28:月明り、伸びる影、二人の距離感。
「送ってくださって、ありがとうございます」
白坂と映画の感想を語り合った喫茶店からの帰り道。
街灯もまばらで薄暗い夜の住宅街を並んで歩いていると、唐突に彼女からお礼を言われた。『急に何を言い出すんだ』と視線を送れば、彼女はくすっと笑って揶揄う様な視線を返してくる。
「まさか、送っていただけるなんて思いませんでした」
「どんな人でなしだと思われてたんだ、俺は」
「だって空木さん、学校では同じクラスなのに全くと言っていい程会話しませんし、さっきの喫茶店に入る時も随分と渋ったじゃないですか。外ではあまり私と行動したくないのかと」
「いやまあ、それは……」
別に白坂と一緒に入るのが嫌だったからという訳ではない。
あれはあんな所で白坂と、しかも二人きりで居るところを学校の奴らに見られたらと思うと怖くて、あまり気が進まなかっただけだ。
結局は彼女に勧められるがままに入店してしまったが、退店した今でも『我ながら大胆なことをしてしまった』と内心ではドキドキしている。小心者と笑いたければ笑え。
「それに、あなたは私が怖がっている様子を見るのがお好きな様ですし? 例え私に一人で帰らせておいて、実は後ろからひょっこり覗いていたとしても私は驚きません」
「君の中の俺のイメージ酷くない? というか、まだ根に持ってたのか……」
「当たり前です。私って意外と引きずるタイプですからね?」
そう言いつつほんのり頬を膨らませて不満を表現してくる白坂に、俺は気まずげにポリポリと頬を掻く。つい出来心でやってしまったが、その所為で随分と信用を失ってしまったみたいだ。
正直、頬を膨らませる彼女は食べ物を口に詰め込んだハムスターみたいで可愛らしいだけだったが、そんな事を言えばさらに不機嫌にさせてしまいそうなので、指摘するのは自重した。
「あの時は悪かったよ。でも、流石の俺もこんな時間に女性を一人で帰らせる様な真似はしないさ」
「どうですかね? 口ではそう言いつつ、虎視眈々と居なくなる機会を狙っていたりするんじゃないですか?」
「しないよ。する意味もないし」
他国に比べれば比較的安全な日本でも、暗い時間帯には不審者や変な人は出る。それが分かっていて悪戯に暗い夜道を彼女一人で帰らせるという選択肢は俺には無かった。
誰かに見られる危険性はあれども、彼女の安全には替えられない。
『もう辺りは暗いから、一緒に帰ろう』と俺から誘うのは、喫茶店を出る前から決めていたことだった。
「ちゃんと最後まで君の隣に居るから安心してくれ」
確固たる意志をもって彼女の目を見てそう言えば、白坂は一瞬パチクリと目を瞬かせた後、『そうですか』と表情を緩めた。
「ではやはり、私はあなたに送ってもらうお礼を言わなくてはなりませんね」
「いいよ、別に。どうせ同じ場所に帰るんだから、送るも何もないだろ」
「そう言えば、それもそうですね」
そう言って二人して笑ったのを最後に、しばし二人とも無言になった。
二人分の足音に、微かな呼吸音、それに遠くで風に揺らされた葉擦れのざわめき。
お喋りを止めて見ればこの閑静な住宅街で聞こえるのはそれくらいで、辺りは実に静かなものだ。実は俺達以外の時間は止まっているなんて言われても、今なら信じてしまいそうな、そんな静けさだった。
俺は心の中で『不思議なもんだよなぁ……』と一人ごちる。
誰かと居る時のこういう会話の隙間の様な時間が、俺は昔から苦手だった。
そもそも俺が他人とのコミュニケーションがあまり得意ではないから、ということもあるが、『何か話をしなければ』と焦ったり、『相手に呆れられているんじゃないか』と考えたりしてしまって落ち着かなくなるから、というところが大きかった。
だが今は、不思議とそんな気分にはならなかった。
寧ろ、この静寂がどこか心地よい。特に緊張することもなく、自然体で居られる。白坂が生活の中に居るのはもう自分にとって当たり前のことで、そこに無言時の焦りなどという概念は存在し得なかった。
……妹と母親以外の女性にこんな感覚を覚えるなんて、一か月前の俺に言っても信じてもらえないだろうな。今だって、どこか夢の中の出来事じゃないかと疑ってしまうのに。
まだ出会って一か月そこらしか経っていないにも関わらず彼女に惹かれ始めている自分に気づいて、俺は淡く笑った。
「あ」
そんな時、白坂が何かに気づいたように声を出した。
釣られて見てみれば彼女はいつの間にか立ち止まって空の一点を見つめており、俺も視線を追って空を見上げた。
見上げた先に見えたのは綺麗なお月さまだった。
太陽が居なくなって真っ暗になってしまった空に浮かぶ大きな灯り。人々が寝静まるのを見守るかの様に佇むそれは、残念ながら満月では無く一部が欠けていたが、それでも十分に明るく、そして美しかった。
それを見ながら俺はぽつりと呟く。
「月が綺麗だな」
「何ですか藪から棒に。『まだ死にたくないです』とでも答えればいいんですか?」
「ちげーよ。純粋に今日の月が綺麗だと思ったから、そのまんまの意味で感想を言っただけだ。――というか俺、フラレるのかよ……」
「当たり前じゃないですか。今は私、木もれ日荘を住人で一杯にする事に手いっぱいなんですよ? 誰かとお付き合いするなんて考えられません」
にべも無くそう言い切る彼女に、俺は少し残念に思った。
もちろん俺が振られたことによるものではなく、白坂という美少女が恋愛する気がないと言ったことについてだ。
女の子というものは恋をすると誰しも可愛くなる生き物であり、相手が自分でないにしても、恋をしたときの恥じらいを身近で見られるのならそれは眼福であり、『てぇてぇ』の一言に尽きるものだ。
ましてや白坂ほどの美少女のデレならば、破壊力は底知れないだろう。
それが見られないのはもはや人類の損失と言っても過言ではなく、自分が振られたとかそういうことは関係なく、ただただ『惜しい』と思った。
彼女が望むなら、すぐにでも彼氏ぐらいできそうなのに。
それこそ彼女のファンの奴らとか、彼女がちょっと気のある素振りを見せればイチコロだろうに。
「華の女子高生がもったいないな」
そう思って感想を述べれば、彼女は『いいんですよ、これで』と素っ気なく返しつつ歩いてきて俺の隣に並び立つ。
「私は今の状況に満足していますし、別に恋人が欲しいと思ったこともありません」
「さいですか」
「はい。だから今は、あなたが木もれ日荘から出て行きたくならない様に、いっぱいお世話してあげます。大家代行として、精一杯あなたに尽くしてみせます。だから――」
――ずっと、居てくださいね。
そう言って微笑んだ彼女が夜で薄暗いはずなのに眩しくて、俺は何も言えずその場に固まってしまった。
その際、月と街灯の光から伸びた二人の影がまるで寄り添うようにして近づいて見えたのは、多分きっと、目が眩んでしまった所為だ。
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