32:シンプルな答え

 次の日、白坂は学校を休んだ。

 担任の教師によると欠席の理由は『微熱が出たので大事を取って休んだ』とのことだが、昨日の彼女の様子を思い起こせば、それが本当かどうかは疑わしかった。


 初めて見た白坂のあの表情。

 無表情という名の鉄壁の仮面が、彼女にとって一体何を意味するのか。俺はあれからずっと考えていた。




 昼休み。俺は何となく教室で食べる気分になれなくて、購買で購入したパンと牛乳を片手に屋上へ出て来た。

 しかし、折角外に出てきたというのに空はどんより曇り空。雨こそ降ってはいないが今にも振り出しそうで、何だか嫌な天気に俺の気分も曇っていく気がした。


 こんな事なら大人しくいつも通りに教室で食べればよかったか?


 そんな風に少し後悔していると、外側フェンス際で座り込んだ俺に向かって、見知った影が近づいてきた。


「よ。あれから白坂さんからの連絡はあったか?」


 そんな風に尋ねてきたのは、もちろん正人だ。

 奴は特に断ることもなく隣に腰を降ろし、俺と同様に購買で購入したらしい焼きそばパンに齧りついた。


 俺はそれを横目で見つつ、首を横に振る。


 昨日正人が帰った後に白坂にNyaineを送ってみたのだが、それに対する返信は無かった。

 というか既読すらつかず、今も未読のままになっている。


 今までの彼女は俺が何か連絡を入れれば、遅くとも翌朝には読んで返事をくれていたので、彼女にしては珍しいと思うと同時に、『やはり何かあったのでは?』と疑念を抱かずにはいられなかった。


 そしてそれは正人も同じようで、俺が被りを振ったのを見て『そっか、何か問題でも出てきたのかもな』と奴も同じ様な感想を述べていた。


「彼女の事が心配か?」

「……まあな」


 正人の問いかけに、俺はぽつりとこぼす様に答える。

 まだたった数週間とはいえ、毎日顔を合わせていた相手が何やらトラブルを抱えているらしい様子を見せているのに気にならないわけがない。


 俺が彼女に惹かれていることは抜きにしても、あれだけ世話になってきたのだ。俺に何かできることがあるのなら力になりたいと思っていたし、彼女に何かをお願いをされたのなら応えてやりたいと思っていた。


 だが、昨日の彼女の言葉を信じるなら、彼女の様子がガラッと変わったのは彼女の父親がやってきたことが原因だ。何がどうなってそうなったのかは分からないが、昨日の彼女の様子を見る限り、父親とはあまりうまくいっていないのかもしれない。


 家庭の問題。

 それも他の家庭のものともなれば、俺には荷が重い。


 俺達の関係はとても曖昧で、不確かで。確実に『そうだ』と言える関係なんて『大家代行とその入居者』、あとは『ただのクラスメイト』くらいでしかない。そんな俺を彼女が頼ってくるかと問われれば、答えはノーである。


 他人の家の問題に首を突っ込めるほど、俺と彼女の関係は深くない。きっと彼女の方も俺に頼ってこようとはしないだろう。実際、こうして何も連絡もしてもらえていない訳で……。


 俺はポケットからスマホを取り出して、既に今日何度目かも分からない新着メッセージが来ていないかの確認をする。しかし、俺のスマホはまたもや彼女からのメッセージは受信していなかった。


 溜息が出る。

 自分は何もできないのかと、不甲斐なさに軽く唇を咬んだ。


「まあ、あんなことがあった昨日の今日で休みだもんな。心配する気持ちも分かるわ」


 正人がまるで俺を慰める様な声色でそう言ってくるが、俺はスマホを見つめたまま何も返すことができなかった。

 ならば当然として、俺のそんな様子を見て思案顔になっている正人にも気づけなかった。


「(はぁ……。一端の物書きとして、本当はこいつらの物語に介入すべきではないんだろうが……ま、しゃーないか)」


 奴は俺に聞こえないほどの小声で何事か呟いた後、食べかけだった焼きそばパンを急いで食いきった。そして、ゆっくりと咀嚼して飲み込んでから、再び俺に問いかけてくる。


「お見舞いには行かないのか?」

「……お前も聞いてただろ、『父親から連絡が来た』って」

「ああ、聞いてたよ。それで?」

「それでってお前……分かるだろ? 白坂は家庭の問題で悩んでるんだ。俺が行ったってしょうがないじゃないか」

「どうして?」

「……は?」

「だから、どうしてそう言い切れるんだ?」


 イライラした。

 いつもは余計なくらい勘が鋭いのに、こんな時ばかり鈍い友人に、俺は心底イライラした。どうしてこんなに気が立っている時に限って伝わらないのか。こんな時ほど言わんとしていることくらい察してくれよ。


 そんな自分でも冷静なときに聞けば理不尽だと思う様なことを考えつつ、俺は苛立つ気持ちを吐きだす様に声を荒げた。


「だから、俺はただの部外者だ! それなのに白坂の家の問題に首を突っ込めるわけないだろ!」


 吐きだした気持ちは、予想外に大きな声となって空へと広がった。

 もしここが教室だったら、『何を騒いでいるんだ』と確実に注目の的になってしまっていただろう。


 そんな大声を間近で聞いてなお、正人はまたこう言った。


「そうだな。――で?」


 その堂々とした態度に俺は少し驚いた。

 いつも俺のツッコミを受け流しているのと同じ様に涼しい顔で流され、俺は呆気に取られて二の句が継げなかった。


 そんな俺に向かって、正人は諭すように話しだす。


「確かにお前は白坂さんとは家族でも何でもない。ただのクラスメイトだ。でもそれは、お前が彼女の事情に首を『突っ込めない』理由であって、『突っ込まない』理由にはなんねーだろうが」


 正人の鋭い指摘に俺は思わず息を飲む。

 反射的に何か反論しようとしたが、それは言葉になる前に口の中で消えてしまった。


「そんなに心配なら直接彼女に話を聞きに行けばいいじゃないか。『お前の力になりたいんだ』って一言言う。たったそれだけの事に、どうしてそこまで躊躇うんだ」

「……でも実際、家庭の問題なんて俺が行ったところで、どうしようもないじゃないか」


 ようやく出てきたのはそんな諦めの言葉。

 自分はまだ高校生だから、自分は彼女と深い関係がないから、自分が行って話を聞いたところで何も変わらない。それを嫌でも理解しているからこそ出た言葉だった。


 しかし、正人はそれに対して深いため息を吐く。


「はぁ……お前、やっぱバカだろ」

「なっ、バカとは何だよ! こっちは真剣に考えて――」

「うっせ、バカだからバカって言ってんだよ」


 いきなりバカ呼ばわりされて俺は言い返そうとしたが、それも正人に制された。


「お前に『何ができるか』じゃねーよ。お前が『どうしたいか』。俺はそれを聞いてるんだ」

「俺がどうしたいか……」

「そうだ。俺も白坂さんがどんな問題を抱えているかは分かんねーけどさ、何ができるかなんて、自分がやりたいように行動して、それでもダメだった時にまた考えればいいじゃないか」

「でも、それって白坂にとって迷惑だったりしないか?」


 『正人の言うことも尤もだ』と流され始めつつも、奴の提案する話の懸念点を突っ込めば、奴は思いの他すんなり『そうかもな』と認めた。


「おい」

「冗談だ……と言いたいところだが、本当の事だからな。お前の行動次第では白坂さんに迷惑になる可能性は大いにあるかもな」

「じゃあ――」

「でも、それを恐れて何もしないっていうのも違うだろ。少なくとも俺は、今のお前みたいにここでずっとうだうだ考え込んでるだけよりずっと生産的だと思うね。もし迷惑をかけちまったなら、全部終わった後で謝ればいいんだよ」


 俺はそんな正人の言葉に呆れる反面、『そうかもしれない』と思った。


 確かに、ここにいるだけでは何も変わらない。

 彼女の迷惑にはならないかもしれないが、彼女の何の助けにもならないのだ。


 それならば、俺はどうしたいのか。


 ――そんなのは決まっている。



 俺は白坂の力になりたい。



 諸々の事情や立ち塞がる障害を省いて突き詰めて考えてみれば、たったそれだけのシンプルな答えに辿り着いた。


 俺と彼女の曖昧な関係も、彼女の家庭の問題も関係ない。

 俺はただ、世話になった女の子に恩を返したいのだ。


 たったそれだけのことに気づくのに、どれだけ時間を使ってしまったのか。

 俺は自嘲気味に笑った。


 そんな俺の心情の変化を察したのか、正人が発破をかけるように最後の一押しをしてくる。


「これまで散々世話になってきたんだろ? 彼女にめちゃくちゃ感謝してるんだろ? ――だったら、こんな時くらいつべこべ言わず彼女の所に走れ!」


 そう言って背中を叩かれ、俺は立ち上がって屋上の出口へと走りだした。

 正人に力強く叩かれた背中はヒリヒリと痛んだが、足を止めようとは思わなか

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