16:兄がいつもお世話になっております。

 それから多少時間をかけてお互いの自己紹介を済ませ、春海に俺と白坂の関係性を説明して何とか誤解を解いた頃には、白坂と春海は随分と打ち解けた様子を見せていた。


 随分と気恥ずかしい目にあったが、先ほどのやり取りで場が和んでいたおかげというのもあるのだろう。対面した直後にあった初対面特有のぎこちなさは何処へやら。今はお互いを『綾乃先輩』『ハルちゃん』などと呼び合って楽しそうに雑談に興じている。


 まったく初っ端から下の名前とは、流石コミュ力が高い奴らは他人への踏み込みが早いな。俺達コミュ障には真似できないことを平然とやってのける。そこに痺れも憧れもしないが、多少羨ましいものだ。少しだけでもお兄ちゃんにそのコミュ力を分けては貰えないだろうか。


「……え、じゃあ、綾乃先輩がお兄ちゃんのご飯作ってるんですか?」


 俺が二人の話を聞き流しながらそんな事を考えていると、春海が『信じられないことを聞いた』と目を丸くした。どうやら白坂から夕飯のおかずを毎日俺にお裾分けしていると聞いたようだ。


「ええ、まあ。といっても、夕飯のおかずを一品だけですけどね」

「いや、それだけでも十分驚きなんですけど。……本当に付き合ってないの?」

「何回も言ってるだろ。俺達はただのクラスメイトで付き合ってなんかない」


 先ほど誤解だと理解してもらえた筈だが春海がまた疑わしい視線を向けてくるので、俺ははっきりと断言した。


 白坂は俺が適当な食生活をしているのを見かねてお裾分けしてくれているだけであり、そこに憐憫の情はあっても異性としての好意はない。ただ大家代行として不摂生な入居者の世話を焼いているだけである。


 それを自分の都合の良いように解釈して付き合っている等と宣おうものなら、それはただの痛々しい人だ。俺はそんな勘違いはしない。


「白坂はただ善意から作ってくれてるだけだよ」


 俺がそう言うと春海は怪訝な表情をしていたが、やがて『……まあ、今はそういうことにしておくよ』と身を引いた。未だ怪しんでいるところはある様だが、一応は納得してくれたらしい。


 ほっと胸を撫で下ろしていると、春海はソファの上で姿勢を正し、次いで白坂へ向けて深々と頭を下げた。


「それじゃあ、ちゃんとお礼を言わなきゃね。兄がいつもお世話になっております」

「……おい、何の真似だ」

「何の真似って、お兄ちゃんがお世話になってるんだから、家族としてお礼を言うのは当然でしょ?」


 不思議そうに首を傾げる春海。何故咎められたか分かっていない様子。

 そんな様子から今の発言に俺への揶揄の意図はなく、純粋に家族として礼を尽くす為の行動だったと分かって、俺は『ぐっ……』と言葉に詰まった。


 いやまあ、そりゃそうなんだが……妹にそんなことをされると、三者面談で親が先生に同じことを言って頭を下げている時と同じ気分がして非常に居たたまれないんだよなぁ……。


 そんな俺の心境を知ってか知らずか、口を真一文字に引き結んで黙り込む俺を無視して、春海は再度口を開く。


「兄は何かご迷惑をおかけしていませんか? お兄ちゃんは自分の部屋の掃除もままならないほどぐうたらで、大雑把で、一人ではホントどーしようもない兄なんです」

「酷い言われようだな」


 ……いや、事実だけどな?

 今日の昼までの惨状を思い返せば全く否定はできないのだが、『それでも、もうちょっと言い方ってものがあるだろう』と、俺は心の中でツッコミを入れた。


 俺が口元を引き攣らせていると、白坂はくすりと笑って首を横に振った。


「いえ、迷惑なんてそんなことありませんよ。こちらこそ、空木さんにはお世話になっていますから」

「そうなんですか?」

「ええ、この間もスーパーからの帰り道で荷物を持ってくれましたし。あの時はつい買いこんでしまって、一人じゃ重くて大変だったので助かりました」

「そうなの?」

「……まあ、そんなこともあったな」

「へー、本当なんだ。あのお兄ちゃんがねぇ……」


 何故か春海が意味深な眼でじっとこちらを見てくるので、俺はあらぬ方向へ視線を逸らした。おい、そんな眼で俺を見るな。


「それに、タッパーを返してもらう時、空木さんはいつも一言料理の感想を言ってくれるんですよ? 『塩味が効いていて美味しかった』とか、『これはもう少し熱を通した方が美味しくなりそう』とか。今後作るときの参考になるので、非常に助かってます」

「え、お兄ちゃん作って貰っておいてそんな事言ってるんですか? 何様のつもりなの?」

「いえいえ、料理を作っている身としては、そういう感想を言っていただける方が作りがいがあってありがたいんですよ。私の料理の腕も上がりますしね」

「そうですか? ……まあ、綾乃先輩がそう言ってくれるなら、いいんですけど。――お兄ちゃん、ちゃんとお礼は言わなきゃダメだよ?」

「……分かってるよ」


 まるで親が幼子に言い聞かせるかの様な言い方に思わず仏頂面になりつつも、俺は素直に頷きを返した。


 春海に言われずとも、感謝の言葉はタッパーを受け取る時に必ず言うようにしている。

 感謝の心を忘れてしまっては、それはもうただのクズだからな。心配されなくとも、これからも言い続けるつもりである。


 春海は俺の返事に頷くと、『それにしても……』と話題を変えた。


「いいなぁ、お兄ちゃん。こんな綺麗な人に料理作って貰えて。――ねえ、今日は私も一緒に夕飯食べてっていい?」

「……はあ? お前、いきなり何言い出すんだ」

「だって、私も綾乃先輩の手料理食べてみたいんだもん。ね、いいでしょ? いいよね? いいって言えー!」


 謎の三段活用を耳元で叫ばれ、俺は顔を顰めた。

 うるせーな、耳元で叫ぶな! あまりの騒音に少し頭痛がしたぞ。


 というか、俺に許可を求めるのはお門違いだ。

 夕飯を作るのは白坂であり、俺はそれをありがたくいただくだけである。なので、この場合許可を取るべきなのは白坂であり、俺に聞くのは間違いである。


 それに、突然そんな事を言われても白坂が困るだろう。

 今日のおかずが何かは知らないが、恐らく用意している材料は二人分のはずだ。事前に伝えておいたならばともかく、もう夜と言っても差し支えない現在の時間からそこに突然もう一人分追加と言われても彼女を困らせるだけだ。


 そう思って白坂をチラリと見れば、彼女はそれだけで俺が何を言いたいのか大体察したらしく少し苦笑いの表情を取りつつも首を縦に振った。


「良かったらハルちゃんの分も作りましょうか?」

「……いいのか?」

「はい。多少時間はかかってしまうかもしれませんが、それでも良ければ」

「全然待ちます待ちます! というか、できれば作ってる所を見てたいです!」


 『ハイ! ハイ!』と元気よく手を上げてそんな事を言い出す春海。

 先ほど話していたのだが、春海は最近料理の練習を始めたらしく、自身の参考にと料理が上手い人の手並みを見て覚えたいらしい。さっき夕飯のお裾分けを貰っていると話した時に俺が『白坂の作る料理はマジで美味いぞ』と強調していたものだから、見てみたくなったのかもしれない。


 あまりに自由な妹に、俺は少し呆れる。


「お前なぁ……、少しは遠慮しろよ」

「ふふ、別に見ているくらい構いませんよ。でも、そういうことなら今日はこちらでキッチンをお借りしてもいいですか? 三人分となると、作ってそのままお皿に盛りつけた方が早いので」

「全然いいですよー。別にいいよね、お兄ちゃん?」

「春海の我儘に付き合ってもらう訳だしな……ああ、好きに使ってくれ」

「ありがとうございます。では、お借りしますね」


 そう言って姦しく話をしながら消えていく二人の後姿を、俺はリビングのソファから見送った。

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