7:あなたの為ではありません。

「お待たせしました」


 待つこと数分。宣言通りすぐに戻ってきた白坂は、パタパタと小走りに近寄ってきて『はい、どうぞ』と手に持っていた何かを俺に手渡してくる。


 それを反射的に受け取ってしまってから何を渡されたのか確認すると、それは中に肉じゃがが詰められたタッパーだった。わざわざ温めてきてくれたのかほんのり温かく、容器のふた越しにもとても美味しそうに見えた。


「……これは?」

「肉じゃがです」

「それは見たら分かる。俺が言いたいのは、どうしてこれを俺に渡してきたのかってことだよ」

「? どうしても何も、あなたに食べていただこうと思って持ってきたのですが……」


 『それ以外に何があるんですか?』とでも言いたげに首を傾げる白坂に、俺も揃って首を傾げた。

 そりゃあ、さっきまでの話の流れとこのタッパーを渡してきたことを考えるとそれしかないだろうけどさ……冷静に考えておかしいだろうが。


 普通、ただ同じアパートに住んでいるだけの人間に手料理なんて振る舞わない。

 漫画やラノベなんかでは、作りすぎた料理を隣人に持っていくというシチュエーションをよく見るが、現実でそんな事をしている話など聞いたことが無い。

 もしそんな事を本当に現実でしているなら、それは余程仲の良い間柄か、もしくは身内でしかあり得ないだろう。


 俺達はそのどちらでもないし、白坂に手料理を振る舞われる謂れはない。

 引っ越し当日には引っ越し蕎麦を作ってくれたが、それは彼女が大家として部屋の特典を履行した結果に過ぎないのだ。


 そして、その特典も先日の話し合いにて不要だと告げている。

 それなのに何故、彼女は俺にタッパーを渡そうとしてくるのか、それが理解できなかった。


「……もしかして、肉じゃがはお嫌いでしたか?」


 白坂がタッパーを受け取った姿勢のまま黙りこくってしまった俺の顔色を見て心配そうに尋ねてくるので、俺は慌てて被りを振った。


「あ、いや、肉じゃがは好きだけどさ……。これ本当に貰ってもいいのか?」

「ええ、もちろん。――というか、貰っていただかないと私が困ります」

「困る? 君が?」


 白坂が困ると言った理由が分からず、俺は首を捻る。

 俺がタッパーを受け取らないことで、一体彼女にどういった不利益が生じるというのだろうか。寧ろ俺に渡す方が食材や手間的な意味で損をする様に思えるのだが。


「考えても見てください。このアパートには現在あなたしか居住者が居ないんですよ? それなのにあなたが倒れでもしたら、アパートの収入が無くなってしまうじゃないですか」

「な……なるほど?」


 確かに、もし俺が栄養不足か何かで倒れて家賃の支払いができなくなった場合、他に誰も居ない現状ではこのアパートから得られる収入は無くなる。それは大家代行である彼女からすれば不利益になる訳だ。


 たった一部屋、しかもそれほど高額ではない家賃では大した収入にはならないとは思うが、それでも全くの無収入と比べればその差は歴然。建物を所持していれば何らかの税金なども納めなければいけないだろうし、無いよりはあった方がいいのは確かだろう。


 だから、そうなる前に俺に料理をお裾分けすることで不摂生な食生活を見直させ、ここに住んでいる間は健康で居続けさせる。多少の手間で大きなリスクを回避するのは大家としては当たり前――……


 …………。


 ……本当に当たり前なのか?


「さあ、分かったなら早くお家に帰って、暖かいうちに食べちゃってください」


 自分で考察しておいて自分の考えに自信が持てなくなっていると、目の前の彼女はさっさと追い払うように帰宅を促してくる。

 彼女から手料理を貰う謂れは無いので断ろうと思っていたのだが、両手を後ろで組み、『頑として返却は受け取りません』とでも言いたげな彼女の表情を見ていると、とてもそんな雰囲気でもない。


 俺は彼女にバレない様に『はぁ』と小さく一つ、ため息を零した。


「……ありがとう、この借りはまたいずれ何かで返すよ」

「別に返さなくてもいいですよ。これは私が私の為にとお渡しした物なのですから、あなたがお礼を気にする必要性は皆無です」

「それでもだ。まあ、それがいつ、どういった形で、になるのかはちょっと保証しかねるけど……」

「はぁ……。まあ、そこまで言うのなら、期待しないで待っておきますね」


 言葉の割にちっとも期待していなさそうな彼女を見て、俺は密かに『いつか絶対返してやる』と心に誓いつつ、今回はありがたく白坂の好意に甘えることにしたのだった。






 今日の洗濯物を洗濯機の中に放り込んでからリビングへ戻ると、タイミングよくキッチンに置かれている電子レンジが『ピピピ』と甲高い電子音を奏でた。呼ばれるままに蓋を開け、俺は中からレトルトのパックご飯を取り出してテーブルに着く。


「いただきます」


 ここに白坂は居ないけれども一応作り手の彼女に手を合わせてから、俺は肉じゃがへと箸を伸ばした。


「うっま」


 その言葉は自然と口から漏れ出してきた。

 美味い。俺はコメンテーターでも味覚評論家でもないのでどう表現してよいのか困るが、白坂お手製のそれはとにかく美味かった。


 何だろう、素材に出汁が良く染み込んでいる感じ?

 素材である肉やジャガイモを甘辛の出汁と一緒に煮込むことでおいしさ成分がギュッと濃縮され、噛みしめる度にそれが口の中で溢れだしてくる。

 某有名なグルメリポーターの言葉を借りるなら、まるで味の宝石箱の様だと言うべきだろうか。


 その美味さのおかげで加速度的にタッパーの肉じゃがは減っていき、それと比例する様にしてご飯も無くなっていく。ちなみに箸が進みすぎて既にレトルトのご飯は二パック目である。少し濃い目の味付け故かご飯の消費が早い。念のためにとレトルトのご飯を用意しておいて本当に良かった。


「ふぅ」


 しばらく夢中で箸を動かす機械と化した後、最後に一欠けらのジャガイモを飲み込んで俺はようやく箸を置いた。


 美味かった。具体的に言うなら、もっと食べたいと思ってしまうくらい。

 いつもならコンビニおにぎり二つだけでもそれなりに満ち足りて『もっと食べたい』とは思わないのに、今日は普段よりもしっかりと食べたにもかかわらず『まだ足りない』と不足感を感じてしまっている。


 空になってしまったタッパーを口惜し気に見つめてしまっていることに気づいて、俺は苦笑いを零した。


「……これは借りを返すのが大変そうだなぁ」


 俺はこの肉じゃがの借りをどうやって返したものかと未来の自分に降りかかる苦労を思い描きつつ、今日のところは記憶の中の彼女へ向けて『ごちそうさま』と手を合わせた。

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