14:こんなんじゃ彼女なんて家に呼べないよ?

「さ、さて、一通り話したところで、そろそろ始めよっか?」

「おい待て、話はまだ終わってないぞ」

「そーろーそーろー! 始めよっかー!」


 こちらは『逃げるのは許さない』と尋問を続けようとするも、春海はそれを強引に突破してくる。

 もうこれ以上を聞く気はないと言わんばかりの態度に若干モヤモヤしたが、多少なりとも心配をかけたというのは事実なので、ここは兄としてぐっと堪えた。


「始めるって、何を始めるんだよ」

「そんなの決まってるじゃん。部屋の掃除」


 そう言いつつ、春海は部屋全体を見渡す様にぐるりと一周見る。


「お兄ちゃん、部屋汚過ぎ。部屋は部屋でも部屋へやじゃん」

「うぐっ……」


 ピシッと顔前に突き付けられた指と言葉に、思わず顔が引き攣る。

 あまりにもあんまりな言い様だが、まったくもって否定はできない。


 実際ここから見える範囲だけでも部屋のあちこちに読み終わった雑誌や脱ぎ散らかした衣服などが散乱しており、お世辞にも綺麗とは言えなかった。さらに言えば、酷い所だとその上から薄っすらと埃が被り始めているといった有様なのだから、そんな風に言われても仕方がなかった。


 ……まあでも、少し言い訳させてもらえるなら、俺もこんな状況に至るまで何もしなかったわけでないことは主張しておきたい。


 少なくとも二週目の前半くらいまでは毎日とはいかずとも、フロアワイパーで床を拭いたり、溜まったゴミを出したりくらいのことはしていた。その時は引っ越した時くらい綺麗さを保つことはできていたし、今の様に床が物で埋まっているということもなかったのだ。


 それが変わってきたのはいつだったか。

 『今日はバイトで疲れたから掃除は休みの日にまとめてやろう』、『今日は課題やらないとまずいから、洗濯物は明日やろう』、そんな風に面倒なことは先延ばしにすることが多くなり、気が付いたらこんな状態になっていた。


 紛うことなき自業自得というやつである。反省はしている。


 春海は呆れた様に目を細めた。


「まったくもー、こんなんじゃ彼女なんて家に呼べないよ? ――あ、ごめん。お兄ちゃんに彼女なんて居るわけないか」

「バカにしてんのか」


 掌を口元に当て『プークスクス』と人を小馬鹿にしてくる妹に反射的に言い返せば、キョトンとした顔で『え、じゃあ居るの?』と聞き返される。

 居ないけど、お前に言われんのは腹立つんだよ!


「まー、彼女うんぬんは抜きにしても、ちゃんと掃除しておかないと友達も呼べないでしょ? 手伝ってあげるから掃除しようよ」

「俺としては非常に助かるけど……いいのか?」

「いーのいーの。これもお母さんに頼まれたことの一つだから」


 曰く、俺の様子を見に行くついでに、掃除していない様だったら手伝ってあげて欲しいと母さんに頼まれていたらしい。信用が無いと嘆くべきか、流石俺の事をよく分かっている感謝するべきか、少し判断に迷った。


 まあ、どちらにせよ。いずれは掃除しないといけないとは俺も思っていたところだったし、こちらとしてはありがたいので、ここはお願いすることにした。


「それじゃー折角二人いるんだし、場所を分担しよっか? その方が効率良さそうだし」

「そうだな。まずどっちがどこやる?」

「じゃあ、お兄ちゃんはこのままリビングやって。私はお兄ちゃんの部屋からやるから」

「おっけ。りょうか……ん? 普通逆じゃないか?」


 てっきり『まずは自分の部屋の片付けをしてきて』と言われるものかと思っていたので、春海の提案に疑問を抱く。なんで、お前が俺の部屋をやるんだ?


「いやさ、普通に掃除するのもつまんないから、掃除しながらお兄ちゃんのお宝でも探そうかと思って。ブツはやっぱりマットレスの下?」

「させるかこの野郎」


 俺は意地でもこいつを部屋に入れないと決めた。






 結局のところ、俺達が掃除を始めたのは午後に入ってからだった。

 午前中は隙を突いて俺の部屋に入ろうとしてくる春海との激しい攻防を繰り広げていたので掃除どころではなかったのだ。妹よ、兄の秘密を探ろうとするのはやめろ、ください。


 ……まったくもってバカらしい時間だったが、諦めさせられたのでヨシとしよう。


 ただまあ、それで時間を浪費してしまったことには変わりはない訳で、全体の掃除を一通り終える頃には、もう陽もくれようかという黄昏時になってしまっていた。


「はー、やっと終わったぁ……」


 綺麗になったリビングを見つつ、ぐったりと倒れ込む春海。

 余程疲れたのか彼女はソファの背もたれに顎を乗せ溶けるように垂れているので、キッチンに居る俺の方からは某動画サイトのゲーム実況動画によく出てくるお饅頭のキャラクターの様に見えて少し笑えた。


「今日はありがとうな。来てくれて結構助かった」


 淹れてきたインスタントのコーヒーが入ったマグカップを彼女の前のテーブルに置いて自分もソファに腰掛けながら、俺はそんな風にお礼を言った。


 午前中は叩き起こされたり、クソウザムーブをかまされたりと迷惑極まりない行動も多々あったが、午後からは意外にも真面目に掃除を手伝ってくれた。春海の尽力なしでは今日中に掃除を終えることもできなかっただろうし、その事に関してだけは割かし感謝はしていた。


 なので、素直に感謝の気持ちを述べたのだが、この捻くれた妹は素直に受け取ろうとはしなかった。


「え、キモ」

「何でだよ!」

「だって、お兄ちゃんが私に素直にお礼言うとか……明日は雪が降るんじゃない?」

「はぁ……人が折角素直になったってのに、お前なぁ……」


 これ見よがしにため息をついて見せれば、春海は『うそうそ、じょーだんだよ。どういたしまして』とニヤリと笑った。

 ……まったく、この捻くれ方は誰に似たのやら。


「あ、でも、おにいちゃん」

「何だ?」

「今日は私が手伝ってあげたけどさー、これからはちゃんと掃除しなよ? あんまりにも酷いと、私もお父さんたちに報告しないといけなくなるからね。お兄ちゃんも家に連れ戻されるのは嫌でしょ?」


 今日春海が俺の元を訪れた本来の目的は、俺の生活状況を確認するためである。

 春海の報告により、俺がちゃんと自立した生活を送れていると両親が判断すれば恐らくそのままだろうが、送れていないと判断すれば今の部屋を引き払い実家に連れ戻される可能性は十分に考えられた。


 今日のところは目を瞑ってくれるようだが、『いつまでもその手は通用しないぞ』との春海からの忠告だった。


「分かってる。これからはちゃんとやる」

「そ、ならいいけど」


 春海はそう素っ気なく呟くと、俺が置いたマグカップに口をつけた。


「熱っ!!」


 叫びつつ反射的にマグカップから口を離す春海。

 チロリと小さく舌を出し、『フーフー』と涙目になりながら火傷した部分に向けて必死になって空気を送り込んでいる。


 そんな妹の慌しい様子に『そんなに熱かったか?』と自分用に淹れた分を飲んでみるが、いつも俺が飲んでいるものと変わらないくらいの温度で、反射的に叫ぶような温度ではなかった。


 それなのに何故そこまでの反応に……って、ああ、そうか。


「そういや、お前猫舌だったな」

「そうだよ! うわー……、めっちゃヒリヒリする……」

「冷凍庫に氷あるから、それ食ってとりあえず落ち着け」

「むぅ……そーするー……」


 俺は『お気の毒に』と思いながらキッチンへと消えていく妹の背中を見送った。

 妹よ、涙の数だけ人は強くなれるらしいから頑張って耐えろ。


「なんか、実家に帰ってきたような気分だな……」


 春海と喋っていて、そんな事をふと思った。


 家に自分の他に妹が居て。

 両親はいつも多忙で居なくて。

 妹と顔を合わせれば、何だかんだ言い合ったり、ギャーギャー騒いだりして。

 今日は一日、実家に居たときと同じ様な時の過ごし方をしていた。


 その所為だろうか、間取りや部屋の雰囲気は全く違うのにまるで実家に居る様な錯覚を覚えていた。


 ……まったく、ノスタルジーに駆られるなんて俺らしくもない。

 まだ引っ越してから一か月も経っていないのにそのことに何だか懐かしい気分にさせられているのは、俺がまだ子供だという証左なのかもしれない。勢い込んで外に出たわりに、少しばかり情けない。


 ……でもまあ。


「偶にはそんな日があっても、悪くないか」


 俺はそんな独り言を呟いて、また一口コーヒーを飲んだ。


『ピンポーン』


 ――と、そんな事を考えていたら、またインターホンが鳴った。

 『今日はよく鳴る日だな』なんて思いつつソファから立ち上がれば、キッチンで氷を頬張っていた春海が『わふぁひ、でてくるひょ』と言い残して先に玄関へと向かう。


 玄関はキッチンに居た春海の方が近かったし、立っている者は親でも使えとは昔の人も言ったものだが、せめて口の中に入れたものは無くしてから行きなさい。


「……ったく、そそっかしい所は全然変わらないのな」


 もうあと一年もすれば春海も高校生なんだから、兄としてはもう少し落ち着きをもって行動して欲しい所だ。そう、俺の様に。

 心を常に凪の海の様に穏やかに保ち、何事にも動じないように心がければ、クソガキ感満載のあいつだってもう少しはまともに――


「え、お姉さんどなたですか?」

「あなたこそ、どちら様ですか?」

「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!!」


 聞こえてきた声に思いっきり動揺させられ、こけそうになりながらも走って玄関へ向かうと、案の定パチクリと目を丸くしてお互いを見つめ合う春海と白坂が居た。


「……お兄ちゃん、この人誰?」

「……お兄ちゃん?」

「あー……」


 ……神様、これはちゃんと掃除をしていなかった俺への罰ゲームですか?

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