4:我々の業界ではご褒美です。

 寝耳に水とはまさにこのことだろう。白坂の提示した特典の内容は、俺の予想の範疇を優に飛び越えていた。

 心境としてはキャッチャーミットを持ってどっしり構えていたのに、明後日の方向へ大暴投されたかの様な気分である。悪投球もいいところだ。


「……君、本気で言っているのか? 俺を揶揄っている訳じゃなく?」


 だから、俺が彼女に訝し気な視線を向けつつ、そんな風に尋ねてしまったのも仕方のないことだった。しかし、彼女は何故そんな視線を向けられるのかが分からないといった風に小首を傾げる。


「本気も本気ですけど……そんなに信じられない様な内容ですか?」

「そりゃあなぁ……」


 白坂の質問に俺は少し言葉を濁す。


 いやだって、『特典で白坂の様な美少女が付いてくる』なんて言われれば、思春期真っ盛りを迎えた男子高校生の考えることなど当然あっち方面・・・・・のことしかない訳で……。そんな若い性的欲求リビドーにまみれた下種な考えを面と向かって本人に語るなど非常に憚られたのだ。

 俺は女性にセクハラ発言をして喜ぶ趣味など無いのだから。


 それに、紳士であることを自認する俺としては、もう少し彼女には自分自身を大事にして欲しかった。

 いくら入居者を呼び込むためとはいえ、そんな自分を犠牲にするような特典は良くない。倫理的にも。心情的にも。こちらは詳しい事情を何も知らないので偉そうなことを言えた義理ではないが、自分を安売りする様なマネは止めさせた方がいいと思ったのだ。


「君はもっと自分を大切にした方がいいぞ?」

「……何の話をなさっているのですか?」


 しらーっとしたジト眼が俺へと突き刺さる。その瞳はいやに冷たい。周囲の気温が下がった気がするのは気のせいだろうか。


「えっと……、部屋を借りれば君に好きなことを出来る、という話ではないのか?」

「当たり前です、何を考えているんですか。……えっち」


 白坂は自身の腕で身を守る様に身体を抱きしめつつ、俺から少し距離を取った。

 彼女の黒い宝石の様に綺麗な瞳には警戒の色が浮かんでおり、俺は気まずくなって目を逸らし指で頬を掻いた。


 エロくてすいません!

 でも、年頃の男の子なんてそんなもんですよ?


「……何か勘違いをされているみたいですが、私が言う特典とは『私』ではありますが、『私自身』というわけではありませんよ?」

「? どういうことだ?」

「その疑問にお答えするには、少しこのアパートの現状についてお話した方がいいかもしれませんね」


 彼女はそう言って一つ咳払いをすると、佇まいを直した。


「空木さん、このアパート――木もれ日荘には何部屋あるか分かりますか?」

「物件資料は不動産屋で見たから知ってるぞ。一階四部屋、二階四部屋の計八部屋だよな?」

「正解です。では、そのうち現在埋まっている部屋の数は?」

「……えーと、確か一〇一号室とこの部屋一〇二号室が埋まっているから……二部屋?」

「惜しいです。それに物置代わりになっている一〇四号室を足して三部屋が正解ですね。これらの事実から何か気づくことはありませんか?」

「……空き部屋が多い?」

「その通りです」


 我が意を得たり、と白坂は微笑む。


「一〇一号室が私の部屋なので、実質的に埋まっている部屋はこの一〇二号室だけ。このアパートには現在あなたしか入居者が居ないのです。残念な事に……」


 白坂は悲しそうにそう言うが、ある程度は仕方のない部分もあるのだと思う。


 木もれ日荘は築五十年を越える古い建物であるし、いくらリフォームやハウスクリーニングで多少手直ししたところで老朽化が進んでいることには間違いない。最寄りの駅だって歩いたら一時間くらいかかる。それにもかかわらず、住人専用の駐車場を取れるほどのスペースも無く、あるのは敷地の隅に設けられたたたみ一畳いちじょう分ほどの屋根が着いた駐輪スペースのみ。


 俺の様に近くの高校まで自転車通学ならばともかく、毎日電車で通勤、通学する社会人や大学生の目には、あまり魅力的には映らないのだろう。


「なので私はこの事態を打開するため、部屋を借りてくださった際の『特典』をつけることに決めたんです」

「新しい入居者を増やす為と、折角入ってくれた入居者が逃げないようにする為か」

「……逃げない様に、というのはいささか不本意な表現ですが……まあ、その通りです」


 俺の言葉に不満そうにしつつも、白坂は頷いた。


「しかし、特典を付けると言っても、何がいいのか悩みました。よくある敷金礼金0円というのは既にしていましたし、お祝い金というのも無収入であるこのアパートの運営予算からは出せませんでしたから。それに大家代行とは言っても私はまだ未成年ですので、私があげられるものって結構限られるんですよね」


 まあ、そりゃあそうだろうな。

 俺達はまだ中学生を卒業したばかりで、明日ようやく高校生になる年頃だ。そんな子供が持っている小遣いなどたかが知れており、特典として人を呼びこめる様な物品を購入して用意するとなると厳しいことは容易に想像がついた。


 だからこその自分が特典ということなのだろう。


「……大体の事情は分かったけど、結局特典ってどういうものなんだ? 『君』ではあるが、『君自身』ではないとか、さっきは言っていたけど」

「私の『労働力』を提供します、具体的には入居者の皆さんのお世話ですね。掃除、洗濯、料理などの家事を私が負担することで生活の質向上を図り、皆さんにここが居心地のいい場所だと認識してもらえるよう尽くすつもりです」


 なるほどそう来たか、と俺は思った。


 確かに労働力であれば元手はかからないため、お金を気にする必要なんてない。

 入居者にしてみても、面倒な家事を負担してくれることによって入居者は他のやりたいことに時間を充てられるので喜ばれることだろう。


 問題は彼女がちゃんと家事をこなせるのかということだが、料理は先ほどの蕎麦から察するに上手いだろうし、何となくではあるが他の事も卒なくこなしそうな気がする。となれば、何も問題は無い訳だ。


 彼女にできる範囲内、かつ入居者にも喜ばれそうな特典の内容に、『よく思いついたな』と俺は素直に感心した。


 ……ただ少し、気にかかる点としては――


「それって、白坂に結構な負担がかかるんじゃないか?」


 家事を負担してもらえるなら、確かに俺達入居者は楽を出来る。けれど、その分負担は白坂に集約されてしまう訳で。仮にもし現在空室の五部屋も入居者が決まり、全員の家事を負担するとなった場合、その労力は相当な物となるだろう。


 一人二人ならともかく、そうなった場合に白坂一人で対応できるとも思えず、どうするつもりなのか少し気になった。


「満室になった場合、自分の他に六人分の家事とかキツイだろ」

「まあ、大変だろうとは容易に想像できますね」

「なら、そこのところはどうするつもりなんだ?」

「特にまだ何も。一応少し考えてはいますが、今はあまり気にしないようにしています。現在の入居状況から考えると、仮にそうなったとしても、それは当分先の事だろうと思われますので」

「あー……、それもそうか」

「……簡単に納得されちゃうのも、それはそれでカチンときますね」


 白坂の返答に俺が苦笑いで納得すると、白坂は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。

 膨らんだ頬はとても柔らかそうで思わず突きたい衝動に駆られたが、今日初めて会った同級生(予定)の女の子にすることではないので流石に自重した。


 代わりに『すまん、悪気は無かったんだ』と素直に謝ると、白坂もそれほど気にしていた訳ではなかった様で、すぐに表情を戻してくれた。


「まあ、色々納得したよ。さっきの蕎麦は特典の一環だったって訳ね」

「はい。今日は引っ越し作業で疲れていらっしゃるかと思いましたので、夕食の用意が面倒になるかな……と」

「よくお分かりで。正直助かったよ」

「差し出がましいかとも思ったのですが、そう言っていただけたなら用意して良かったです」

「差し出がましいとか、そんなことは無いよ。……あ、でも明日からは気にしなくて大丈夫だ。それに掃除や洗濯も別にやらなくていいから」


 俺が最後に付け足す様にそう言うと、白坂はキョトンとした顔になった。そして、何を言われたのか理解できなかったのかの様に、パチパチと何度も瞬いている。


 俺、そんな変なこと言っただろうか?


「えっと……それはいつまでの事ですか? 来週とかですか?」

「いや、ずっとだよ。俺は別に特典なんて要らない」


 少し間を開けてそんな風に白坂が聞いてきたので、俺は彼女へはっきりとお断りの返事を返した。


 俺は元々、特典なんてものがあるとは知らずにここへ引っ越してきた。まだ初日の感想ではあるが、この部屋には十分満足しているし、不満はない。だから、別に特典など無くとも出ていくつもりなどまったくなかった。


 それに、白坂に自分の部屋の家事をしてもらうというのは、何というか……俺の気が咎めた。


 彼女は大家代行という立場であるが、その前に同年代の女性である。

 今は平然としている様に見えるが、異性の部屋に入るときにはきっと警戒をしているはずで、それが毎日ずっと続くともなれば精神的に疲れて疲労が溜まっていくだろう。そうなれば体調を崩すことだってあるかもしれない。それは俺の望むところではないのだ。


 俺もそうまでしてお世話をしてもらいたいとも思わないし、双方に得が無いならば、ここは『特典を辞退する』という選択肢が双方にとって一番良い様に思えたのだ。


「……遠慮されなくてもいいんですよ? 特典の話は私の方から言いだしたものなんですから」

「別に遠慮なんてしてない。ただ、そこまでしてもらう必要が無いと思ったから言ったまでだ。――それに、ぶっちゃけ君も他人、それも男の世話なんて嫌だろ?」


 俺は何の気なしにそう尋ねたが、すぐに答えが返ってくることはなかった。

 代わりと言っては何だが、訝しむような視線が寄せられてはいたけれど。


「……なんだよ、その目は。何か言いたいことでもあるなら、はっきり言ってくれ」

「いえ、『さっき、あんなことを言ってきたスケベな人の発言だとは思えないなぁ』と思いまして。はっきり言って、意外です」


 自分が促したとはいえ、あまりにも明け透けな白坂に、俺は反射的に『スケベとは失礼な!』と言い返しそうになり、寸での所でぐっと堪えた。


 先ほどまで彼女の提示した特典に対して不埒な思い違いをしていたのは紛うことなき事実であり、彼女の信用を初っ端から無くしてしまったのは自分である。

 そんな今の自分が言い返したところで説得力は皆無であり、白坂の誤解が解けることはまずないだろう。『今のところは』この評価を甘んじて受け入れるべきである。


 だが、言われっぱなしもそれはそれで気に入らない。


「……君の中の俺のイメージについて、いずれきちんと話し合う必要がありそうだな」

「そうですか? 私は不要だと思いますが」


 取りつく島も無く言い放った白坂に、俺はやや口と臍を曲げた。

 何だよ。こっちは君のことも考えた上で言っているのにその言いがかりは。こいつ、顔はすっごい可愛いけど、性格はまったく可愛げない……。


「……まあいい。そういう訳だから、俺の事は気にしないでくれ」

「あなたがそこまで言うなら……はい、分かりました。でも、特典が必要になったらいつでもおっしゃってくださいね?」

「そんなことにはならない。俺は一人でやっていける」

「応援していますよ、私もその方が楽なので。その気概がいつまで持つのか、とても楽しみです」


 欠片も信じていなさそうな白坂に、俺はさらに臍を曲げることになったのは言うまでもない。


 ……見てろよ。俺は君の助けなんて絶対に借りないからな!

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