26:無意識の可愛さはタチが悪い。
スロープを下りきると、そこはもう劇場内だった。
話に聞いていた通り、薄暗い場内には三十席ほどの座席があり、既に上映を待っていた他のお客さん達が座っている。ただ、平日の夕方というサラリーマンや主婦には微妙な時間帯とあってか、席の埋まり具合はまばらだった。
前方の白いスクリーンには、『間もなく開始致します。お席に着いて静かにお待ちください』と表示されており、どうやらまだ始まってはいない様子だ。
見渡していると、ふと後列やや中央よりの席に座っていた白坂と目が合った。
彼女は俺と目が合ったと気づくと、どこかホッとしたように微笑む。俺が間に合うかどうか心配してくれていたのだろうか。
俺は片手を上げて返事を返すと、彼女の傍へ近づき、その隣の席に腰を降ろした。それにキョトンとした顔で驚く白坂。
「え、あの……」
「先に言わせてもらうけど、俺の所為じゃないからな」
言っておかないと誤解されそうだったので、俺が望んだからではないことを明言しておく。『はぁ……』と困惑気味の彼女に俺は事の経緯を説明する。
「さっきロビーで君と立ち話をしていたのをチケット売り場の店員さんに見られていたらしくてな、変な気を回されたんだ」
「変な気とは?」
「それは……あれだよ。俺と君が……その…………ただならぬ仲だと」
恋人同士、もしくは友達以上、恋人未満の関係……とは流石に恥ずかしくて言えず、俺は若干言葉を濁しつつ白坂の問いかけに答えた。
ただ、それでもやはり恥ずかしく、俺は彼女から視線を逸らす羽目になった。
「はぁ……男女で恋愛映画を見に来たのでカップルだと誤解された、ということでしょうか?」
「多分な。……すまん白坂、落ち着いて見たかっただろうに。俺が隣で迷惑だろ?」
「いえ、別に迷惑ではありませんよ?」
俺が店員さんの押しに負けず、あの場でしっかりと断っていれば済んだ話なので、さぞ白坂も迷惑に思っていることだろうと思ったのだが、意外にも彼女は平然とそう言った。
「あなたは知らない人ではありませんし、友人がただ隣で映画を見ることに私はとやかく言いません。……まあ、あなたが上映中に騒ぐ、というのならご遠慮願いたいですが」
『あなたはそんな事しないでしょう?』とでもいう様な視線を向けられ、俺ははっきり頷いた。
「ああ、それは大丈夫だ」
「なら、いいです。――ほら、そろそろ始まるみたいですよ」
白坂の言葉とほぼ同時に、劇場内の照明が完全に落とされた。
薄暗かった場内が完全に暗闇に包まれ、その数秒後に背後から照らされるプロジェクターの光が真っ白なスクリーンに色とりどりの映像を映し出す。
「(まだ何かあるなら終わった後に聞きます。今は映画を楽しみましょう)」
「(……そうだな)」
俺達は他のお客さんの迷惑にならないよう小声でそう言い合うと、そこで話を打ちきってスクリーンへと視線を向けた。
今日見に来た『君とした雪花の約束』は、平成初期に公開された古い恋愛映画である。
舞台は第二次世界大戦前後を時代背景とした架空の日本。良家に生まれたヒロインと両親を早くに亡くし、孤独に生きる庶民の青年の恋愛模様を描いた作品だ。
作風はかの有名なロミオとジュリエットの様、と言ったらよいだろうか。
社会的に立場が違う二人が偶然にも出会い、恋に落ちる。しかし、良家であるヒロインの家が二人の恋を簡単に許すはずもなく、若い恋人たちは課される障壁を乗り越えて愛を成就させようと奮闘するのだ。
二人の必死の説得に、最後にはヒロインの実家も折れて二人の結婚を認めるのだが、結婚式を迎える直前になって主人公が戦地へ赴くことになってしまう。
泣き崩れるヒロインを宥める為、また、自分が絶対帰ってこれるように、主人公はヒロインとある約束をする。
『泣かないでください、愛しい人。僕は絶対に帰ってきます』
『絶対なんて嘘。戦争に行くのよ、無事で居られる保障なんて無いじゃないの!』
『それでもです。だから、僕と一つ約束してください』
『……約束?』
『僕が帰って来たら、二人で君の故郷に咲くという雪の上に咲く花を見に行きましょう。貴女が約束してくれるのなら、きっとこの約束が僕を守ってくれます』
『……それが何になるって言うの? そんなものじゃ、銃弾や刃物なんて防げないのよ』
『いえ、守ってくれますよ。僕の心を。君との愛を貫いてきた僕です。心さえ無事なら例え手足をもがれたとしても貴女の元へ帰ってきます。――だから、僕と約束してください。僕が貴女への愛を証明できるように』
『……あなたは狡い人ね。そんな風に言われたら、頷くしかないじゃない』
……感動的な台詞だけど、死亡フラグ感がすごい。
『俺、この戦争が終わったら結婚するんだ』とか『来月、娘が生まれるんだ。こんな所で死ねないよ』といった、次のシーンでその人物が亡くなるパターンでよく使われる台詞と同じニオイを感じる。……大丈夫か、主人公。
スクリーン上で抱き合う二人を見ながら、俺はそんなメタい事を考えていた。
――さて、そんなこんなで物語は進み、映画は終盤へと差し掛かっていく。
場面は日常風景から戦場へと移り、激しい銃撃戦や地雷や爆弾による爆破シーンがチラチラ挟まれるようになってきた。
この映画は恋愛がメインなのでグロテスクな表現は控えめだが、それでも迫力のある映像に見ているだけのこっちまで主人公が死なないかハラハラさせられた。主人公に感情移入して、思わず手に力がこもる。
『死なないでくれよ……』と半ば祈るように考えていると、ふと上着の腕の部分が何かに引っ張られる様な違和感があった。座席のひじ掛けにでもどこか引っ掛けたのだろうか。
そう思って視線をスクリーンから外しそちらへ向けると、原因はまさかの白坂だった。
彼女がこちらへ伸ばした手でちょこんと俺の上着をつまんでおり、まるで『近くに居てくれ』と言わんばかりにこちらを離すまいとしていたのだ。
「――っ!?」
それを認識した瞬間、俺の表情が強張った。
何といじらしくて可愛らしい仕草だろうか。彼女の視線はスクリーンへ向けられている為、わざとではないのだろうが、俺はドキドキしてしまってしょうがなかった。意識したくなくとも、上着の引っ張られている部分に集中してしまう。
……どうしたものか。
本当は彼女のためにも指摘してやるのが良いのだろうが、今は上映中だ。
彼女の集中を邪魔することになるし、やるなら小声でするつもりとはいえ他のお客さんの迷惑になるかもしれない。そう考えると、なかなか踏ん切りがつかなかった。
「…………な、なぁ白坂。手――」
何度かの逡巡の後、俺は意を決して白坂に声をかける。
そして、まさにそのタイミングでスクリーン上では主人公が銃で撃ち抜かれていて――
「(ダメッ!)」
そんな小声の叫びと共に俺の手に自分のそれを重ねる白坂。
すべすべでふにふにで、明らかに男の物ではあり得ない柔らかさを持つその感触を感じつつ、俺は必死に叫びそうになるのを堪えるのだった。
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