17:エルフの剣士に殺されそうだ。

「綾乃先輩、これってどうすればいいんですか?」

「どれですか? ……ああ、それはですね。無理に包丁で切ろうとするんじゃなくて、ヘタの所を親指で押してあげるんです。ほら、こうやって――」

「わっ、すごい! 綺麗に取れてる!」

「ふふ、慣れればハルちゃんにもできますよ。難しければ半分に切ってキッチンバサミを使うのも楽ですから、覚えておくといいですよ」

「へー、勉強になりますっ!」


 聞こえてきた姦しい喋り声に視線を向ければ、エプロンを身に着けた女子二人が自室のキッチンで仲良さそうに料理をしていた。こうしてみれば年が近い姉妹のようにも見え、見ているだけで自然と頬が緩む。


 ……片方は妹なので、褒めるのは少し癪ではあるんだけどな。


 だけどもそんな感情を除けば、二人とも系統は違えど美少女と呼んでも差し支えない程見目が整っているので、見慣れたキッチンがお花畑に見えるほど場が非常に華やいでいる様に見えた。


「なんか俺がここに居るのが場違いに思えてきたな」


 俺がこの部屋の借主なので、ここに居るのは全然変なことではないのだが、あの光景を見ていれば何となく居ない方がいいのではないかと思えてくる。いわゆる百合の間に挟まりたがる男的なイメージだろうか。……エルフの剣士に殺されそうだ。


「? 何か言いましたか?」

「いや、何でもない。ただの独り言だ。それより、俺も何か手伝おうか?」


 最初は『見ているだけ』と言っていた春海も、何だかんだ白坂にエプロンを貸してもらって料理の手伝いをしている様だったので、俺もただ座って待っているより何かした方がいいかと思ったのだ。だが、返ってきたのはやんわりとしたお断りの言葉だった。


「いえ、ハルちゃんが手伝ってくれて十分手は足りていますので、大丈夫ですよ」

「……そうか? 別に遠慮しなくていいぞ?」

「お兄ちゃんは料理なんてできないでしょ? こっちに来られても邪魔になるだけだよ」

「お前はもうちょっと言葉を選んでくれ」


 歯に衣着せぬ物言いに思わず渋面になるが、確かに春海の言うようにあの決して広くはないキッチンに三人も居れば邪魔になってしまうだろう。包丁を持った経験も調理実習くらいしかないので、俺では戦力にならないと言われるのも頷ける話だ。


「すぐにできるので座って待っていてください」

「……分かった。そうさせてもらうよ」


 白坂に苦笑いでそう言われ、俺はすごすごと退散した。

 しょうがない。できるまでテレビでも観てるか。




   ◆◆◆    ―――   ◇◇◇   ―――    ◆◆◆




「できましたよ」


 呼ばれたのは、それからおよそ十分後のことだった。

 何となくで見始めたバラエティー番組の視聴を止め、テレビの電源を切ってテーブルへと向かう。


「じゃじゃーん! どうよ!」


 ドヤ顔で胸を張る春海を横目に収めつつテーブルの上を見ると、三人分のご飯と中華スープ、それにテーブルの中央に大皿で一品。出来立ての料理がほかほかと湯気を立ち昇らせながら並べられていた。


 今日のメインはピーマンとタケノコと豚肉を細切りにして炒めた料理。端的に換言すれば、青椒肉絲だった。大きめの皿に盛りつけられ、食欲を誘ういい匂いが漂っている。やばい、油断すればよだれが垂れてきそうだ。


「美味そうだな」


 既に席に着いていた春海の隣に腰を降ろしながらそんな感想を述べれば、何故か『でっしょー?』と得意げに笑みを浮かべた。


「……何でお前が偉そうなんだよ。作ったのは白坂だろ?」

「そうだけど、私もピーマン切るのは手伝ったもん!」


 『それは味には寄与していないのでは?』と思ったが、自分は具材を切るどころかテレビを見ていただけで何もしていないので、口に出すのは止めておいた。沈黙は金、雄弁は銀である。


「ふふ、仲がよろしいのも結構ですが、お話ばかりだと冷めてしまいますよ? 折角なので、暖かいうちにどうぞ」

「それもそうだな」


 白坂に促され、俺達は揃って『いただきます』と手を合わせた。

 そして、すぐに中央の皿へと手を伸ばし、自分の皿に少しだけ取り分けてから青椒肉絲を口の中へ放り込んだ。


 やはりというか、予想通り美味い。

 肉は柔らかく、ピーマンはシャキッと、さらにタケノコはコリコリとしていて、味付けはもちろんのこと食感も良くてとても美味しかった。


 そして何より、出来立てであるというのが非常に大きいだろう。

 料理は出来立てが美味しいように設計されていると以前何かで見たが、まさにその通りで、一度冷めてしまって再度電子レンジで温め直した物と比べて遥かに美味く感じた。ついつい箸が進んでしまう。


「やばっ、これめちゃくちゃ美味しいです!」

「そうですか?」

「はい! ついお箸が進んじゃうっていうか、あまりに美味しくて食べるのを止(や)められない止(と)まらないって感じです!」

「……そこまで喜んでいただけると作り手冥利に尽きますね」


 ぶんぶんと音が出そうなほど手を振りながら美味しさを力説する春海を、白坂は微笑ましそうに見つめていた。


 その表情は俺の目にもはっきりと分かるほど嬉しそうで、そんな彼女の顔を見られたことに俺は『少しくらい春海に感謝してやってもいいかな』なんて思った。


「ね、お兄ちゃんもそう思うでしょ?」


 ――と、そんな事を考えていると、春海が俺にも話を振ってきたので、俺も白坂に向けて『めちゃくちゃ美味しい』と感想を言った。そしてその上で、


「肉じゃがには負けるけど、俺も食べる箸が止まらないよ」

「空木さん、肉じゃが大好きですよね」

「ああ、君の作るやつはすげぇ味が染みてて美味いんだよ。うちの母さんが作ったやつはどうにも出汁の染み込み具合にムラがあってなぁ……」


 俺が昔母さんが作ってくれた肉じゃがを思い出しつつそんな感想を述べれば、隣から『うっわ……』と蔑む様な声が聞こえてくる。


「お兄ちゃんデリカシー無いねぇ……。女の子の手料理を自分の母親と比べるとか、女の子に年齢を聞くのと同じくらい失礼なんだよ?」

「それは自分の母親と比べて貶す場合だろうが。この場合褒めてんのは白坂なんだし、別にいいだろう?」

「うわ~、お母さん可哀想。忙しい中、私達に母親の味を覚えてもらおうと思って頑張って練習して作ってくれたのに、お兄ちゃんたらそんなこと言うんだ~」

「どっちにしろ俺が責められるのかよ……」


 春海に一方的に悪者扱いされ、思わず渋面になるものの、確かに勝手に二人の料理を比べた俺が悪かったかもしれない。それぞれの料理にそれぞれの良さや料理に込めた気持ちがあって、それを単純な味だけで比較するべきではなかったなと、俺は反省する。


 ……だけど、それと春海へのイラつきは別問題な訳でして。


 俺は自分の皿にがばっと青椒肉絲を取り分け、妹の分も食いきる勢いで口の中に放り込んだ。


「あ、ちょ、お兄ちゃん取りすぎ! 皆の分が無くなっちゃうでしょ!」

「安心しろ春海。食べているのはお前の分だ」

「あ、そうなの? そっか、綾乃先輩の分があるなら安心だね~……とでも言うと思ったか! 私の分勝手に食べないでよ!」

「はっ! 知らんね、早い者勝ちだ!」


 その後、空木家兄妹による見にくい青椒肉絲奪い合い戦争が起きたのだが、そんな騒がしい食卓を白坂は何故か微笑ましそうに眺めていたのだった。





   ◆◆◆    ―――   ◇◇◇   ―――    ◆◆◆




「じゃあ、そろそろ帰るね」


 夕飯を食べ終えて片付けも終えた後、春海は立ち上がりつつそう言った。

 どうやら予想よりも帰りが遅いので、母さんから『大丈夫? まだ帰らないの?』と連絡が来たらしい。


 流石にこんな時間に中学生を一人で歩かせるわけにもいかないので『駅まで送ろうか?』と見送りを申し出れば、もうタクシーを呼んでおりアパートの前まで来ていると言う。

 いつの間に連絡したのか気づかなかったが、『そういうことなら』と白坂と二人で玄関まで見送ることになった。


「綾乃先輩、お料理ありがとうございました! とっても美味しかったし、一緒に作るのも楽しかったです!」

「喜んでもらえたみたいで良かったです。また機会があれば一緒に料理しましょうね?」

「はい、是非!」


 そう言って別れを惜しむように手を握り合う春海と白坂。

 『今日初めて会ったばかりなのに随分仲良くなったもんだ』と少し感心する。


 二人の手が離れたタイミングを見計らって俺は妹に声をかけた。


「気を付けて帰れよ。向こうは父さんに駅まで迎えに来てもらえ」

「そうする。じゃね」


 春海は素っ気なく言い放つと玄関のドアを閉じようとして、完全に閉じる直前になって少しだけまた開いた。


「あ、そうだ。言い忘れてたんだけど……」

「ああ? 何だよ」

「次来るときは、もっと難しい場所にしておいてね?」

「? 何の話だ?」


 何のことか分からず聞き返せば、妹はこの日一番のうざったらしいニンマリとした笑顔で指を立て、こう言うのだった。


「お兄ちゃんの部屋、クローゼット下段の左奥」

「クローゼット? …………あ。おいコラ、お前いつの間に!」

「あははははっ! じゃあね! 猫耳好きなお兄ちゃん」


 今度こそばたんと勢いよくドアを閉めて出ていく春海。

 こうして嵐の様に突然やってきた妹は、俺を揶揄うだけ揶揄って帰って行った。


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