13:使徒、襲来。

 生活費の為、放課後や休日にバイトに励んでいる俺だが、当然ながら毎日働いている訳ではなく休みの日も存在する。その日の出勤可能な人員の人数やシフトの入れ具合にもよるが、大体週末の休みのどちらかはバイトも休みなことが多かった。


 今日はそんなバイトが休みの日曜日であり、俺は朝から惰眠を貪っていた。

 特に遊ぶ予定や出かける予定も入れていないので、このまま昼過ぎまでは寝ていようと思っている。実家に居た頃はそんなことをすれば怒られたものだが、今はその心配もない。まったく、一人暮らしは最高だぜ。


『ピンポーン』


 二度寝を始めてからもう何度目かの寝返りを打った瞬間、インターホンが鳴った。

 耳から入ったその音は、半分睡眠半分覚醒という境目で気持ちよく微睡んでいた俺の頭を揺さぶり、嫌が応にも起床を促してくる。


 ……何だ? こんな朝から誰だよ。


 白坂がタッパーを取りに来た……にしては、早すぎるか。

 偶に彼女はその日の分と交換ではなく先に受け取りに来るときがあるのだが、それも午前中に来たことはなく、早くとも夕方くらいなので多分違う。


 そうなると、あと可能性があるのは正人くらいしか浮かばないが、あいつにはここの住所を教えてないので来られるはずが無い。……なら、誰だろうか?


『ピンポーン、ピンポーン』


 ……ダメだ、分からん。

 まあ、どうせ新聞勧誘かなんかだろう。しばらく放っておけばいずれ帰るだろうし、出なくてもいいや。それより俺は眠いんだ。


 そんな風にさっくりと思考を放棄して無視を決め込み、俺は再び淡い微睡みの海に身を委ね――


『ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポンピンポンピンポンピンポンピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピポポポポポポポポポポポポポポポポ』


「だぁぁぁぁぁぁぁっ、うっせぇぇぇぇぇぇっ!」


 インターホンをこれでもかと連打され、あまりの騒音に寝ても居られず俺は飛び起きた。そして、一刻も早くこの迷惑な連打を止めさせるべく、急いで玄関へと向かう。


 あーもう、誰だよ! 人が気持ちよく寝てるのを邪魔しやがって! これで下手な製品の訪問販売とかだったら、その会社までクレーム入れてやるからな!


「はい、どちら様!」


 俺は苛立ちを余すことなく声に乗せて扉を開き――


「あ、やっと起きた~。おはよ」


――そのままそっと閉じた。


「ちょっ、えぇぇぇぇ!? 待って、何で閉じるのっ!」

「新聞なら間に合ってますので」

「新聞勧誘じゃないよ! 春海はるみだよ! あなたの妹ですよ!?」

「俺に妹など居ない」

「居るよっ! 想像上の存在とかじゃないよ!」

「すいません、うち仏教徒なんでそういうのはちょっと……」

「新興宗教の勧誘でもないから! ――っていうか、そろそろホントに開けてよ!」

「断る! 断固として断る!」


 ガチャガチャとドアを開けようとしてくるので、俺は体全体を使って全力で止める。俺の楽園を守るためにも決して屈してなるものか!


 しばらくそうしてドア一枚挟んだ攻防を繰り広げていた俺達だったが、不意にドアガチャが止まり、ドアの外が静かになった。


「……そう、開けてくれる気はないんだ。それならこっちにも考えがあるよ」

「はっ、やってみろよ。俺は妹の策略なんぞに屈したりはしな――」

「入れてくれなきゃ『お兄ちゃんにえっちなイタズラされた』って、帰ったらお父さんとお母さんに言い触らす」

「やあ春海、よく来たな! 長時間電車に乗って疲れただろ? そんなとこ突っ立ってないで早く中に入れ」

「えへへ、お邪魔しま~す」


 実にいい笑顔で部屋の中へと消えていく小悪魔の背中に向けて、俺は大きくため息を吐いた。






「――で、連絡も無しに何しに来たんだよ」


 不貞腐れて少々棘のある言い方で訪問の目的を尋ねれば、すでにソファで寛いでいたこの小悪魔は『んー? 何がー?』と悪びれた様子もなく答えた。


 彼女の名前は、空木うつぎ春海はるみ。今年中三になる俺の妹だ。

 性格はまあ……アレだが、俺の妹とは思えないほど整った顔立ちをしており、まだ中学生ながら何かの雑誌のモデルの仕事をしているらしい。知らんけど。


「何が目的だ。金なら無いぞ」

「ハルわぁ~、お兄ちゃんのことが心配になって様子を見に来ただけだよ~☆」

「ちっ」


 おっと、あまりのウザさに舌打ちしてしまった。


「え、嘘。今舌打ちした?」

「してない」

「したじゃん。うわー、この兄超絶可愛い妹が超健気なこと言ったのに舌打ちしましたよ」

「はあ? どこに超絶可愛い妹が居るって?」


 キョロキョロと探すフリをすれば、自称超絶可愛い妹は何かを堪えるようにぷるぷると拳を震わせる。『コ・イ・ツ・め!』なんて怒ってはいるが、実際あんな風に言われたら腹が立つので、そろそろ自覚してほしい所だ。

 昔は彼女自身が言う通りもっと素直で可愛い妹だったのだが、どうしてこう捻くれてしまったのか。お兄ちゃんは悲しいです。


「そういうのはいいから、本当の事を話せ」

「……はぁ、冗談が通じないね~、お兄ちゃんは」


 『まあ、いいけど』と呟きつつ、春海はソファの上で姿勢を正した。


「多分お兄ちゃんも薄々察してると思うけど、お母さんから頼まれたの。『お兄ちゃんがちゃんと生活できているか確かめてきてくれ』って」

「やっぱりか」


 何となくそうだと思った。


 俺が一人暮らしできているのは、俺が両親と生活費を稼ぐことも含めて、自立した生活を送ると約束したからだ。それを俺が守っている限り、少なくとも生活面において心配はいらないと安心を担保に両親に許可してもらったのだ。


 だけど、それをちゃんと守っているかどうかは、離れて暮らしている両親に知る術はない。例え自堕落で破綻した生活を送っていたとしても、口から出まかせを言ってしまえば分からないのだ。


 だから、いずれ家族の内の誰かが様子を見に来るような気はしていた。

 まあ、それがまさか春海だとは思わなかったけど。


「お父さんとお母さん、口ではあんまり言わないけど、お兄ちゃんの事心配してたよ? 本当に一人で大丈夫なのかって」

「そうなのか? ……まあ、そうだよな」


 もう高校生になったとはいえ、世間から見たら所詮まだ未成年の学生だ。

 いくら許可したとはいえ、やはり親からしたら心配になるのだろう。


「……私も結構心配してたんだよ? お兄ちゃん、中学卒業したらいきなり家を出てっちゃうから」

「春海……」


 妹が俯いてしゅんと肩を小さくする姿を見れば、いくら先ほどまでのウザさを知っていても俺の胸の内には多少なりとも罪悪感が沸いてきた。

 あぁー……くそ、しゃーねーなぁ……。


 部屋から財布を取ってきて、千円札を数枚ガサゴソと取り出す。


「……電車代、いくらだったんだ? 心配させた分、それくらいは出してやるよ」

「あ、それはお父さんに沢山お小遣い貰ったから大丈夫」

「おい、見に来たのってそっちが本音じゃないだろうな?」


 思わずジト目になって問いただせば、春海は鳴ってもいない口笛を吹いて目を逸らした。

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