19:まるで新こn……ゲフンゲフン。
「『今バイト終わった。すぐ帰る』っと」
平日夕方のバイト終わり。事務所に設置されているパソコンの勤怠システムに終了時間を打刻するや否や、俺はメッセージアプリである
流石に返信までややあるかと思ったが、すぐにそのメッセージに既読の文字が付いた。もしかしたら、俺がそろそろ送ってくると予期して待ってくれていたのかもしれない。
『了解です。では、お部屋に入らせていただきますね』
『分かった』
『あ、今日は空木さんの好きな肉じゃがですよ』
『え、マジ? 急いで帰るよ』
『ふふ、肉じゃがは逃げませんから、焦らずゆっくり帰ってきてください』
『了解』
バイトの制服から学校の制服に着替えつつ『彼女』とそんなやり取りをして、俺はロッカーを閉じた。盗まれて困るものは何もないが、一応ちゃんとダイヤルを回して扉に鍵がかかっていることを確認してから更衣室を出る。
「あ、空木君。お疲れ~」
挨拶してから帰ろうとバックヤードに顔を出せば、今日も今日とて音帆さんがスマホをポチポチ触りながらサボっていた。相変わらずの姿に思わず苦笑する。
「お疲れさまです、音帆さん。お先に失礼しますね」
「あ、ちょっと待って。私ももうすぐあがるからさ、良かったらこの後モックに行かない? この間言ってたあれやろうよ」
「あれ?」
「あれだよ、あれ。モンファン」
モンファンとはモンスターファンタジーの略で、恐竜っぽい見た目のモンスターを剣や魔法で倒すアクションゲームである。最大四人まで協力プレイできて、リア友やオンライン上の誰かとワイワイ遊べるので、シリーズを通して根強い人気がある作品だ。
つい先日その最新作が出たばかりで、特に今作はアクションの幅、狩猟モンスターの数が前作より大幅に増えていると話題で、その話を音帆さんとした時に『今度一緒にやろう』という話をしていた。これはどうやらそのお誘いらしい。
俺はそんな音帆さんからの素敵なお誘いに、少しだけ乗るかどうか悩んだ。
折角のゲームのお誘い、ましてや女性からの申し出である。俺としてもオンラインよりも知り合いと現実で集まってやる方が好きだし、心境的には『お誘いに乗るのもいいなぁ』なんて思ってしまう。
しかし、先ほど『彼女』としていたやり取りを思い出し、俺は両手を合わせて謝罪の意を示しつつ、『すいません』と断りのお返事を返した。
「もう晩飯作ってくれてるみたいなんで、今日はちょっと……」
「あー、そっかぁ。それなら仕方ないね。モンファンはまたの機会にやろうか」
「折角誘ってもらったのにすいません」
「いいよいいよ。私がいきなり言ったのが悪いんだしね」
音帆さんはそう言ってくれるが、やはり少し申し訳なかった。
……折角誘ってくれたんだし、一応フォローしておくことにしよう。
「予め言っておいて貰えれば大丈夫だと思うんで、また誘っていただけますか?」
「うん、誘う誘う! 楽しみにしておくよ~! ……あ、晩御飯もう出来てるんだっけ。引き止めちゃってごめんね?」
「いえいえ、大丈夫です。――それじゃ、俺はこれで」
「うん、お疲れ〜」
最後にもう一度音帆さんに『お疲れ様です』と言って頭を下げると、今度こそ俺はネカフェを出た。
途中、店内清掃から帰ってきた他のバイト仲間や店長に出会ったが、挨拶するのみで今度は引き止められることもなかった。
「さて、帰るか……ん?」
駐輪場から自分の自転車を探し出してサドルに跨ったところで、俺のスマホが振動すると共に『ニャイン♪』と猫の鳴き声の様な音を鳴らした。どうやら新着メッセージが届いたらしい。
別に帰ってからの確認でも良かったのだが、もし『彼女』からの追加の買い出しのお願いとかだったら困るので、俺は猫型のアイコンをタップしてアプリを開いた。流石にこの時間から帰ってきた道をまた戻ってスーパーまで行くのは面倒だしな。
確認してみると、やはり新着メッセージは『彼女』からのもので――
『すみません、言うのを忘れてしまっていました』
『お仕事お疲れ様です。気をつけて帰ってきてくださいね』
『おつかれさま!』と書かれた謎の黒猫のキャラクターのスタンプと共に送られてきたそのメッセージを読んだ瞬間、俺はゴクリと生唾を飲み込んでしまった。
予想通り『彼女』からのメッセージではあったが、文面は全くと言っていいほど予想外だ。……まったく、『彼女』は男にこの文章を送る意味を分かっているのだろうか?
仕事終わりに連絡したり、同僚の誘いを断ったり。これじゃ、まるで新こn……ゲフンゲフン。
「……帰ろう」
俺は脳裏に浮かんでしまった碌でもない考えを散らす様に、ペダルを力強く踏み込んだ。
無心で漕いだ所為か、帰宅するのに要した時間はいつもより短かった。
俺は自転車を所定の場所に置き、自分の部屋の扉の前に立つ。ただし鍵は取り出さず、代わりに扉の横に設置されているインターホンのボタンを押した。数秒程のタイムラグの後、電気が灯り、内側から扉が開かれる。
「おかえりなさい。思ったより早かったですね」
そう言って『彼女』――白坂綾乃は、俺を出迎えてくれた。
部屋着のラフなパーカーとスカートの上からパステルピンクのエプロンを身に着け、背中側では長い黒髪をシュシュで一つにまとめてポニーテールにしている。料理の途中だったのか手にはお玉を持っており、俺は帰宅早々『君は一体どこの新妻だ』とツッコミそうになるのを堪えねばならなかった。
「……今日は信号の機嫌が良くてな。それで早かったんだよ」
「なるほど、そうでしたか。――あ、先にお風呂にしますか? ご飯にしますか? もう両方とも準備できていますけど」
「……っ! だから、君は一体どこの――」
「? どうしました?」
「……何でもない」
不思議そうに見つめてくる白坂の顔が見れなくて、俺は靴を脱ぐ振りをして彼女から背けて玄関に座り込むのだった。
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