第36話 約束 (塩谷あかね)

「ねぇー、おばちゃん。太一君は次、いつ来るの?」


 私は、隣のベットに横たわる女性に尋ねる。

 長くて綺麗な黒髪がトレードマークだったはずなのに、いつの間にかピンクのニット帽の印象が強くなってきている。


「あかりちゃん、太一のこと好きだもんね。多分、明日は来るんじゃないかな?」

「ほんとっ!!」

「うん。きっとね」

「やった〜〜。だったら、今日の検査もあかり、頑張る!」

「そうよ。あかりちゃんがもっと頑張ったら病気の方が逃げて行くよ」

「うん!!」


 元気に返事をして、中庭へと続く階段を慎重に降りて行く。

 小さな子どもが「遅っ!邪魔だよ」と言いながら私を追い越して行った。


 だって、私は怪我をすると血が止まりにくい病気だから、「慎重に、そして何をするにもゆっくりと」ってしつこいくらい言われているから仕方ないじゃない…。


 最後の一段を降りた時、ふいにあの日のこと思い出した。



 四回の入院に六度の手術…。あれだけ嫌だった白い病室と消毒液の匂いがする部屋にいることに、もはや抵抗がなくなってきていたあの頃…。私はちょっと頼りなさそうでそれでいてどこか芯が強そうな男の子と出会った。


「あっ、危ないっ」


 お気に入りの向日葵の絵が入ったガラスコップを片手に歯を磨こうと廊下に出たところで、私は自分の腕にささる点滴のチューブを支えるスタンドに足をひっっかけて派手に転ぶところを助けられたのだった。


「ほら、このコップも割れてないよ。良かったね。気を付けないと駄目だよ」


 彼はきっと私が小さな子どもに見えたのだろうか。幼子に諭すような感じだった。

 

 私は、こう見えても高校二年生なのに…。まあ、長い入院生活も関係したのか小学生高学年と見間違われるくらい身長も低く細い体だからしょうがない。しかも、胸もまったく平らな感じだしさっ。


「ありがとう。お兄さん?名前は?歳いくつ?」


 ちょっと拗ねた私はお礼をいう前にそう尋ねていた。


「あっ?俺?名前は太一。歳は十七歳、高校三年生なんだよ。よろしくな」

「た、太一く、ん?」

「そうだよ。じゃあな!」


 そう言って病室に入っていく後ろ姿に向かって、「私は。十六だよ」と言ったけど、もしかして聞こえなかったもしれない。



 それからというものの、太一君がお母さんのお見舞いに来るのをいつの間にか心待ちにするようになった。

 そして、太一君を捕まえては、中庭に連れ出し色んな話をした。その多くが太一君の学校での出来事だったけど、私はその話がとても楽しくて、自分の病気が治ったら太一君のような人と一緒にそんな学校生活を過ごしたいと強く願うよになっていた。

 そういえば、時折、「みい」と呼ばれてる可愛らしい女性も太一君と一緒に来ていたけど、私には全く関係なかった。

 だって、私と太一君は運命で結ばれているに違いないんだから…。


 それから一年…、私が、奇跡的なスピードで回復してきたことに病院の先生は驚きを隠せなかった。


「正直、ずっと入院してもらうことになるだろうと思っていたんですよ、塩谷さん。ほら、この数値をみてください。もうあかりさんは、全て正常値となっていますので、今週の金曜日に退院でいいでしょう。ただ、しばらくは、月に一度の通院はしてください。良かったね。あかりちゃん。これなら学校に行けるよ」


 先生が私に優しい目を向ける。母は、余りの驚きで言葉をなくしている。


 私は…、正直、飛び上がるくらい嬉しかった。もう、この狭い部屋で自分の未来を愁い涙を流さなくても良いんだ…。もしかしたら、夢をみてたことを少しずつ実現していけるかもしれない…。なんて素晴らしいことなんだろう。


 でも…。


 私が退院してしまったら、もう太一君とは会えなくなるんだな。病気が治ってこんなに嬉しいことはないのに、私はこれまで心配をかけ続けてきた母に対し、満開の笑顔を見せることができなかった。



- - - - - - - - - -

 

 退院後は、リハビリが大変だった。

 でも、こんなの病院にいた時の苦痛と比べればなんともないし…。太一君が話をしてくれたような楽しい学校生活をおくるんだ!

 そう言い聞かせて、私は必死で頑張った。


 なのに…。


 あれだけ夢見ていた学校生活だったのに、私は徐々に一人でいることが多くなっていった。昼休みに机をくっ付けてわいわい言いながらお弁当を食べたり、学校帰りにファストフードで恋バナを話したり、夕陽で光る川沿いの道を自転車を押しながら親友と休日どうする?なんてことを話したり……。

 私のやりたいリストに入っていたこと…、ほぼ全て出来ないままだった。


 

 すでに友人構成が終わってしまった中途半端な状態の時に復学しても自分の居場所なんてなかったのだ。

 それに、何より私が全く『友達』というものに慣れていなかった。どんな距離間で接していいのかも全く分からなかったから、相手の懐に一気に入り込んでしまったのかもしれない。いや、もっとぐいぐいといった方が良かったのかも…。もう、どっちでもいいや、わかんないよ…。


 しかも、勉強に付いて行くのがとても難しくて、中間、期末テストは赤点ばかり…。

 何一つ良い事なんてなかった。


 私頑張っているよ!もう、元気だよ!学校生活を楽しめてるよ!と太一君に胸を張って言いたかったのに…。


 全てにおいて憂鬱だった夏のはじめ。

 陽射しが強く、気が滅入る位に蒸し蒸しする水曜日。

 月に一度の診察の為に私は病院へと向かっていた。



 「う〜ん。ちょっと数値が悪くなってきているな。どこか体調でおかしなところはないかい?」


 先生は、私の表情を見逃さないようにじっと見つめている。

 実は、先週あたりから、少し歩くだけで凄まじく疲れていたのだが、そんなことを言うとまた入院しろと言われるかもしれない。


「大丈夫です。おかしい所があったらすぐに先生に言います」



 私…、どうなっちゃうんだろうか?そう思いながら、無意識に入院病棟まで来てしまった。


「あれ?もしかして、あかりちゃん?」

「おばさん!」


 たった数ヶ月なのにピンクのニット帽を被ったその女性は見るからに細くなっていた。


「おばさん、大丈夫なの?まだ、治らないの?」

「うん、頑張ってるけど、なかなか手強いんだよ。ん?どうしたの?あかりちゃん、元気ないけど」

「う…ん。おばさん、太一君はどうしてる?」

「太一?太一は元気一杯だよ。ふふふ、昨日もお見舞いに来てくれたしね」

「おばさん!お願いがあるの。私、太一君のお嫁さんになりたい。だったら、私、また、もう一度頑張れるから」


 私は、おばさんの細い手を持ちながらそんな言葉を発すると、人目も気にせず嗚咽をもらしていた。



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第三十六話を読んでいただきありがとうございました!

次回、「俺が悪い?」をお楽しみに!


皆さま、どうぞお時間のある時に遊んでいってくださいね!

引き続きよろしくお願い致します。





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