20:筈、なんだけどなぁ……。
春海がやってきて三人で夕飯を食べたあの日以降、俺と白坂の関係に少し変化があった。
具体的に言えば、彼女が俺の部屋に夕飯を作りに来てくれるようになったのだ。
引っ越し初日には断ったものの、白坂の料理の美味さを知り、部屋の汚さという問題も解決された今、彼女の出来立ての料理という魅力には逆らえなかった。
『この前も空木さんの部屋で作りましたし、もうギブアップということでいいですよね?』との彼女の言葉に、俺は諸手を上げて全面降伏した訳である。
ただ、大家代行とその入居者という関係性は依然としてそのままであり、特に付き合ったりだとか、急接近したりだとか、そういう浮ついたことは一切ない。
ちょっと変わった関係ではあるが、俺達はただのクラスメイト。
少しくらい変化があっても、そこは何も変わらない――
――筈、なんだけどなぁ……。
「はい、どうぞ」
白坂が差し出してきたお茶椀を、俺はお礼を言って受け取る。
湯気が立ち昇るそれは炊き立てのご飯が盛られたものだ。
まだ白坂が夕飯を作りに来てくれるようになって三日ほどしか経っていないが、既に俺の胃袋の大きさを把握されているらしく、盛りつけられているのは俺がおかずと一緒に食べて腹八分目といった量だった。
俺がそのことに妙な気恥ずかしさを感じているうちに、彼女も自分のお茶椀にご飯を盛り付けテーブルに着いた。テーブルを鋏んで視線を交わし合い、どちらからともなく手を合わせて『いただきます』をしてから、俺達は夕飯を食べ始めた。
まずは楽しみにしていた肉じゃがを一口。
美味い。ホクホクと暖かく味の染みたジャガイモに、自然と頬が緩む。これだけでも、急いで帰ってきた甲斐があったというものだ。
続いてご飯を掻き込み、小鉢に入れられていたカブの漬物を齧る。
炊き立てのご飯は言うに及ばず、カブの漬物は少し甘酸っぱかったが美味かった。ただでさえ好物の肉じゃががおかずで減りが早いご飯が、味の変化によって食べやすくなり、さらに減るスピードが速くなった。
それを一旦落ち着ける為、今度はお吸い物をずずずっと吸い込む。
しめじとえのき、二種類のきのこが入れられたそれは、汁にきのこの旨味成分が良く出ていてこれまた美味い。何より、何ともほっとする味で、身体の内側からじわじわと温められていく様な感覚がたまらなかった。
「お口に合ったみたいですね」
俺が一旦箸を止めてほうっと息を吐いていると、テーブルの向こうで白坂が小さく笑った。どうやら俺が食べる様子を見守っていたようで、慈愛に満ちた眼差しを俺に向けている。
「ハルちゃんと三人で食卓を囲んだ時から思っていましたけど、空木さんってとても美味しそうに食べてくれますよね。喜んでいただけているみたいで、私も嬉しいです」
「え……俺、そんなに表情に出てるのか?」
「ええ、割と。食べている間、何だかとっても幸せそうです」
白坂に『気づいていなかったんですか?』と聞かれ、俺は愕然と被りを振った。
マジか。……うわ、何か恥ずかしい。
白坂の料理があまりに美味しくて、自分でもいつもよりは表情が緩んでいる様な気はしていたが、まさかそれ程までに緩んでいるとは。自分では意識していなかった部分なだけに、そこを指摘されるのは何だか無性に恥ずかしかった。
「……君の料理が美味過ぎるんだから、しょうがないだろ」
俺は内心では悶えつつも表面上は平然としているフリをして、さらにもう一口分箸で摘まんで、口の中へと放り込んだ。
ただ、彼女にはそんな照れ隠しはお見通しだったようで、少々素っ気ない態度をとってしまったにも関わらず、おかしそうにくすくすと笑われてしまった。
「……別に笑うことはないだろ」
「ごめんなさい、怒らせるつもりはなかったんですが。照れた空木さんの反応が可愛くて、つい」
「はぁ? 俺が可愛い? 冗談だろ」
それを白坂の様な見目麗しい美少女に向けて言うのなら分かる。
学校の連中がいつも彼女のことを『可愛い』『可愛い』と言っている様に、美人は周囲の人間が自然と褒めそやしたくなるものだからな。
だが、俺に言うのは間違っているだろう。俺に可愛げは皆無だし、特に言われて喜ぶ訳でもないんだから。というか、そんなこと言われても反応に困るだけだ。
「こんな愛想のない男捕まえて、可愛いも何もないだろ」
「そうですか? 私は可愛いと思いましたけど」
「揶揄うのは止めてくれ。第一、女子の言う『可愛い』は信用できない」
「別に揶揄ってなんてないです。私は本当に可愛いと思ったものにしか可愛いと言いませんから」
「じゃあ、さっき俺のどこを見て可愛いって言ったのか教えてくれ」
「いいですよ。どこを見てというか、雰囲気ですね。母親に言い訳する子供みたいで可愛いなって」
「やっぱり君、俺を揶揄ってるだろ……」
思わずジト目になって咎める様に白坂を見れば、彼女は軽く握った拳で口元を隠して笑いつつ『すいません、今のは少し揶揄いました』と容疑を認めた。
『……ったく』と、憮然として溜息を吐く俺。
「……君、最初から割と俺に対して遠慮なかったけど、最近は特にそれが顕著になったよな」
「そうかもしれません。でも、それを言うならお互い様では? 出会った時の空木さんのままなら、こうして一緒にご飯を食べていることもなかったでしょうし」
それは確かにそうだ。
出会った頃の俺は『特典なんて要らない』と割と意固地になって拒否していたし、学校での彼女の人気もあって、木もれ日荘でも極力白坂には近づかないようにしていた節があった。
それが紆余曲折あってこうして食卓を囲んでいるのだから、人生とは何が起こるか分からないものだ。
「それについてはめちゃくちゃ感謝してる。ありがとうな、白坂。おかげでいつも美味しいご飯が食べられて、俺はとても幸せ者です」
「お粗末さまです。私も美味しそうに食べてもらえて嬉しいですよ?」
くすりと微笑んだ白坂に、不覚にもドキリとした。
「……お返し、まだ全然できてなくてすまない」
「私は沢山返してもらっていると思っているのですが……あなたは納得していないんでしょうね」
「いやまあ……貰っている恩の大きさが全然違うし。自分から『お礼がしたい』と言っておいて待たせているのは悪いとは思っているんだが……」
「いえ、別に気にしてはいませんよ? あなたと私の仲ですから、そんな些細なことで怒ったりしません。あなたの気の済むまで、いつまでも気長に待っていますよ」
ふわりと笑う白坂。
その笑顔にどことなく今までに見られなかった俺への信頼の様な物を感じて、俺は思わず息を飲んだ。
「……なあ白坂、俺と君の――」
俺は途中までいいかけて、最後まで言えずに口を閉ざした。
当然、白坂は『俺と君の――何ですか?』と何を言おうとしたのか尋ねてきたが、俺は『何でもない』と首を横に振った。
――俺と君の関係って、ただのクラスメイトだよな?
たったそれだけのことを聞くだけなのに、その時の俺は何故か躊躇してしまって聞くことができなかった。
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