、同じ学校のクラスメイトだ。その関係性は引っ越して来た春先から現在に至るまで何も変わってはいない。
しかし、この日お互いの呼び方が変わったように、既に俺の知らない所で何かが変わり始めているのかもしれない。
俺は熱くなった顔を見られないように彼女から背けつつ、そんな事を思うのだった。
1LDK彼女付き 第一章 完
===
ここまで読んで頂きありがとうございます。
色々感想も書きたいところですが、それは近況ノートにでも書いてここでは次回更新についてだけお知らせしておこうと思います。
次回、というか以降の更新は不定期更新になります。
たま~に見に来ていただければ十分だと思います。
折角ここまで読んでいただいたのにこんなお知らせですいません。
機会がありましたら、またお願いいたします。ではでは。
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