怪しい仕事と対価について

「でっ!?」

「ぎにゃッ?」


 ホテルのロビーみたいなところにいたはずなのに、急に床が抜け、体勢を崩してしまった。柔らかいソファに下半身が引っかかって、逆立ちしながら椅子に座る人みたいな格好で俺は辺りの様子を探る。

 どこだここ? 『魔法使い』を寝かしたホテルでもないし、地下道の先の謎のシェルターでもない。窓のない会議室のような空間だろうか、と思い至ったところで、スーツを着た男たちが一斉におれに銃を向けていた。

 え? いよいよワケがわからない。これが『魔法使い』の魔法、切り札だったりするのか?


「いいからどけえ!」

「ぐえ」


 柔らかい椅子だと思っていたものはどうやらソファに腰掛けた水卜だったらしい。

 拒絶の意思が存分に込められた蹴りは座ったままだというのになかなかに強力で、おれを軽く吹っ飛ばした。

 逆さまになった視界に映る、高価そうな木の椅子に腰掛けた遊鞠が、床に転がっているおれを見下ろしている。


「なるほど、こうなりますか」

「遊鞠さん! わかってたんですか!? こんな、突然、降ってきて……身体に触るなんて!」


 顔を赤くして、衣服の乱れを直す水卜。

 汚いもんに触っちまったみたいなリアクションに、俺は地味に傷つく。


「触ってねーよ。ぶつかっただけだろ」

「接触してるじゃないですか!」

「いやいや。こんなこと、私にも想定できませんよ。覚醒者の能力が発動する気配もなく、なんの予兆もなく突然現れたんですから」

「ほんとならどうなるはずだったんだよ」

「あんな感じに」


 遊鞠が指差した壁掛けのデカいモニターには、打ちっぱなしのコンクリートの床で呑気に寝こける白雲の姿が映っていた。


「なんであいつは寝てんだ?」

「なんでって……『向こうの世界』に行くんだから、身体は寝るしかないじゃないですか」

「向こうの世界が破綻したので、精神ももう戻ってきてるはずですけどね」


 当たり前だろ、みたいな表情でそう言う水卜に対して、つまり本当に眠っているだけですとか言いながら、遊鞠は薄く笑った。

 そのすぐ横に立っているスーツの男たちは、いまだにおれのことを拳銃で狙ったまま微動だにしない。


「いや微笑んでる場合か。銃! 銃止めさして!」

「館内の警備をすり抜けて、重要人物の控える部屋に侵入してのける相手ですから、彼らが警戒するのも已む無しかと」

「やむあるよ! ていうかなんでナチュラルに銃とか出てくんだよ!」

「……本当に黒輪さんは何もしてないみたいです」


 水卜がげんなりした表情でそう言って、豪華な椅子に深くもたれかかった。

 あ、そうか。こいつのテレパシーなら俺の無実も証明できるんだ。便利でいいねえ、テレパシー。

 それでもスーツ男たちは銃を下げない。

「黒輪さんじゃないなら、白雲さんかもしれない。彼の『出して消す』異能なら、彼をここに『出す』ことも可能でしょう」

「寝てんだろ本人!」


 モニターには安らかな笑顔ですいよすいよと眠っている白雲が映っている。

 なんかだんだんムカついてきたな。なんでおれがこんな目に遭ってるのに白雲は気持ちよくお昼寝してるんだ?


「しかし」

「うぜえわ。眠れ」


 俺に銃を向けてるって事は、全員俺のことを注視してるっていう事だ。

 なら眠らせてしまえばいい。おれは手から振り子を出してスーツ男を全員昏倒させた。


「……やるならやるって先に言ってください」


 咄嗟に目を逸らしていたのか、水卜から抗議の声が飛んでくる。

 あー、テレパシーでおれのやる気が悟られたのか。


「言わなくても避けれてんじゃん」

「心の準備が欲しいって言ってるんです」

「ですねえ。また分身が消されちゃう所でした」


 同じくテレパシーで間一髪目を逸らしたのであろう遊鞠。

 でもどうだろう、こいつみたいな忍者の場合、反射神経だけでおれの催眠術くらい避けられてしまうのかもしれない。忍者だしな。

 おれはゴロンと転がって体勢を立て直して立ち上がる。

『魔法使い』の世界のホテルと同じような、毛足の長い高そうな絨毯。土足で踏んでいいのかな、こういうの。


「何でもかんでも高そうって感想出すの、恥ずかしいですよ」

「出してねえんだよ。いやらしいねえ、覗き魔」

「うるさいですねー。のぞき放題の脆弱な精神障壁なのが悪いんですぅー」


 めちゃくちゃな悪態をぶつけてきては、舌を出してくる水卜。かわいらしい感じにまとめてきてるのもむかつく。

 なんなんだこいつは……出会った当初こそ若いのにしっかりしたお嬢さんだなあと思ったけれど、案外子供っぽい奴だな。はしゃぎやがって。


「はしゃぎもしますよ。ボーナス出るんですからね! ボーナス♪」


 ソファからぴょんと飛び上がって全身で喜びを露わにする水卜なんて、おれはどうでもよくなる。ボーナス。聞き捨てならない単語だ。ボーナス!


「おれもボ!」

「出ます。というか黒輪くん、白雲くん二人の大手柄ですからね。当然出ますよ」


 早口で尋ねようとしたことに遊鞠は先回りして返答する。いやじゃあ言えよ!最も言いにくいけど聞きたかった、具体的にはおいくら万円貰えるのかの部分を!

 おれの思念を読み取ったのか、遊鞠は右手を突き出して開いた。五万……

 いや、ひょっとして五十万円!!?!?!!!?


「五千万です」

「ごっ…………?」


 マジかよ。家が建つぞ。

 五千……五千万円???


「これはあなたの家に置いてきた一千万円とは別にお支払いします」


 瞬間、おれはどっと冷や汗を吹き出させていた。

 やべーやべー、そうだった。

 おれ、しゃぶしゃぶ食べ放題のために勝手に一万円抜いてきちゃってたんだった。

 あぶねー。あれ、おれの金ってことでいいんだよな。

 うん。よかった……大丈夫だよね。

 ちらと遊鞠の顔を伺うと、遊鞠は大きくため息を吐いた。


「今まで、覚醒者達のには様々な手段を用いてきましたが、有効な手段と言えるようなものはありませんでした。特に、覚醒した能力を戦闘手段として利用している『魔法使い』の対処はほぼ不可能……我々はそう認識していた所です」


 おれはスヤスヤと寝息を立てるスーツ男達と、横に転がる拳銃に視線をやった。

 。なるほどね。


「それなのに、貴方たちはたったの数分で、人的・金銭的損害も無しに『魔法使い』を無力化してのけた……これは並ならぬ快挙なのですよ。五千万円などでは釣り合わないほどのね」


 そうは言われてもおれからするとピンとこない。

 おれがしたのは、ただ催眠術で寝かしただけだぜ。白雲はもうちょい色々出したり消したりしてたけど。

 遊鞠の視線がなんだかくすぐったくて、おれは視線を逸らしながらもにょもにょと返事する。


「あー、そうなの? そりゃどうも」

「だからこそ、その功績者たるあなたが、我々が手をこまねいていた『魔法使い』を歯牙にもかけぬ超戦力が、秘匿されているはずの我々の本拠地に乗り込んできた事に、警戒せざるを得なかった」


 遊鞠は直立すると、腰から深く頭を下げた。


「銃を向けて申し訳ありませんでした。しかし、どうか我々の立場もご理解いただきたい」

「あー、そんな畏まらないでいいよ、別に。怪我もなかったし……ね。おれはボーナスもらえてよし。遊鞠さん達は邪魔者が消えてよし。それでウィンウィンってことで」


 おれは五千万円に完全に気を取られていて、銃を向けられたこととか本当にどうでもよくなっていた。

 五千万かあ……五千万もあったら、何すればいいんだ? 食べ放題じゃないしゃぶしゃぶで食べ放題できるんじゃないか?


「ではとりあえず、今日はお開きということにしましょうか」


 ニマニマしているおれと水卜を見ずに、遊鞠がそう言って手を叩いた。

 おれは四の五もなく頷いた。

 自宅に放置してきた一千万円が心配で仕方なかったので早く帰りたかったのだ。






「ではついてきて下さい。見られたくないものや、命に関わるくらい危険な場所もあるので、ちゃんとついてきて下さいね」


 なんだか脅すような口ぶりの遊鞠に頷いて、ビルの中を歩いていく。

 廊下は静かで、どの部屋からも音はおろか人の気配すら漏れ出てこない。

 このビルの中にいるのは俺たちだけなのではないかと錯覚してしまうほどに。

 複雑な構造の廊下を右に曲がって左に曲がってとついていく。

 道を覚えられないように、わざとやっているのではないかと思うくらい不自然に折れ曲がる廊下を、無心で歩いていく。


 と、突然。


「うわ」


 廊下の扉が消えて、神社の鳥居みたいなものが現れたので、おれは思わず声を出してしまう。

 鳥居の横には最強竜神社と描かれた看板が建っていた。


「最強竜神社て」


 ダサ……っつーか、なんだよここ。室内だよな?

 後ろを振り返れば廊下が続いているし、神社の床も地面とかではなく、ビルの床でございといったのっぺりしたタイルに玉砂利が敷き詰めてあるようだった。ただ、鳥居の奥には手水場も見えるし、さらに奥には本殿らしき建物が、部屋の中なのに建っている。屋根の上が天井にギリギリ当たってそうだ。


 ものすごく気になったので、おれは鳥居をくぐって中に入ってみる。

 玉砂利がぎゃらと音を立てて鳴る。


「狐が……この社に近づいたら食い殺すと、そう言っといたはずじゃが?」


 突然、女の声がしたので振り返ると、身体のでかい金髪の人間が立っていた。

 凶とか出た時のおみくじを結ぶ用の紐におみくじを結んでいるようで、こちらに背中を向けている。赤い上下のジャージを着ていて、背中にはドラゴンの刺繍がでかでかと入っている。

 女は振り返ると、ティッシュくらいなら眼光だけで破れそうな鋭い視線でおれを睨めつけ、ずんずんと近づいてくる。


「覚悟はできてんじゃろうなぁ!? あァ!?」


 うわ! ヤンキーだ!

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おれは夢を見ない 遠野 小路 @piyorat

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