第二章
第17話 病院
なんだか、やけに辛気くさい感じがする暗い廊下の長椅子。
それに、昔、母さんに見舞いに行っていた時のあの匂いがする。もう、二度とこの匂がする場所には行きたくないと思っていたのに…。
だけど、俺は今、新宿の緊急病院で、何も出来ずに長椅子に座って先生が出てくるのを待っている…。
イタ飯屋で急に意識を失った美依に対し、店のスタッフはテキパキと対応してくれた。だから、美依は、三十分後には緊急病院に運ばれ、当直の先生に診てもらう事が出来たのだ。本当に感謝しかない。
俺と言えば、バタンと床に沈む美依をあっけにとられて何もすることが出来なかったのだ。今、思い出してもスローモーションのように倒れていく美衣。どうして、俺は何も出来なかったのだろうか?
すぐに美依の両親には電話をした。おじさん、おばさんとも勿論、長い付き合いだが、おばさんの携帯に電話をしたのは初めてだった。
「あら、太一君。お久しぶりね〜。元気かしら?そうそう、美依ったら、最近全然帰って来ないのよ。家が近いっていっても、少しくらいは帰ってきてもいいのに。今度、美依に言っといてくれない?」
俺が最初にきちんと説明出来なかったことが原因なのだが、美依のお母さんは、いつものように、愛想良く俺に話しかけてくれた。
「み、美依が、美依が突然意識をなくして倒れてしまって。今、新宿の都営緊急病院にいるんです」
ご機嫌な感じで話しかけてくれたおばさんの声を遮るように状況を伝える。
すると、ふぅ〜と一息吸った後、おばさんはこう言ったのだ。
「ねぇ?太一君。美依が高校生の時、意識をなくして倒れたことって知ってるよね?」
「えっ。はい。勿論知ってます」
高校三年の時の学祭を思い出す…。
学祭のステージでバンド演奏をした俺は、想像以上に盛り上がった観客席を見ながら、仲間達と「やったな!」と肩を組んでステージから降りて来た。
そこに、クラスの女子達が「白石さんが倒れて保健室に運ばれたみたいよ」とざわざわとしている姿を見た俺は、バンド仲間が叫ぶ声に返事もせず、保健室に向かって力の限り走って行ったのだ。あの時、保健室に着くまでの間、どうしようもない気が気でない気持ちは、今も胸の奥でジクッと棘を刺している。
「そう、ならば話は簡単だわ。大丈夫よ。しばらく経ったら意識は戻ると思うわ。私達は、美依のアパートに向かうから、太一君は、申し訳ないけど診断が終わったら美依をアパートまで連れてきて欲しいのだけど頼めるかしら?」
「あっ、はい。勿論です。でも、おばさん。本当に美依は大丈夫なんですか?」
その時、電話の向こうで、おばさんが「う〜〜〜〜〜ん」と言っている声が聞こえた。えっ?何か言いたいけど、言えない何かがあるとか?
「私からは言えないから、今度、美依に聞いて貰える?ごめんね。太一君。美依のことよろしくね」
「は、はい。勿論です。ちゃんと部屋まで送りますから、安心してください。では。後ほど…」
ふう。一体何なんだろう?あの奥歯にものが挟まったような感じは…。
「白石さんのお連れの方、先生がお呼びです」
「はい。すぐに行きます」
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美依を見てくれた若い医師が俺にこう言った。
「ただの貧血ですね。何か、極端に興奮したりすると白石さんは突発性の貧血を起こすことがあるようです。あまり興奮させないように周りの方々も注意してください」
「先生。本当に、それだけですか?何か重い病気とかではありませんよね?」
「はい。CTも取ったし、採血で多数の項目もチェックしました。特に異常はありません。もしも、今後も頻繁に同様な症状がでたら、すぐに当院へ来るようにしてください。それでは、白石さんと一緒にお帰りになって結構ですよ。お大事に」
俺は、ゆっくりと美依が処置されていた部屋の扉を開ける。
美依は、俺の姿を見るとベットから立ち上がった。
「美依、大丈夫か?」
「うん。太一、ごめんね。ほんと、ごめん」
「いや、いいんだ。美依が無事なら」
「太一、帰ろう。早く家に帰りたい」
「わかった。帰ろう」
俺は、俯いたままの美依の右手を握ると、病室のドアを開ける。
美依は、俺の指に手を絡ませてくる。そして、さらに力を入れてくる…。
「美依。大丈夫。俺はどこにも行かないよ。いつも美依と一緒だから」
「っ……。私、なんでこうなっちゃうんだろう…」
それから、美依は、アパートに着くまで、ずっと下を向いて一言も言葉を発しなかった。
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第十七話を読んでいただきありがとうございました!
次回、「懐かしい味」をお楽しみに!
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