1LDK彼女付き ~格安アパートを借りたら特典でクラスメイトが付いてきた~
灰猫のサンバ
第一章:クラスメイトは大家(代行)さん
プロローグ:この彼女は特典です。
『トントントン』と何かを切る包丁の音が小気味よく響く。
キッチンから漂ってくる匂いから察するに、恐らく味噌汁に浮かべるネギでも刻んでいるのだろう。断続的に続くその音は、妙に俺の意識を惹きつける。
『料理ができるまでテレビでも観て待っていてください』と言われたのでその通りにしていたのだが、正直映る芸能人が何を言っているのかすら理解できていなかった。
現在、俺、
黒く、しなやかな長髪をシュシュで一つにまとめ、身体にはパステルピンクの可愛らしいエプロンを身に着けたその少女は、一か月程前から俺と屋根を同じくして暮らしている人物だ。
ちなみに彼女は俺の恋人――という訳ではない。
赤の他人というほど無関係でも無いが、恋人といえるほど深い関係でも無い。単に同じ学校の同じクラスで勉学を共にしているというだけだ。
端的に換言すれば、ただのクラスメイト。それが俺達の関係である。
それならば何故、俺は甲斐甲斐しく同級生の少女に夕飯を作ってもらっているのかといえば……それは俺にもよく分からない。
『ぐー』
ポニーテールの尻尾がゆらゆらと揺れるのを何とはなしに目で追っていると、俺の腹が抗議の声を鳴らした。バイト帰りで腹が減っていたということもあるのだろうが、キッチンから漂ってくるいい匂いに我慢ができなくなったようである。
割と大きな音が鳴ってしまい焦って腹を押さえるが、結果から言えばそれはあまり意味がなかった。
「ふふ、もう少しでできますからね」
「……おう」
耳聡く俺の腹の音を聞きつけた同居人の少女が振り返りそんな風に笑いかけてくるので、俺は気恥ずかしくなってあらぬ方向へと顔を逸らす。それを見て彼女がまたくすくすと笑うので、俺は少しだけ死にたくなった。
この状況になってからそれなりに経つが、相変わらず馴染む気がしない。
実際に目にしているのに目の前の光景が信じられないし、まるで夢を見ているかのような心地がする。てか、やっぱり夢だろ、こんなの。
まったく自慢にはならないが、俺は彼女という存在が生まれてこの方できたことが無い。それどころか女友達も居ないし、良くて知り合い程度。クラスメイトやバイト先の同僚の女子達と連絡事項や簡単な世間話くらいはすることもあるが、仲間内の気軽な会話というものはとんとした覚えが無い。
生憎と俺は『恋愛』という言葉からは程遠い人生を歩んできたのである。
そんな俺に料理を作ってくれて、同じ屋根の下で暮らす同級生女子。これが夢でないならば何なのだろうか。そう疑問に思わずにはいられないのだ。
ならばものは試しと、自分の頬を引っ張ってみる。
痛かった。
『うにょーん』と数ミリ程伸びるがそれだけである。夢から覚めるということは無く、ここには夢の様な現実がある、そんなある意味当たり前の事実しか確認できなかった。ただの引っ張り損である。
「……何をやっているんですか?」
――と、件の少女が二人分の夕飯をお盆に乗せて俺の座るテーブルの元へやってきた。彼女は胡乱気な眼差しで俺を見つめており、俺は慌てて頬を摩る手を止めた。もしかしたら先ほどのも見られていたのかもしれない。
「何でもない。――夕飯、できたのか?」
「はい。暖かいうちに食べましょう」
「そうだな」
俺はリモコンで碌に見ていなかったテレビの電源を切り、彼女が配膳するのを手伝った。
料理は全て任せている――『手伝おうか』と尋ねると『邪魔なので不要』と言われる――ので、心ばかりのお手伝いである。
二人して手を合わせて『いただきます』をして、出来立てでまだ暖かい夕飯に口を付けた。
「美味い」
食べた瞬間、俺の口からは自然とそんな感想が出てくる。
メインである豚の生姜焼きは生姜の風味が良く出ていてピリ辛で美味いし、付け合わせのサラダは瑞々しく咬んだ瞬間に『シャキッ』と音が鳴った。味噌汁の味は正直母親の作るものよりも俺の味覚に合っているし、ご飯が凄まじい速度で減っていく。
冗談抜きに、マジで美味い。
先ほどの感想はもちろんお世辞では無く、本心からそう思ったから口にした。しかし、同居人の少女はそうは捉えなかったようで、特に気にした風もなく澄ました顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
「別にお世辞とかじゃなく、本心なんだけどな。今日の夕飯は――いや、今日もか。いつも通り美味いよ」
「そうですか? では、そういうことにしておきましょう。あ、今日はデザートも用意しましたので、後で食べましょうね」
「お、おう……。さんきゅ」
「食べたら早くお風呂にも入っちゃってくださいね。洗濯物を寝る前に干しておきたいので」
「りょ、了解」
彼女は淡々とそんな風に告げ、何事も無かったように再び箸を進め始める。
その様子を見て何だかモヤモヤした俺は、この一か月、何度も頭に浮かんでは聞くのを躊躇っていた質問を彼女へぶつけた。
「……なあ、どうしてお前は俺にここまでしてくれるんだ? 俺達、ただのクラスメイトだよな?」
公然の事実を確認する様に俺が尋ねると、彼女は一瞬キョトンとした顔になった後、覚えの悪い子供に言い聞かせるかの様に説明し始めた。
「お忘れですか? 私はこの部屋の『特典』なのですよ。だから、あなたへのこれくらいのお世話ならあってしかるべし、というわけです」
「いや、それにしたって、限度があると思うんだが……」
「あなたは私に身の周りのお世話をしてもらえてラッキー、私は空いていたお部屋が埋まり家賃収入が入ってラッキー。そういうことでいいじゃないですか。……それとも、私にお世話をされるのはご不満ですか?」
若干、眉根を寄せて聞いてくる彼女に、俺は慌てて被りを振った。
「そんな事はない! 世話になりっぱなしで心苦しくはあるが、嫌だなんてそんなことは一切無い!」
「なら問題は無いですね。あなたは降って沸いた幸運だと思ってそれを享受してください」
にべも無くそう言い切られてしまい、俺はただただ頷くことしかできなかった。
……はあ、全く何がどうしてこうなったんだ?
それを確かめる為、俺はこの格安アパート――木漏れ日荘に引っ越して来てからの日々を振り返るのだった。
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