10:私は何もしていません!
「そういえば、さっき誰か知り合いでも来てたの?」
「ええ、まあ」
音帆さんの質問に答えつつ、俺も空いていた適当な椅子に座る。
幸い溜まっている仕事は無いし、夕食時にもまだもう少し余裕があるので、今しばらくはのんびりしていても問題ないだろう。
音帆さんは俺が肯定すると、ニヤリと少しの意地の悪い笑みを浮かべた。
「彼女?」
「違いますよ。ただの知り合いです」
「――と言いつつ、実は?」
「無いですから」
「……本当に?」
「はい」
力強く頷いて見せると、音帆さんは『なぁ~んだ』とぼやきながら腕を机の上に投げ出した。掌でパタパタと机を叩いている様は、とても年上の成人女性とは思えない。
「つまんない~」
「つまんないって言われても……」
俺は苦笑しながら頬を掻く。
そんなこと言われても俺にはどうしようもないので困る。俺と白坂は一部変な関わりはあるものの、音帆さんが期待する様な関わりはないのだから。
……まったく、俺の周りにはどうしてこう他人の恋愛談を聞きたがる人物が多いんだろうな。まあ、女性というのは他人の色恋沙汰の話をするのが好きな生き物だと聞くし、彼女は正人とは違って単純に興味とか、話のタネとして聞きたいだけだろうけど。
どちらにせよ、聞かれても何も面白い話が出てこない俺に聞かないで欲しい。悲しくなるから。
「可愛い女の子の声だったから、てっきりそうだと思ったのに……」
「例えそうでも、すぐに恋愛関係に結び付けるのはどうかと思いますよ」
「え~、でもさっきの子と喋ってるときの空木君、私とか他の人と喋ってるときと感じ違ったよ?」
「え?」
自分ではそんなつもりは無かったので、思わずポカンとしてしまう。
別に話しかける人で意識的に区別していたつもりはなかったのだが、俺自身では気づかないうちに何か違いを生じさせてしまっていたのだろうか。
「どう違ったんですか?」
「え? う~ん、そうだなぁ……」
今後の参考までに尋ねてみると、音帆さんは腕を組んで考え出した。
曰く、雰囲気的な違いなので言葉にしにくいらしい。
一呼吸分ほどの時間の間考え込んでいた彼女だったが、やがて何か適した表現を見つけたのか突然『ポン』と拳を掌に打ち付けた。
「あの子タメ口、私ら丁寧!」
「それはただ俺が先輩方に敬語使ってるだけじゃないですか」
ピシッと俺の顔を指さしてくる音帆さんの指を手で払いのけながら、俺は淡々と突っ込んだ。
白坂は知り合ってまだ間もないとはいえ同級生、対して音帆さん達はネカフェバイトの先輩方だ。双方の俺から見た相対的な立場を考えたのなら、言葉遣いに差が出るのは当然のことだろう。
「まあそうなんだけど、そうじゃなくて! う~ん、何て言ったらいいのかな……」
ただ、音帆さんはそんな俺の感想が不満だったのか、ぶんぶんと手を振って再び上手い表現を探し始めた。
――と、そんなタイミングでまた呼び鈴が鳴る。
『チリン』と澄んだ金属音がバックヤードに届き、カウンターに来客があったことを告げてきた。
それを聞きつけ、目を合わせる俺と音帆さん。
両者は言葉も発さずに徐に拳を突き出し――
「お待たせしました。何かご用ですか――って、また君か」
「どうも……」
俺が繰り出した渾身のグーが音帆さんのパーに捻じ伏せられた為、仕方なしに俺がお客の対応に出向くと、そこに居たのはまたもや白坂だった。
思わず内心『うげぇ』と唸ってしまうが、入店時の揶揄う様な表情ではなく、寧ろどこか気まずげな表情の彼女を見て、すぐにそんな考えは消えた。
「申し訳ありませんが、ちょっと来ていただけませんか?」
「どうしたんだ、何かあったのか?」
いつもと違う雰囲気の白坂に戸惑いつつも尋ねると、彼女はもごもごと言いにくそうに口を動かした後、小さな声で答えた。
「お借りしているパソコンを壊してしまったみたいで……申し訳ありませんが、みていただけませんか?」
「はあ? 君、何やらかしたんだよ……」
「私は何もしていません! 何故か分かりませんが、勝手に壊れたんです!」
「……それ、パソコン初心者が自分で何かやってるのに、それに気づいてない時によく言うセリフだからな?」
思わず呆れ顔になりつつ白坂を見れば、彼女は『本当に何もしていないんです……』と少々不満顔だった。彼女からすればそうなのかもしれないが、先ほどの台詞の所為で本当なのかちょっと疑わしく感じてしまう。
正直、俺もパソコンに詳しい訳じゃないんだが……まあ、ちょっと見てみるか。
俺は一度バックヤードに戻って音帆さんに『少し持ち場を離れます』と告げると、先導して歩く白坂についていった。
「どうぞ」
彼女のブースまで辿り着くと扉を開けて持っていてくれたので、俺は促されるまま中へと入り、件のパソコンの前で片膝をついた。早速どこが壊れたのか見てみるが……軽く触ってみてもどこにも異常は見られなかった。
モニターに映像は出てるし、マウスも動く。モニターのアイコンをダブルクリックしてみてもアプリは正常に立ち上がるので、俺は首を傾げた。
「どうです? 直りそうですか?」
「……なあ白坂、これどこが壊れてるんだ?」
あまりに分からないので振り返って『どこにも異常ないんだけど』と尋ねると、白坂は『そんなはずありません』と彼女もパソコンの前までやってきて、キーボードで文字を打った。
「ほら、見てください。ここ、思った通りに文字が打てないんです」
彼女が指し示す個所を見てみると、開いていたメモ帳アプリに打ち込まれた文字は確かに変になっていた。ローマ字で『あいうえお』と打ち込んだのに『ちにないら』と表示されてしまっている。
「ああ、なるほど。そういうことか」
「……直せますか?」
「大丈夫、別に壊れてる訳じゃない。ちょっと待ってな」
白坂が少し不安そうに見上げてくるので安心させるようにそう告げると、俺はマウスを操作してキーボードの入力方法をかな入力からローマ字入力へ切り替えた。
「これで大丈夫なはずだ。ちょっと試してみてくれ」
白坂は頷くと、またメモ帳アプリに『あいうえお』と打ち込む。すると、今度はきちんと思った通りの表示がされた。
「直りました!」
嬉しそうな声で報告してくる白坂に頷きつつ、俺は密かにほっと息を吐きだす。
俺でも対処できる簡単な内容で助かった。本当にどこか壊れていたり、もっと難しい不具合でも聞かれたら俺では無理だっただろう。
別に俺が対処できなくても音帆さんなら対処できたかもしれない。だけど普段から白坂にはお世話になっている手前、何となく俺が解決してやりたかったので、何とかなって良かった。
「……あの、ありがとうございました」
何だか肩の荷が降りたような気分になっていると、おずおずと白坂が切り出した。
「私では解決できなくて困っていたので、非常に助かりました」
「ああ、別にいいって。これも仕事の――」
『――内だから』と答えようとして、ふと気づいた。
……近い。
先ほどまでは確認作業をしていたので気にならなかったが、白坂との距離が近すぎる。
モニターを見ようと思えば肩が触れ合うし、逆に距離を取ろうとしてもすぐそこに仕切りの壁があるのでままならない。この店の各ブースは利用者が快適に過ごせる様ゆったりとしたスペースが確保されているが、流石に中に二人も入ると狭かった。
そんな距離からまじまじと彼女の綺麗な顔を見つめていることに今更ながらに気が付き、顔と体が強張った。
「……空木さん?」
不自然に言葉を区切った俺を不審に思ったのか、小首を傾げて見つめてくる。俺が膝立ちになっている為、座っている彼女が見上げる形となり、それも俺の居心地の悪さに拍車をかけてくる。
彼女にそういう意図はないんだろうが、何だか胸の辺りがざわざわと騒がしい気がして非常に居心地が悪い。
……ああ、くっそ。いつまでもこんなところに居られるか! 俺はバックヤードに引きこもるぞ!
「? 突然どうされ――」
「お客様のご用も済みましたのでこれにて失礼致します。この後もごゆっくりおくつろぎください!」
俺は立ち上がって早口にそうまくし立てると、ぱちくりと目を丸める白坂を残して逃げるようにしてその場を立ち去った。
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