24:1/3の悪戯な感情
ふと、何かが髪に触れた気がした。
気づけば人肌くらいの温かい何かが俺の髪を撫でるように何度も往復しており、それが何だか心地良く、何よりとても心が安らいだ。……ああ、折角浮かんできた意識がまた沈み込んでしまいそうだ。
「う……ん、おいでー……あずきー……」
ぼんやりとした意識の中、俺は目を閉じたまま手を伸ばしてその温かい何か――実家で飼っている猫を胸元に引き寄せる。俺が捕まえると驚いたようにビクッと震えたが、然程の抵抗もなく、腕の中に収まってくれた。
俺はふにふにと柔らかいその体を撫でて感触を楽しみつつ、鼻を近づけて空気を目いっぱい吸い込んでみる。すると、いつもの様にまるでお日様の下で干した布団の様ないい匂いが――……しないな。
いや、いい匂いはするんだけど、何か違う。
柑橘系のほんのりと甘い、割と最近どこかで嗅いだことのある匂いが鼻孔をくすぐってくる。
……あれ、俺は今、何を抱いているんだ?
「……あ、あの、流石にそれは恥ずかしいんですけど……」
すぐ傍の真上からそんな震える声が聞こえ、俺はようやく瞼を開けた。
開けた視界の上半分は横向きに見える木もれ日荘の俺の部屋、そして下半分は隙間から肌色が覗く黒いストッキングといった光景が広がっている。
そして、実家で飼っている猫だと思っていたそれは、どこからどう見ても華奢で小さな女の子の手であった。
「おはようございます」
声に釣られて視線を上げれば、至近距離から俺を見つめる白坂と目が合った。
血色の良い乳白色の頬はどこか恥じらうように桜色に染まり、大きな黒い瞳には恥じらいもあったが、それよりも呆れの色が色濃く浮かんでいた。
……待て。ちょっと待ってくれ。
そこまで周囲の状況を確認し終えて、俺は少し冷静になった。
今の状況を整理すると、俺の頭の下には黒いストッキングに包まれた脚があって、逆に上からは白坂が見つめている。この状況を鑑みるに、俺は今彼女の脚を枕にして寝ているということであって、つまりそれは俗に言う所の膝――
そこまで認識した途端、俺は勢いよく飛び起きた。
座ったままズルズルと後退し、掃き出し窓に背中をぶつけた所でようやく止まる。
「な、何で……」
「覚えていないのですか? あなた、後頭部を打って気絶していたんですよ」
呆れたように溜息混じりにそう言われ、俺はようやく思い出した。
そうだ。俺は気絶する直前、面白い様に怖がる彼女をちょっと揶揄おうとして反撃を食らったんだ。そんで驚いた拍子に足を滑らせて後ろのテーブルの角に頭をぶつけて……。
試しに打ったはずの後頭部を触ってみると、少し腫れて瘤になっていた。
「……どうして俺にあんな事を?」
未だ後頭部に残る彼女の柔らかい太ももの感触に赤面しながら問いかければ、白坂は何のことか思い当たらなかった様で『あんな事?』とオウム返しに聞き返してきた。
俺はその単語を自分が発することの気恥ずかしさから『うぐっ』と詰まったが、コテンと首を傾げる彼女の姿に、これは仕方ないと諦め、答えた。
「……膝枕だよ」
「ああ、その事ですか。だって、空木さんの自業自得ではありますけど、直接的な原因は私なんですから、そのままにしてはおけないでしょう? 無礼を働かれてもあなたを見捨てなかった私に感謝して欲しいですね」
「それは……すまん。ありがとう」
つん、と拗ねた様に顔を背ける白坂に、俺はその場で姿勢を正して謝罪した。
悪戯心が抑えきれなかったばかりに彼女にちょっかいをかけて、さらにその反撃にあったとはいえ彼女に膝枕を半分強制するなんて……。あまりの情けなさと気恥ずかしさで顔が熱くなる。
……ああ、穴があったら入りたいとはこのことか。
「どうしたしまして。でも、もうあんな事しないでくださいね? 本当にビックリしたんですから」
「分かった。もうしないよ」
『それなら、もういいです』と、白坂はこの話はここで終わりとばかりに立ちあがったので、俺も気分的に少し重たい腰を上げた。
「さて、どうしましょうか? まだ夕食というには随分早いですけど」
白坂に言われて壁の時計を見てみると、確かにゲームを始めた時から然程時間は経っていなかった。時間的に気絶していた時間は十五分ほどだろうか。窓の外は依然として明るく、まだまだ遊ぶ時間はありそうだ。
俺は口元に軽く握った拳を充てて『うーん』と考え込み、そして一つの提案をする。
「俺の所為でいいところで区切っちゃったし、このままゾンビハザードの続きでもやるか」
俺は操作する人が居なくなった為に、ゾンビに為されるがままにやられてしまい、画面いっぱいに『ゲームオーバー』と表示されたテレビを見やる。
実はもう少しだけ進めればムービーが流れる個所があって、まだまだ序盤だというのに中々派手な爆破シーンや豪快なアクションが満載で面白いのだ。折角叫びながらもここまで来たのだから、是非とも白坂にも見ていただきたい。
……そして欲を言うなら、あともう少しだけ、あの余裕のない彼女を見ていたい。
そんな善意と悪意が7:3くらいで混ざった彼女への提案だったのだが、彼女は俺の提案を聞いてビクリと肩が震わせた後、一分の隙も無い笑顔で首を横に振った。
「いえ、別の物をやりましょう。ずっと私だけ遊んでいるのも申し訳ないですし」
「え? いや、俺は別にいつでもできるし、見てるだけでも構わないぞ?」
「いえいえ、例えそうだとしても、今日は折角二人で遊んでいるんですから、二人でできる物をやりませんか?」
「いやいや、本当に俺の事は気にしなくていいぞ? これは君へのお礼なんだから、君が楽しんでくれさえすれば俺は満足だよ」
「いえいえいえ」
「いやいやいや」
何故か意見の平行線を辿る俺達。
『いえいえ』『いやいや』と相手を慮って遠慮する様なことを言いながらも、どちらも自分本位の理由が見え隠れしていて、譲る様子など皆無だった。もし、この様子を客観的な第三者の人間が見ていたとしたら、さぞ呆れた顔をしていることだろう。
結局の所、その後も俺達の意見の平行線が交わることはなく、最終的にキレた白坂が『そんなイジワルなことを言う人には、もうご飯なんて作ってあげません!』と言い出して、俺が平謝りをするという一幕があってようやく終結を迎えたのだった。
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