9:お客様は大家さんです。
毎晩夕飯のお裾分けを貰うようになっても、俺と白坂の関係は変わらなかった。
学校では接点が無いので喋りもしなかったし、木もれ日荘でもタッパーの受け渡しの時に多少の世間話をするだけ。あとはせいぜい出会った時に挨拶をするくらいで、特に以前の関係からの変化というのは見られなかった。
ただ一つ、変化があったとすれば、木もれ日荘で話すときの彼女の態度が少し軟化した。
何となくだが、そんな気がしていた。
「いらっしゃいま――げっ」
「あら?」
放課後、いつも通り俺がバイトに勤しんでいると、白坂がそこへやってきた。
今更ではあるが、俺は個人経営のネットカフェで勤務していて、平日は学校終わりに四時間、休日はがっつり八時間というシフトで働いている。
主な仕事としては、ブースの清掃や受付、お客さんが読み終わったマンガの棚戻し。偶に簡単なフードメニューの調理も任されたりはするが、よく任せられる仕事としてはそんな所である。
無論お仕事なので、たまに忙しかったり、迷惑な客が来ることもあって大変だったりすることもあるが、基本的には暇だし、あまり人と接する必要が無くかつそこそこ実入りの良いこのバイトが俺は気に入っていた。
白坂は誰かから俺がここで働いていると聞いてきたのかと一瞬思ったが、カウンターの呼び鈴を鳴らしたら出てきた俺を見て目を丸くしている所を見るに、どうやらそうではないらしい。
「何で君がこんな所に来るんだよ」
「? 来てはいけませんか?」
「……いや、悪くはないけど。……くそ、学校の奴らと出くわしたくないから、わざわざ学校から離れたところにしたのに……」
肩を落としながらやるせなくそう呟けば、『それは残念でしたね』と面白がるように白坂。
これは絶対そんなこと思っていない顔である。
「それで、まだ受け付けてはいただけないんですか、店員さん?」
少し揶揄うような表情でそんな事を言われて『ムムム……』と唸るも、彼女が言うことはごもっともだ。なので、俺は仕方なしに言いたいことを飲み込んで、バイトとしての立場へ戻った。
「はいはい、どのブースにするんだ?」
「口調」
「……見知らぬ仲じゃないんだから、別にいいだろ?」
「私はお客さんですよ? お客さんにそんな態度でいいんですか?」
「くっ……。お客様! どちらのブースになさいますか!」
何となく知り合いに敬語を使うのは気恥ずかしかったのだが、そう言われてしまっては仕方ない。俺がやけくそ気味に尋ね直すと、白坂は肩を震わせてくすくすと笑う。
その笑顔が何だか見ていられなくてあらぬ方向を向こうとするが、接客を放棄するわけにもいかない為、代わりに咳払いをすることで誤魔化した。
……これだから知り合いにバレるのは嫌だったんだ。
頬に熱が集まるのを感じつつ、カウンターに置いてある座席表から空いているブースを示せば、白坂は壁際端っこのフラットな座席のブースを指さした。念のため口頭でも彼女に座席番号を確認し機材へ入力すると、その番号と入店時間が書かれたレシートが排出され、間もなく受付は終了する。
「当店お席の料金は時間制となっておりますので、滞在時間には十分ご注意ください。また、ドリンクバーは無料となっていますので、ご自由にご利用ください」
「ふふふ、分かりました。ありがとうございます」
最後に店のテンプレ台詞で注意を促すと、白坂はペコリと会釈した後、レシートを挟んだバインダーを持って店の奥へと消えていく。
「はぁぁぁぁ……」
それを見送ると、俺は大きく息を吐いた。
何だか、どっと疲れた。忙しかったわけでも、酔っ払いに絡まれたわけでもないのに休日フルタイムで働いた後の様な疲労感だ。今日はまだ出勤したばかりだが、もう早退したい。できることなら、白坂がまたカウンターへやってくる前に帰ってしまいたい。
……まあ、そんな訳にはいかないんだけどさ。
「お疲れ~」
カウンターに『ご用の方はベルでお知らせください』と書かれたプレートを設置しなおしバックヤードへ戻ると、開口一番にそんな風に労われる。
声の主は、俺より五つ年上の女性。曰く、店長の娘らしいその人は、赤い猫型のケースを着けたスマホを片手に、店のフードメニューのタコ焼きをパクついていた。
その姿があまりに勤務中とは思えず、俺は呆れ顔で注意する。
「サボってると、また店長に怒られますよ。
「今は暇な時間帯だから問題ナシ。それに、なんだかんだパパは私に甘いから、ダイジョーブ、ダイジョーブ!」
そう言って俺に立てた親指を突きつけてきたこの女性の名前は、
先ほども言った様に店長の娘で、バイトリーダー兼、今は俺の教育係を任せられている。
『そんな勤務態度でバイトリーダーとか大丈夫か?』と思われるかもしれないが、大丈夫だ、問題ない。
意外かもしれないが真面目なときの彼女は有能で、食事時でオーダーが重なった時でも素早く捌いたり、誰かがミスをしてもすぐに丁寧なフォローをしたりと、ここぞという場面で頼りになるのだ。
まだ入ってから数週間しか経っていない俺でもそんな場面を既に何度も見ているので、彼女がバイトリーダーだということに異論は無かった。
ただ、そんな有能な状態が常には続かないのが彼女という人であり、こういった暇な時間にはトコトンまでだらけてしまうのが玉に瑕だった。
まあ、『そういう所も含めて音帆さんなので』と、他のバイトさん達からも文句が出ていない辺り、上手いことやっているのだろう。
「空木君、ちょいこっち来てみ?」
『ダメだコイツ、早く何とかしないと』と、言葉には出さず考えていると、音帆さんに手招きされる。何だろうと思いつつ近寄ると、彼女は『アレ見てみ?』と壁を指さした。
俺は彼女の指示に従ってそちらを見てみるが、壁掛け時計がかかっているくらいで特に変わったものは無い。何だ? 一体、何を見せたかったんだろうか。
「? 何もありませ――」
「そりゃ!」
「!?」
彼女の方に顔を戻した瞬間、口の中に何か突っ込まれた。
驚きつつも、ここで吐きだすわけにはいかないと咬んでみると、口の中に香ばしいかつお節の香りが広がった。
「ニシシ……これで共犯だねっ!」
やられた……。
彼女は再びスマホをポチポチと触り出したが、俺も食べてしまった手前、もう彼女に注意することができなくなったのだった。
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