3:ノリツッコミは完璧です。
「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう」
少女が差し出す丼ぶりを、俺はお礼を言ってから受け取る。
湯気が立ち上るそれは、二尾のエビの天ぷらが乗った蕎麦だった。引っ越し蕎麦ということなのだろうか。
確か引っ越し蕎麦の元々の由来としては、引っ越した本人が食べるのではなく、ご近所さんへ配ったり、料理として振る舞ったりするものだったと思うのだが……まあ細かいところはいいか。習慣というものは時代によって移ろい行くものだし、俺が気にしても仕方がないことだ。
それよりも、この美味そうな匂いがする蕎麦を冷めないうちにいただくこと、それの方が重要だろう。
俺は食前に『いただきます』ときちんと手を合わせてから、食べ始めた。
美味い。麺を啜ればのどごし良く、つゆを飲めば口の中にかつお節の香りが広がる。その味はよく食べるインスタントのお手軽カップ蕎麦などとは比べるべくも無かった。
これはひょっとして出汁から取ったつゆなのだろうか。なんとなく、俺が知っているどのメーカーのつゆだしの味とも違う気がする。関西風の薄味な味付けで、何というか優しい味だった。
これまでに食べた蕎麦の中でも上位に位置するであろうそれを、俺は無我夢中で啜った。
「……ふー、ごちそうさま」
そして、あっという間に完食する。
つゆまで残さず完飲すると、少女は少し驚いたように目を瞠っていた。
「お粗末さまです。すごい食べっぷりでしたね」
「そうか?」
「はい。見ていて気持ちがいいくらいでした」
「まあ、美味かったからな。ついつい箸が進んでしまったことは否定できない」
「今日は引っ越し作業もあって、余程お腹が空いていたのでしょう。空腹は最高のスパイスとも言いますしね」
「それだけじゃないと思うがな……。改めて、ありがとう。美味かったよ」
「美味しく召し上がっていただけたなら良かったです。一応、蕎麦湯も持ってきたのですが、飲まれますか?」
「いただこう」
頷いた俺を見て『では、少しだけ待っていてくださいね』と言い残して、少女は再びキッチンの方へと消えていった。
蕎麦湯かー。正直それほど味があるものではないし、普段は蕎麦を食事に出されてもあんまり飲まないんだよな。
でも、あれほど美味しい蕎麦を作れる少女のことだ。きっと、蕎麦の風味が効いた味わい深いものが出てくるに違いない。いやはや、実に楽しみ――
「――って、ちょっと待て」
あ……ありのまま今起こったことを話すぜ!
俺は
な……何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何をされているのか分からなかった……。頭がどうにかなりそうだった。
催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチな――――って、こんな茶番している場合じゃない。
あんまりにも少女が出してくれた蕎麦が美味いもんで、何も考えずにほんのりのほほんと啜っていたが、そんな場合じゃないだろう、俺! 何がどうしてこうなった!?
というか、部屋に上げてしまっておいて何だが、名前しか知らない――それも本名かも分からない――謎の美少女の手料理を食べるのは少々リスキーだったのではないだろうか。毒とまでは言わないが、変なものを出されていたらどうするつもりだったのか。
出されたのが美味い蕎麦だったから良かったものの、下手をすれば救急車のお世話になっていたかもしれない。……そうなった未来の可能性を考えると、何だか少し背筋が冷えた気がした。
「どうかされましたか?」
俺が自分の迂闊さを悔いていると、紙コップを持った少女が来客用のスリッパをパタパタと鳴らして戻ってきた。テーブルの上で頭を抱えた俺を見て、キョトンとした顔をしている。
……色々反省すべきことはあれど、とりあえずこの少女が誰かなのか知ることが先決か。
俺は『ちょっと聞きたいことがある』と言って彼女にも着席を促し、テーブルの対面に座ってもらった。
「えっと、白坂さん……だっけ? 初めまして、俺は空木陸といいます。どうぞよろしく」
「これはご丁寧に。玄関先でも名乗らせていただきましたが、私は白坂綾乃と申します。一応、このアパートの大家をやっております」
「大家? 君が?」
「はい。まあ正確に言えば、大家代行なんですけど」
「……失礼を承知で聞くが、君いくつだ? 俺とそう違わない様に見えるが……」
「空木さんと同い年ですよ。私も明日から
へー、俺と同級生の女の子が大家代行か。まだ若いのにすごいもんだな。
……あ、いや。俺はただその歳で建物の点検・管理や入居者からの相談などといった責任を伴う仕事を一任されている、という事実に感心しただけなのだ。だから、『同い年なんだから俺も十分に若いだろ』ってツッコミは無しで頼む。
ん? ということは、だ。
最初に彼女が名乗った時に言った『不束者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします』というのは、『“大家代行として”不束者ではありますが』ということだったのか。今更ながらに納得である。
……特に何が、という訳ではないのだが、少し残念な気分がしてしまうのは何故だろうか。
「ん? 俺、大和台高校に通うって言ったっけ?」
「私は代行といえど、大家ですよ。それくらいの事情は伺っています」
「……それはそうか。まあ、正直あんまり喋る機会なんて無いと思うが、何かあった時にはよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
そう言って白坂は軽く微笑んで頷いてくれた。
ビジネススマイルなんだろうが、美少女に微笑まれて少しどぎまぎしてしまった。くそう……嘆かわしきは俺の女性耐性の低さよ。自分のことながら泣けてくるぜ。
さて、それはさておき――
「ある意味ここからが本題なんだが、どうして君は俺にあんなことをしたんだ?」
「はい? あんなこと? 何か私、変なことしましたっけ?」
思い当たる節が無いのか、白坂はコテリと首を傾げる。
「……え? いや、さっき俺に手料理を振る舞ってくれただろ?」
「それなら、はい。確かにお蕎麦をお出ししましたが……。それが何か?」
「何か……って。 普通、初対面の相手に手料理なんて作らないだろ? おかしいとは思わないのか?」
「いえ、それが私の役目でもありますので、当然のことでは?」
「「え?」」
俺達の困惑する声がハモった。
お互いがお互いに対して『何を言っているんだ、この人は』みたいな視線を向け合い、様子を伺っている。
そして、そんな気まずい見つめ合いが三十秒ほど続いた後、白坂はおずおずと話を切り出した。
「……あの、もしかしてなんですけど、このアパートの部屋を借りた際の『特典』について聞いていないんですか?」
「聞いてない。特典? そんなのあったのか?」
「……どうりで。話が噛み合わないと思いました」
白坂はそこで一つため息を吐き、『不動産屋の方には入居を検討されている方へお伝えいただくよう頼んだつもりだったのですが、上手く伝わっていなかったみたいですね』とぼやく様に呟いた。
「空木さんは初めて知られたみたいですが、実はあったのです」
「そうだったのか。……えーと、話の流れ的にその『特典』っていうのが、白坂が手料理を振る舞ってくれたことと関係があるんだよな? 一体何が貰えるんだ?」
「私です」
「…………ん? すまん、聞き間違えたみたいだ。『私』って聞こえた気がしたんだが、本当は何て言ったんだ?」
「間違ってないですよ。私がこの部屋の『特典』です」
一見、料理とは全く結びつかない『特典』の詳細が気になった俺が白坂に尋ねると、彼女は平然とした顔で信じられないことを宣った。
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