8:寝不足の理由は……。

「眠そうだな」


 午前の授業も全て終わり、がやがやと騒がしくなった昼休みの教室。

 その片隅の自席でもそもそと購買で買ってきたサンドイッチを齧っていた俺は、前の席で同じ様に焼きそばパンを食っていた正人にそんな指摘をされた。


 まさか気づかれるとは思っていなかった俺はそのことに少し驚きつつ、それを極力表に出さない様にゆっくりと口の中に入っていたサンドイッチの欠片を飲み込んだ。


「……そう見えるか?」

「ああ、中学の頃から大体いつもお前は眠そうだったけど、最近は特にそう見える」


 マジか。欠伸などはあまりしないように気を付けていたんだが、それでも分かる奴には分かってしまうらしい。親しき仲も考え物だな。


「そういやバイト始めたんだっけ? そんなに忙しいのか?」


 正人が思い出したように聞いてきたが、俺はその疑問に首を横に振る。


 この眠さの原因はバイトで疲労が溜まっているから、という訳ではない。どちらかというとバイトでは忙しい時間帯が少なく、暇な時間の方が多いくらいなので、昼間に眠気を覚えるほどは疲れない。


 まあ、確かに全く関係ないとは言い切れず、遠回しに言えばバイトが原因ではあるのだが、主な原因としてはこの教室に居るとある少女によるところが大きかった。




   ◆◆◆    ―――   ◇◇◇   ―――    ◆◆◆




「……何やってんの?」


 白坂に肉じゃがを貰った次の日の夜。

 その日もまた、バイトから帰宅した直後に彼女が俺の部屋へと訪れていた。


 挨拶もそこそこに差し出されたのは、丁度弁当箱が入りそうなくらいの紙袋。今回はまだ受け取っていないが、前日のこともあり、その中身は中を覗かなくとも簡単に予想がついてしまった。


「見て分かりませんか? 今日の分のおかずを持ってきたんです」

「何となくそうだと思ったけど、やっぱりか」


 予想通りの答えに、開いた口が塞がらないような気分になる。


 どうやら、彼女は昨日に引き続き今夜も夕食をお裾分けしてくれるつもりらしい。

 俺としては当然の如く昨日だけのことだと思っていたので、二日連続となる彼女からの申し出に困惑の色が隠せなかった。


 あれは一回限りの特別サービスでは無かったのか……。


「あ、小麦とか卵とか、何かアレルギーをお持ちだったりしませんか? 昨日は突然だったので聞きそびれてしまいましたので」

「いや、ないけど……」

「そうですか、良かったです。あと、ついでにお聞きしますが、バイトのある日は何曜日ですか? 決まっているなら教えていただけるとこちらとしても色々と都合が良いのですが。それと、明日の分はそれに詰めるので、昨日のタッパーは返して――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 トントン拍子に話が進み、このままでは白坂のペースに飲まれているうちにまたタッパーを受け取る流れになりそうだったので、俺は慌てて口を挟んだ。


「何ですか、おかずのリクエストですか? 余程大変な物でなければ受け付けますよ。何なら肉じゃがの再リクエストも可です」

「え、マジ――……いや、そうじゃなくてさ」


 昨日の味を思い出して、言いたいことも忘れ、一瞬素で喜んでしまった。

 もしや、あの肉じゃがには謎の中毒性がある成分でも入っていたのだろうか。


 ……自分で考えておいてなんだが、何それコワイ。


 ――って、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな。


「俺、まだ昨日の礼もしてないんだけど」

「そうですね。それが何か?」

「何かって……昨日の礼も返してないのに、また貰うわけにはいかないだろ?」

「なんだそんなことですか。私は別に構いませんよ」

「いや、少しくらいは構ってくれよ……」

「えぇ……。だって、本当に要らないんですもん。私、昨日も『不要です』って言いましたよね?」

「……確かにそう言っていたけどさぁ」


 白坂からにべもなく言い返され、思わず仏頂面になる俺。

 全く、お礼にあまり期待をされ過ぎるのも困るが、期待されなさ過ぎるのもそれはそれで困りものである。


 もちろん、白坂の申し出はとても嬉しい。

 昨日の肉じゃがはお世辞抜きで美味かったし、また作ってくれるというなら喜んでお願いしたいところではある。


 だけど、受けた恩を返す前からまた施しを受けるというのは、何かダメな気がする。

 このまま白坂の申し出を受け入れれば、ずるずると一方的に白坂からの厚意を受け入れるだけになってしまいそうだし、そうなってしまえば俺は恩知らずのクズに成り下がるだろう。


 それだけは何としても避けたかった。成長する過程で多少捻くれたという自覚はあるが、両親に真人間として育てられた俺としては、人から受けた恩は必ず返すべきだと思うのだ。いくら白坂が『大家代行として渡しているだけだから、気にするな』と言ってくれているのだとしても、そう安直に『紙袋を受け取ろう』だなんて考えられなかった。


 その辺りのことを彼女に伝え、このありがたいが受ける訳にはいかない申し出を断るには何と言ったらいいか……。俺はそのことに頭を悩ませることになった。


「――くすっ」


 若干俯きつつ手を額に当てて悩んでいると、目の前で誰かが笑った気配がした。

 それに釣られて顔を上げると、先ほどまで困惑気にほんのりと眉根を寄せていた白坂が軽く握った右手を口元に当て、くすくすと笑っていた。


 何故彼女が笑いだしたのか分からず困惑する俺。


「意外と真面目な方ですよね。あなたは」


 そんな俺を差し置いて、目の前の彼女は柔らかな笑顔を見せた。

 何が可笑しいのか目をふにゃりと細め、思わずといった様に頬を緩めている。


 それは学校でも木もれ日荘でも初めて見る表情で、そんな不意に見せられた彼女の新たな一面に、俺の心臓は大きく跳ねさせられた。


「……っ!!」


 ドクドクと心臓の音がやけにうるさく耳に響いた。

 身体はその場に佇んでいるだけなのにランニングをしているときの様に鼓動が早くなり、何故か顔が火照ったように熱くなっていく。


 それは今まで味わったことの無い奇妙な感覚で、戸惑った俺は少々ぶっきらぼうに『意外とは余計だ』と答えることしかできなかった。


「お礼は後で纏めてでも構いませんので、今は受け取ってください」

「い、いや、でもさ……。二人分作らせるのも悪いだろ?」

「別に? 一人分作るのも、二人分作るのもあまり変わりありませんよ?」

「……そうなのか?」

「ええ。一人分だと材料の都合で余らせちゃうことも多いですし、寧ろ貰っていただいた方が助かるまでありますね」

「…………」

「なので……はい、どうぞ?」


 そう言って再び差し出される紙袋。

 先程は手を伸ばさなかったそれを、俺は今度こそ手を伸ばして受け取った。




   ◆◆◆    ―――   ◇◇◇   ―――    ◆◆◆




 先日の回想を終え、俺はふと彼女を視線で追う。


 見つけたとある少女――白坂は、今日も多くのクラスメイト達に囲まれ、弁当を食べていた。親しい友人達と談笑しているのか、時折笑顔を浮かべて相槌を打っている姿は、やはり周囲の男子達が言うように俺の目にも可憐に映った。


 しかし、あの時の様に心臓の鼓動が早くなることは無い。

 その事が今は少しだけ不思議だった。


「あ、分かった」


 不意に、『ぽんっ』と拳を掌に打ち付ける正人。

 何が分かったというのだろうか。この世の真理にでも気づいたのか?


「恋だろ!」

「……は? 突然何言ってんの?」

「いやさ、バイトじゃないなら寝不足の原因は恋愛関係じゃないかな、と。お前、睡眠時間削ってまで勉強するタイプでもないだろ?」

「まあ、そうだけどさ。本読んでたとか、ゲームしてたとか、理由なら他にも思いつくだろうが。どうしてそう思ったんだ?」

「ただの直勘と……あとは俺の希望かな?」

「お前の希望を押し付けんな!」


 俺は正人の頭を叩いて『ねえよ』と否定しつつ、何故かぎくりと跳ねた心臓には気づかないふりをしたのだった。

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