29:大家さんと男の影
偶然にも白坂と映画を見た次の日。その日の学校は、朝からどこかざわついていた。
教室や廊下、果ては下駄箱でまで。誰もがその友人らしき人物達と顔を突き合わせて何やら話をしている。
俺はそんな様子を傍目に見ながら『今日は何かの記念日かイベントの日だったか?』と考えてみるも、特に何も浮かんではこなかった。
「なぁ、皆何の話をしてるんだ?」
「はぁ? お前同じクラスなのに知らねぇの?」
なので仕方なしに今日も今日とてこっちの教室まで遊びに来ていた正人に聞いてみれば、奴は呆れた様にそう言ってきた。
うるせー、知らないもんは知らないんだよ。
「しょうがねーな。耳が遅いお前に、俺が教えてやろう」
「うぜぇ……」
「実はな――」
俺が嫌な顔をしているのをサックリ無視して正人が告げたのは、ある意味予想できていたこと、出来ればそうならないでいて欲しいと俺が願っていたことだった。
正人曰く、『白坂さんが昨日、男子と並んで歩いていたらしい』。
それを聞いた時、真っ先に俺の頭に浮かんできたのは『バレた』という一つの単語だった。額からは冷や汗が出てきて、掌は嫌な汗でじっとりと湿る。
おそらく、昨日のどこかで見られたのだろう。
一応、周りに知り合いは居ないかとか、同じ制服を着ている奴は居ないかとか注意して確認していたのだが、こうして噂話となっている以上、やはり確認漏れはあったのだろう。俺は正人に聞かれない様、『……しくったな』と心の中で舌打ちした。
まあ、不幸中の幸いだったのは、話を聞く限り、白坂と一緒に歩いていた相手が俺であると誰にも気づかれていない点だろうか。
俺だと気づかれていないのなら、まだ何とでもなる。
学校生活において、俺と白坂を繋ぐ接点はほぼないと言っていい。
連絡事項を伝えるときに声をかけた時以外は話したことすらないので、同じクラスという点を除けば、赤の他人と言っても過言ではないほどだ。
極力目でも追わないようにしているので、おそらく他のクラスメイト達にも俺は彼女にはあまり興味がないと思われていることだろう。
そんな俺がいきなり彼女と行動を共にしていたと思われるはずもないし、万が一……いや、億が一疑いをかけられても、決定的な証拠がないのだから白を切り通せばいいだけである。
なので、俺に関して言えば、昨日までみたいに何事も無かったかの振る舞っておけばきっと大丈夫だ。
心配――というか、気がかりなのは白坂の方だった。
チラリと盗み見るように彼女へと視線を送ると、昼休みを満喫する様に静かに自席で読書に興じていた。
周りからの視線を一切気にした様子もなく開いた本のページに視線を落とすその姿は、傍目からは平然としており、特に変わったところはないように見えた。だが、俺はそれが逆に怪しく見えてしまう。
これだけ周りで噂されていて、それが彼女の耳に届かないわけがない。
きっと彼女は気にしないようにしているのだろうし、もしかしたら俺なんかと噂になっていい迷惑だと思っているかもしれない。
そう考えると、非常に申し訳ない気分になったのだ。
「一体誰なんだろうな。この学校の制服を着てたらしいけど……。なあ、陸は誰だと思う?」
「……さあ?」
「『さあ?』って……。何だよ、お前は白坂さんの相手が誰なのか気にならないのか?」
「別に。白坂さんが誰と付き合っていようが、俺にとっては関係がないことだからな」
「えー……、何かつまんない反応だなぁ」
「つまらなくて結構だよ」
別に何か面白いことを言おうとしていた訳ではないし、ヘタなことを言って正人に何か感づかれたくもない。焦らず騒がず、無難にスルーするのが一番である。
なので、極めて素っ気ない態度で応えれば、そんな俺の冷めた反応が気に喰わないのか、正人は『ブー! ブー!』と文句を言ってくる。俺の机の上に顎だけ乗っけて下から『少しくらい話に乗れよ~』と宣ってくるので、うざったい事この上なかった。お前は俺の妹か。
――と、俺と正人がふざけ合っていたら、教室前方に取りつけられたスピーカーからチャイムの音が響いてきた。時間的に昼休み終了五分前の合図である。
正人のクラスは廊下の反対側なので、そろそろ教室を出なければ、次の授業の用意もままならないだろう。
「ほら、予鈴もなったし、そろそろお前のクラスに戻れよ」
俺も次の授業の教科書を鞄から取り出しつつそう言えば、正人もようやくブーたれるのを止めて、重い腰を上げた。
「……しゃーない、戻るか。次の授業の先生コエーから、遅れるわけにはいかねえし」
「そうしとけ。俺も飛び火して来られたら敵わんからな」
「へいへい。あ、そうだ。最後にこれだけ見てくんね?」
「どれだ?」
俺は少しだけ『まだ何かあるのかよ』と呆れつつも、見るだけなら大した時間も取らないし、まあいいかと正人が差し出してきた奴のスマホを覗き込んだ。
奴のスマホに写されていたのは、一枚の写真だった。
二、三人で座れる長椅子がいくつも置かれた、どこか待合室の様な場所を背景に、うちの制服を着た男女一組の人物達が映されており…………俺はどうにも見覚えがありすぎる光景に頬を盛大に引き攣らせた。
「……おい待て。これをどうやって入手したっ!?」
そして、正人以外の誰にも気づかれない様な小声で尋ねれば、何も知らないフリをして俺の反応を楽しんでいた奴は『してやったり』と言わんばかりの嫌らしい笑みを浮かべる。
「実は俺の親戚の叔母さんがあそこで働いてるんだよなぁ~。そんで昨日、何かうちの制服着たカップルが来たからってんで、この写真付きで俺に連絡してきたんだよ。『この子達のこと知らないか?』って。全く、驚いちまったよ」
「……………………」
「酷い奴だよなぁ、お前。親友の俺にも何にも言ってくれねぇんだもん。おかげで親友に春が来たことを祝福するのが遅れちまったじゃないか」
正人のそんな楽しそうな囁きに、俺は何も反応しなかった。
――いや、正確に言えば、反応できるほどの精神的余裕なんて存在しなかった。
過去最大級に鳴り響く脳内アラートに、俺は動揺を隠せない。
心臓の鼓動が不自然なくらいに俺の耳に大きく響き、その所為で正人が言っていることがあまり理解できなかった。それはまるで、理解することを脳が拒んでいるかのようだった。
……ああ、夢ならばどれほど良かっただろう。
もし、過去に戻れるのなら、昨日に戻って映画を見に行こうとする俺を殴り倒してでも全力で止めてやりたい。
この時の俺はそんなことを本気で考え、現実逃避していた。
そんな俺の肩に自身の腕を置きながら正人は止めを刺しにくる。
「……さて。確か陸、今日は『バイトない』って言ってたよな? お前の家で詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか。……じっくりとな?」
奴のスマホ――正しくは、『あの映画館で俺と白坂が並んで歩く姿が写った写真』を見せられつつそんな事を言われれば、俺に拒否権などあるはずもなく……。
俺は判決が確定した死刑囚の様な面持ちでそれに頷いたのだった。
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