1:お部屋探しは大変です。

「そこを何とかお願いします!」


 とある不動産屋の店内に切羽詰まったような声が木霊する。

 その時丁度居合わせたお客やその対応をしていたおばちゃん店員たちは、突然響いたその大きな声に『何があったのかしらん?』と思わず声のした方を振り返った。


 声の主は、歳の頃が十五歳程に見える少年であった。

 その少年は案内されたカウンターに額を擦りつけんばかりに頭を低くしており、立場的にはお客であるにもかかわらず平身低頭を地で行っていた。もし、必要であるならば土下座も辞さない、そんな雰囲気である。


「そうは言われてもなぁ……」


 それに対して少年に頭を下げられている男性店員はというと、困ったように眉をひそめていた。


 お客が満足する物件を紹介するというお仕事をしている以上、少年が望む物件を紹介してやりたい。でも、少年が希望する条件では紹介できる物件が無いという事実が彼を困らせている様に見える。


 おそらく、事実そうなのであろう。男性店員は手元のファイルに綴じた取り扱い物件の資料をパラパラと捲っては『う~ん』とか『ここも無理だよなぁ』等と呟きながら頭を悩ませていたのだから。


 端正な顔を困惑に歪めて困る彼を見て、余程意地悪な条件を提示したのだろうと店内にいたおばちゃん達からの視線は些か冷ややかに少年へと収束し、少年は思わず身震いすることとなった。


――さて、この店員を困らせ、今にも土下座をしそうな少年は誰か?


 ま、俺なんですけどね。




   ◆◆◆    ―――   ◇◇◇   ―――    ◆◆◆




「……なぁ陸君、もう少し家賃の許容範囲を広げることはできないのか?」


 不動産屋の男性店員――もとい小日向のおじさんがそう聞いてきたのは、最初に俺が希望する物件への条件を聞き、悩まし気に手元の端末を操作し始めてから十五分ほど経った頃だった。


 小日向のおじさんは、俺の父親の友人である。

 父さんが今の俺くらいの歳の時に出会ってからずっと仲が良いらしく、それぞれ結婚して家庭を持った今となっても家族ぐるみの付き合いをしている。

 そのため、父さんの息子である俺とも面識があり、彼の子供のついでにレジャー施設に連れていってもらったり、親には内緒でお菓子を買って貰ったりと今までいろいろ良くしてもらっていた。


 不動産屋を生業とする彼からは、以前より『一人暮らしで引っ越すようなことがあれば相談にのるから』と言われていたこともあり、部屋探しをするにあたってこれ以上気軽に頼れる人は居ないと、俺は相談しに来ていたのだ。


「せめてあと一万円くらい許容範囲が広がれば、少しは紹介できる物件もあるんだが……」


 現在の条件で入居可能な物件を苦慮してくれたのだろう、おじさんの表情からは苦悩の跡が見て取れた。

 また、そこから提案された内容も最大限に譲歩した末のものである察することができ、無理無茶難題を押し付けている自覚がある俺としては、今すぐにでも土下座して謝りたい気分である。


 しかし、親身になって相談に乗ってくれるおじさんには申し訳ないが、俺はこう言う他なかった。


「……すいません。それはちょっと厳しいです」


 一人暮らしをするにあたって、俺は両親から一つ条件を言い渡されていた。


 それは、自分の生活費は自分で稼ぐ事。

 両親には頼らず、自分の稼いだお金だけで生活することを条件に一人暮らしを認めると、そう言われていたのだ。


 この辺りの平均時給から俺がひと月に稼げる金額を試算した結果、現在条件として提示している金額が毎月家賃として払える限界であり、これ以上となると生活費を削ったり、これまでの貯金を切り崩さなければならなくなる訳で……。それはできれば避けたかった。


「学校に通いながらバイト代で生活しようと思うと、これ以上はどうしても……」


 俺が値上げは無理だという旨を告げると、おじさんの眉間のしわが深くなった。


「無茶を言ってすいません」

「気にするな。俺と君との仲じゃないか、多少の無理無茶は遠慮するな」


 そう言っておじさんは険しい表情から一転して微笑んだ。少しワイルドなイケメンスマイルである。


「それに、君にあんまりな態度を取ると、娘に嫌われるからな……」

「え?」

「いや、何でも無いよ。――ところで、ご両親からの仕送りなどは?」

「無いですね。それが一人暮らしの条件なので」

「そうか……なら仕方ないな。もう少し何とか考えてみる」

「お願いします」


 軽く頷いてまた端末を操作し始めたおじさんに、俺は『面倒をおかけしてすいません』と再び深々と頭を下げた。ホント無茶を言って申し訳ない。


 さて、調べて貰っている間、俺も少しは探してみるか。

 といっても、おじさんが手渡してくれた物件ファイルを眺めるくらいしかできないんだが、他に調べようもないしな。なんか良さそうな物件はないものか。


「……ん? なんだこれ?」


 パラパラと捲っていると、何故かファイルに綴じられていない物件資料が裏向きでページの隙間に挟まっていた。他の物より古い紙が使われているのか、その資料は若干茶色く変色し始めている。


 どうしてこの一枚だけ綴じられていないのかと疑問に思いつつ、俺はその資料を何となくひっくり返してみた。


 ……何々? 築五十年の木造二階建てアパート。部屋数は八部屋で入居可能なのが一〇一号室を除いた部屋。多少のレイアウトの差こそあれど、全ての部屋が1LDKのやや広めの間取りで風呂・トイレも各部屋に付いている。


 へー、駅からはちょっと遠いみたいだけど、結構いいじゃん。

 もうすぐ入学予定の高校から離れていないし、そこからなら自転車で十分に通学圏内だ。ちょっと古いのは気になるが、場所的にも、設備的にも俺の探している理想の物件の範疇にあった。


 でも流石に1LDKともなると、それなりの値段はするんだろうな…………って、あら?


 それは意外。案外安い。

 具体的に言うと、ギリギリ俺の希望する金額に収まるくらいである。


 あれ、もしかして見つけちゃったのでは?


「おじさん、おじさん」

「ん、何だ?」


 これは詳細を聞くべきだと判断した俺はおじさんを呼び、その物件資料を見せた。

 すると、おじさんは『あー、これなぁ……』となんだか不穏な感じで言葉尻を濁す。え、何その反応。


「もしかしてこの物件ってヤバイところですか?」

「いや、そういうわけじゃない」


 もしや事故物件だとか、ヤのつく人達の事務所が近いとかそういうことなのかと思ったのだが、違った様だ。


「この物件、賃貸として貸し出すのを継続するか取りやめるか、大家の家族内で少し揉めている様なんだ。」

「え、じゃあ借りられないってことですか?」

「いや、一応は継続の方向で話は着いたらしいから、入居は可能だ。ただ先方から、『一年以内に賃貸を取りやめる可能性がある』とも連絡が来ていてな。仮にもしもそうなったら、一か月以内に立ち退かなければならない」


 なるほど、だからおじさんは知っていても俺にここを紹介しなかったのか。

 高校に通う三年の間に取りやめが決まれば俺が困る。ならば、最初から紹介しない方が良いという判断だったのだろう。ありがたい配慮である。


 だが、現状俺の希望を満たせるのはこの物件しかない。

 もしかしたら他にもあるのかもしれないが、先ほどのおじさんの反応を見るにあまり希望は無さそうである。

 ならば、多少のリスクは覚悟の上でここに決めるのもありかもしれない。


「鍵は預かっているから、気になるのなら内見も可能だが、どうする?」


 そんな事を考えていると、丁度おじさんが問いかけてきたので、俺はもちろん首を縦に振った。


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