12:これくらいは手伝わせてくれ。

 ある日の学校からの帰り道。

 俺がいつも使っている通学路で自転車を走らせていると、赤信号で止まった交差点の先で白坂が歩いているのが見えた。何やら手に重い荷物を持っている様で、その足取りは少しふらついている。


 何歩か歩くごとにふらつくので、後ろから見ていてとても危なっかしい。

 今は少ないが、この道はトラックなどの大型の車両も普通に通るので、もし彼女がふらついた拍子に歩道から車道へ倒れてしまったらと考えると怖かった。


 俺は『学校の奴に見られるかも』と少しだけ逡巡したが、信号が青に変わるのと同時にそんな些細な躊躇いなど放り投げた。


 快調に自転車を走らせ、すぐに追いつくと、俺は自転車から降りて彼女の手から荷物を取り上げる。突然のことに驚いたようにこちらへ振り返る白坂だったが、手荷物を奪ったのが俺だと分かると、その表情に安心したような色が混じった。


「何だ、あなたでしたか」

「何だとは何だよ……って、ああ。すまん、一声かけてから持てばよかったな」


 つい反射的に返してしまったものの、すぐにいきなり取り上げたので驚かせてしまったのだと悟り謝罪する。白坂はそこまで気にはしていなかったのか、『いえ、次は気を付けてくださいね』とすぐに許してくれた。


「重そうだから手伝うよ」

「別に大丈夫です。これくらい一人で持てますから」

「バカ言え。後ろから見てたけど、さっきからふらついてたじゃないか。危なっかしくて見てられねえよ」

「……では見なければいいんじゃないですか?」

「君もそんな冗談言えるんだな。――いいから、普段夕飯を世話になってる分、少しくらい恩を返させてくれ」

「……ありがとうございます」


 有無を言わせず白坂の荷物を自転車のカゴに入れれば、ようやく彼女は抵抗を諦めた様にそう言った。


「これ結構重いけど、何が入ってるんだ?」

「先ほどスーパーへ寄っていましたので、そこで買った物です」


 自転車を押して白坂と並んで歩きだしつつ問いかければ、そんな答えが返ってくる。


 聞けば今日は夕方から調理用の醤油のタイムセールがあったらしく、折角なので買い置きを含めて何本か購入したらしい。

 それだけでそれなりに重いボトルにプラスして他の食品類まで購入したものだから、予定以上に重くなってしまい先ほどの様にフラフラしていた。そういうことの様だ。


 確かにこの重量は女子にはちょっとキツイだろう。

 俺も自転車なしで木もれ日荘までと言われれば、額から冷や汗が出そうである。油断すればあらぬ方向に舵を切りそうになる自転車のハンドルを、俺はしっかりと握りしめた。


「セールの文字に釣られて、私としたことがうっかりしていました……」

「まあ、日本人は『セール』とか『限定』とかの文字にめっぽう弱いからな。気持ちは分かる」

「……すいません、手伝わせてしまって」

「気にするな。さっきも言ったけど、君には世話になってるんだから、これくらいは手伝わせてくれ」


 白坂は申し訳なさそうな顔をしているが、俺としてはこんなことくらいならいつでも手伝うので言って欲しいくらいだ。


 というか、彼女がスーパーに寄っていたのは消費した食品や調味料を補充するためであり、最近は俺の所為で前より多めに購入する羽目になっているのだから、これくらいは手伝って当然じゃないかとさえ思える。


 食費は折半ということで話は着いているが、明らかに俺に得しかないやりとりなのだから、もっと俺をこき使ってくれても構わないんだが……。


「では、このお礼にもっと美味しい料理を作ってお返ししますね」

「……待て、それだといつまで経っても恩が返し切れないんだが」

「別にいいじゃないですか。あなたは夕飯が美味しくなってハッピー。私は手伝っていただけてラッキー。ほら、誰も損をしていないじゃないですか」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「私がいいと言っているんですから、いいんですよ」


 白坂の言うことはごもっともだし、事実もっと美味しい料理と聞いて嬉しくなった自分が居るので否定はできないのだが、どこか腑に落ちない。

 何だか彼女よりも俺の方に得が偏っている気がして、『……本当にこれでいいのか?』と俺は首を傾げた。


「ところで、何かリクエストはありますか?」


 ――と、微妙に納得しきれていない俺を放っておいて、白坂がそんな事を聞いてくる。


「リクエスト?」

「はい。和食でも、洋食でも、中華でも、何か食べたいものがあれば、好きな物を言っていただいて結構ですよ」

「……前から思ってたけど、君何でも作れるんだな」


 白坂が持ってきてくれるタッパーにはいつも美味しい料理が詰められていることには変わりなかったが、ある日は筑前煮、またある日はポークケチャップ、またまたある日はエビチリが入っていたりと、その料理のバリエーションは実に様々だった。


 なので俺はそれらすべてを美味しくいただきつつ、『白坂には作れない物はないのか?』と密かに思っていたのだが、実際に『好きな物を言っていい』と言われて戦慄する。


 しかし、彼女は俺の言葉に苦笑いを浮かべると、『何でもは作れません』と被りを振った。


「私が作れるのは、祖母に教えて貰って作り方を知っている物だけです。知らない物はネットで調べてプリントアウトした物を見て練習しているんです」

「……もしかして、この間俺のバイト先に来たのもそれが理由か?」

「そうですよ。私の部屋にはパソコンもプリンターも無いので、よくお世話になっています」

「ほー、なるほどな」


 休憩に来たサラリーマンとか漫画を読みに来た大学生が大半の俺のバイト先にどうして白坂が来たのか謎だったのだが、そう言われて納得した。


 確かにうちの店には利用客であれば誰でも利用できるプリンターが一台設置されている。

 働き始めてからこの方使われている所を見たことがなく、店内清掃をするにも大きくて邪魔なので、正直『要らなくね?』と思っていたのだが、ちゃんと利用するお客さんは居たようだ。


「それで、何が食べたいですか?」


 そんな事を考えていると、再度白坂が尋ねてくる。


 だが正直なところ、『彼女が作るものなら何でもいいかな』と思ってしまう。

 今まで貰った料理は全て美味しかったし、これから作ってもらう料理もおそらく全て美味しいだろうから。特にこれといったものは浮かんでこない。


 ただまあ、敢えて言うなら――


「――出来立てが食べたいなぁ」

「それはギブアップ宣言ですか?」


 心の中で呟いたつもりだった台詞に返事が返ってきて、俺は思わず呆気に取られる。


「……もしかして声に出てたか?」

「はい。普通に」

「マジか」


 全く声に出したつもりはなかったんだが……。『つい』って怖い。


「特典は要らないとおっしゃってましたが、遂にギブアップですか?」

「い、いや、そういう訳じゃ……」

「でも、出来立てが食べたいんですよね? それは私に『自分の部屋で作って欲しい』ということでは?」

「それは……」


 正直、白坂に胃袋を掴まれつつある自覚がある今となっては、その魅力的な提案を真っ向から拒否することは非常に躊躇われた。


 だって、あのただでさえ美味い料理を暖かいまま頂ける訳だし?

 から揚げやてんぷらといった揚げ物等の温め直すとどうしても美味しさが落ちてしまう料理でもサクサクの一番美味しいうちに頂ける訳だし?

 どうしたって惹かれてしまうのはしょうがないことである。


 だがしかし、仮に部分的にでも特典を受け入れるには少々問題があった。


「(……あんな汚い部屋に白坂を呼べるわけがないよなぁ)」


 詳しくは割愛するが、現状俺の部屋はとても他人様にお見せできるような状態にはなく、足の踏み場もない状態だ。そんなところへ彼女を招き入れるなんて、とてもではないができるわけがなかった。


 俺は自室の惨状を思い出しながら、『とりあえず保留で』と泣く泣く彼女からの申し出をまたもや断ったのだった。

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