27:少しお話しませんか?
それから十数分後。長い長いエンドロールを最後までスクロールし終えると、劇場内に再び照明の光が戻ってきた。目が暗闇に慣れていたので視界がぼやけるが、何度か瞬きしているうちにようやくピントが合ってくる。
隣の席では白坂がずっと座りっぱなしで凝り固まった腕をほぐす様に、指を組んで前方へ伸ばしていた。『むぅ……』と思わず漏れ出た声にさえドキリとしてしまうのは、先ほどあんな出来事があった所為だろうか。
「面白かったですね……って、どうしてそんなに疲れた顔をしているのですか?」
くるりとこちらへ振り向いた彼女は、天井を仰ぎぐったりと座席の背もたれに寄りかかっている俺を見て不思議そうな顔をした。
上映前と比べて、俺はさぞくたびれて見えることだろう。――というか、実際疲れているし。主に精神的に。
結局、あの後白坂は、ラストシーンが終わって映画の主題歌とエンドロールが流れ始めるまで手を離してはくれなかった。もちろん振り解くことはできただろうが、縋るようにギュッと握ってくる彼女の手を離させるのはどうにも忍びなく感じてしまい、俺にはできなかった。
……まあ、その結果がこの疲労度という訳だ。
白坂は途中で(おそらくまた無意識的に)自分から手を離したので、自分が俺の手を握りしめていたことなど覚えていないだろう。
何となく、俺だけがこんなにドキドキさせられたことに理不尽を感じなくもないのだが、クラスでも人気の美少女に手を握られるというラッキーな経験をさせてもらったことを思うと、あまり文句も言えなかった。
もし、クラスメイトや他のクラスの白坂ファンにでも知られれば、嫉妬と怨念の籠った目で睨まれるんだろうなぁ…………あ、やべ、想像しただけで震えが。
「何でもないよ。ちょっと座りっぱなしで疲れただけだ」
怖い想像には蓋をして、俺はそう言って席を立った。
床に置いていた鞄も肩に背負い直し、手早く帰り支度を整える。
「じゃあ、俺はこれで。邪魔して悪かったな」
別にいいとは言ってくれたが、一応最後にもう一度隣の席にされてしまったことを謝罪して俺は白坂に背を向ける。そして、一歩目を踏みだそうとして、袖を引かれる様な違和感を覚えて踏みとどまった。
もう見なくとも何をされたのか分かった。
ただ、今回は先ほどの上映中とは異なり、今度は彼女の意思でそれが為されたということに少し驚いたが。
俺は内心またドキドキさせられつつも、それが表に出ないよう努めて平坦に問いかける。
「……どうした?」
「あ、いえ。この後、何か予定などはありますか?」
「いや、特にないけど」
『それがどうした?』と問いかければ、白坂は微笑んでこう言うのだった。
「少しお話しませんか?」
映画館から学校側へ来た道を戻れば、この街の繁華街とも言える賑やかな場所があった。道の左右には多くの店が並び、その種類は服屋に飲食店、コンビニなどと様々だ。
ただ、高校や大学が近所に複数あるからか、カラオケやファストフード店といった学生をターゲットにした業種の店が多い様に感じられる。
現に窓の外を見れば、日が暮れた今の時間帯でも多くの学生らしき人達が道を行き交い、どこかへ消えていくのが見えた。
これからどこかへ遊びに行くのか、それとも帰る途中なのか。それは俺には分からない。だが、窓越しに見た彼らの表情は楽しそうで、何となく『前者なんだろうな』と思った。
「すいません、お待たせしました」
ぼーっと通行人が行き交うのを何とはなしに眺めていると、お花摘みで席を立っていた白坂が帰ってきた。俺に一言詫びて、対面の椅子に座る。
「何を見ていたんですか?」
「いや、特に何でも。――それより、さっきの続きと行こうじゃないか。……えっと、どこまで話したっけ?」
「ラストシーン、主人公が亡くなったと聞いて悲しみに暮れるヒロインの元へ歩み寄るあの背中しか映らない人物は誰か、という所です」
そう、白坂が言った『お話』というのは、先ほど見た映画の感想だった。
見た目には分からなかったが、彼女は甚くあの映画が気に入ったらしく、誰かと感想を言い合ったり、意見を交わし合ったりしたくてうずうずしていたらしい。
それなのに俺がすぐに帰ろうとしたものだから、慌てて袖を引いて引き留めた。
それが先ほどの行動に出た理由らしい。
……わざわざ引き留めてまで『お話しませんか?』とか言うから、何かと思った。いや、期待なんてしてなかったけどな。本当に全然してなかったけどな。
とまあそんな訳で、俺達は今、名古屋発祥の逆見本詐欺で有名な珈琲店を訪れていた。
どうせ帰る場所は一緒なのだから俺は帰宅しながらでも良かったのだが、映画が終わったのが夕食を食べるには丁度良い時間であったことと、白坂が『腰を落ち着けて話したい』と言ったことからこの店に入ることにしたのだ。
今日は白坂の料理が食べられないのかと少し残念に思う気持ちもあるが、たまにはこうやって外で食べるのも悪くない。
俺は少し甘めのコーヒーを口に含んで喉を湿らせると、『あー、そうだったな』と彼女に返事を返した。
「私はやはりあの人は主人公じゃないかと思うんです。銃で撃たれたり、彼の友人達が死を悼んでいたりするシーンはありましたが、彼が亡くなったという決定的な描写は無かったように思うんです」
「つまり君は、全てはラストシーンの為の伏線だったと?」
「そうです! ヒロインと同様に観客にも主人公は亡くなったと思わせておいて、実はこっそり生きていた。最後の最後であんな風に撒いていた伏線を回収したのは、二人再会をより感動的な物にする為だったんですよ! ね、これが登場人物も私達も幸せになれる良い終わり方だと思いませんか?」
「お、おう……」
俺は頷きを返しつつ、少し身を引いた。
何か知らんが、白坂のテンションがやけに高い。キラキラと瞳を輝かせながら、こちらへ身を乗り出さんばかりに自分の推測を語る彼女は、とても生き生きとしていた。知り合いとこういう話をするのが好きなんだろうか。
……まあそれはいいが、本当にこちらへ顔を近づけてくるのはやめてくれ。ドキドキし過ぎて心臓に悪いから。
「空木さんはどう思いますか?」
「俺か? 俺はあの人物は主人公じゃないと思うぞ」
「……その根拠は?」
俺が白坂とは逆の立場を取ると、彼女は少し不満そうに唇を尖らせる。
……君が聞いてきたんだから、そんな顔しないで欲しい。
「メタ読みにはなるけど、主人公と最後の人物は演者さんが違った様に思う」
「? ラストシーンで顔は見えていませんよね? どうしてそう思ったんですか?」
頭に疑問符を浮かべそう尋ねてくる白坂に、俺は『自信は無いけど』と前置きしつつ答える。
「一番は歩き方だな。一歩の間合い、腕の振り方、歩くときのテンポ。それらが主人公が登場するシーンのいずれとも違うように見えたんだ。日常風景シーンの主人公は終始彼の穏やかな性格が良く出ているゆったりとした歩き方の演技だったけど、最後のシーンでは少しガサツな印象を受けたよ。あれは戦争で死を身近に経験して荒くなってしまったことを表現しているとも捉えられるけど、やっとのことでヒロインの元へ帰ってきたことを考えるなら元の演技の方が場面的には合っていると思う。まあ、俺個人の好みと言われればそれで終わりだけどな。あとは――」
俺はさらに続けようとして、そこで白坂がポカンとこちらを見ていることに気が付いた。
彼女は目を丸くして言葉を失っており、俺の発言でそうなったことは明白だった。
――あ。あー…………しくった。
明らかにべらべらと喋りすぎた。白坂が聞いてきたのは『どうして主人公と最後の人物の演者が違うと思ったのか』だけだったのに、最後の方は表現方法についてまで語ってしまった。答えるだけなら最初だけでよかったじゃないか。……あぁ、くそ、やらかした。
「……すまん、調子に乗った」
「い、いえ、そんなによく見ていたんですね。……いつもそこまで詳細に見ているんですか?」
「そんなことは! …………あるかもしれない」
「よっぽど映画がお好きなんですね」
「……まあな」
穴があったら入りたいとはこの事か。
まるで変わり者を見るかの様な白坂の視線から逃れるため、俺は頼んでおいたハンバーガーを食べるふりをして、その包み紙で顔を隠すのだった。
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